COMBAT-OPEN

伽藍 @garanran

第1話 「私があんたなんかに惚れるわけないだろ、出直してきなよ」

「覚悟しろ。お前を俺に惚れさせる」

 その男は、腹が立つほど魅力的な、自信満々な表情で言い放った。



 甘いものは正義だ。私、朝霧あさぎり夕霞ゆうかは心の底から思っている。

 ちょっとくらいの憂鬱なんて、甘いものは簡単に帳消しにしてくれる。たとえば週末の課題や、大学生三年生になってから足音を立てて近づいてくる就活の気配。昨日うっかり夜中までゲームをしていたせいで私を捕らえて離してくれない眠気や、明日のバイトで気の合わないオバサンと組まなきゃいけないこと。

 何より眼の前に、があるという腹立たしさだって。

 甘いものがあれば、全部解決してしまうのだ。


 運ばれてきた皿の上をとっくりと眺める。

 皿に乗ったケーキが、私の眼にはきらきらと光って見える。いや、きっと実際に輝いているに違いない。

 絶妙な薄さで焼かれたクレープが、生クリームと何重も層になっているミルクレープ。黄金色のクレープ生地と真っ白なクリームが折り重なって、その間に色とりどりのフルーツが紛れ込む。

 美しさに、私はうっとりと息を飲んだ。ケーキに添えられたソースの色まで芸術的だ。

「あぁ、素敵……!」

 思わず、感極まった声が出た。

 いそいそとフォークを手に取ろうとして、思い直して先にスマホで何枚かの写真を撮影する。明日の友人たちへの自慢用だ。

 スマホを置いてフォークを持ち上げて、ふと大切なことを忘れていることに気づいて慌ててフォークを下ろした。

「いただきます」

「おう、召し上がれ」

 こちらを観察していたが面白そうに言ったけれど、私には聞こえない。聞こえないってば。

 幸福の象徴のような食べものが眼の前にあることに、心の中で神様に手を合わせつつ、今度こそフォークを構えた。

 そろり、とクレープ生地にフォークを差し入れる。

 柔らかい。気をつけないと簡単に崩れてしまいそうだ。趣味で絵を描くときのペン入れよりも慎重に、一部を削り取った。

 フォークの上に乗ったケーキを眺めて、ほう、と嘆息する。誘惑に逆らわず、私はフォークを顔に寄せた。

 ゆっくりと口に含む。クレープ生地とクリームの軽やかな甘さと、フルーツの甘酸っぱさが口の中で一気に広がった。

「……美味しい……!」

 手当たり次第に色んなものに感謝したいくらいに美味しかった。

 ここしばらくでは一番の当たりだった。生きてて良かった。人生って素晴らしい。

「そりゃあ良かった」

 少しばかりわざとらしく、大きめの声で眼の前に座っていた男が言った。

 簡単なもので、ケーキで気分が上がったから虫の好かない相手にも答える気になった。時間をかけてケーキを飲み込んで、ふんと鼻を鳴らす。

「なによ、文句でも?」

「いやいや、幸せそうで何より」

 言いつつ、二口目に取りかかろうとケーキに伸ばしていたフォークを持つ私の手をそっと上から押さえて、

「でもせっかく一緒にいるんだし、もっと構ってくれないかな、なんて?」

「セクハラ!」

「いてっ」

 男の手を、私はあいていた左手の指先で容赦なく弾いた。男が慌てて手を引っ込める間に、二口目を口に放り込む。

 口の中にイチゴの味が広がった。最初はオレンジだったから、一口目と味が違う。

 クレープ生地の間に様々なフルーツが入っているのだ。大きなケーキだけれど、これならば最後まで飽きずに食べられるだろう。

 やっぱり、ここ最近で一番の当たりだ。

「あー、美味しい」

「満足そうで何よりだよ、お姫様」

 生意気な私の態度にも怒った様子なく、男はひょいと肩を竦めて言った。相変わらず、嫌みたらしい仕草が無駄に似合う色男ぶりだった。

 彼は、烏狩辺かがりべ柘榴ざくろという。やたらと仰々しい名前の男を、私は睥睨した。

 私とちょうど十違いの三十歳。皺ひとつない半袖の青いワイシャツを自然に着こなしている。ブランドになんて詳しくないけれど、安物じゃないんだろうな、とぼんやり思う。

 左腕の時計だって値の張るものなのだろう。シルバーのベルトに、黒い文字盤がスタイリッシュだ。

 女好きのする顔立ちが、私を流し見た。

「まったく、この俺がケーキに妬くなんてな」

「ケーキを奢ってくれるって言ったのは君だろ」

 近頃話題の、お高いホテルラウンジのケーキ。しがない一大学生では、なかなか気軽には来られない。

 ここのケーキがついてこなきゃ、柘榴とデートなんてしてやるものか。

 嘘偽りのない私の言葉にも、柘榴は楽しげに笑うだけだった。くそう、面白がってるな。

 余裕ありげな顔を崩したくて、無意味な罵りを口にする。

「ロリコン」

「聞き捨てならねえな。お前、成人してるだろ」

「大学生にちょっかいかける三十路なんてロリコンで十分でしょ、オジサン」

「……今のはちょっと傷ついた」

 本当に傷ついたような顔をしたので、それがおかしくて私は思わず噴き出した。

 彼ならば、どこに行っても女性たちに引っ張りだこなのだろう。そう簡単に予想できるくらい格好良いのに、私の言葉なんかに振り回されるなんて。

 そも、世間の『オジサン』イメージからかけ離れた男のくせに。

「今のはちょっと可愛かった」

 ケーキのお礼のつもりでそう言ってあげると、柘榴は微妙な表情で咳払いをした。

「そんな返しかた、誰に習ったんだ」

むらさきさん」

「なるほど、よく言っておく」

 半眼で頷く柘榴に、私は心の中で彼の部下のくれない紫さんに謝った。きっと明日、紫さんは理不尽な指示を受けるに違いない。

 テーブルを見下ろした。ケーキセットを二つも並べればいっぱいになりそうな小さな木製のテーブルは、最初から大量の注文なんて想定していないのだろう。

 眼の前にケーキが置かれた私に対して、柘榴の前には半分ほど減ったコーヒーが置かれているだけだ。こちらが奢られる立場なのに、彼はケーキを食べずに私だけが食べている。

 それがなんだかいたたまれなくなってきて、私はちょっとだけ視線を逸らした。

「君も何か頼めば良かったのに」

「オジサンは油断して甘いもん食ってるとすぐ太っちまうのよ」

 嘘つけ。

「きっと太っても格好良いよ、柘榴さん」

「そりゃどーも。――あぁ、ゆっくり食ってろ」

 柘榴を待たせているのが気になって、少しばかり食べる速度を上げた私に気づいたらしい。めざとい。

 やっぱり、やりづらい。ストレートの紅茶を喉に流し込んで、私はそっと嘆息した。

 居心地の悪さを感じ始めている私をどう思っているのか、男はしごく上機嫌だ。コーヒーを口に含んで、上目遣いににやりと笑う。そんな仕草が嫌になるくらい絵になる男だった。

「なんだよ、そんなに熱心に見て」

 それから思いついたように、

「俺に見とれてたのか?」

「わあ、大変な勘違いだねナルシシストかっ」

 おかしなことを言い出した柘榴に、私は驚くよりも早く言い返した。

「君ってほんとに脳内お花畑だよね! なんでそんな阿呆な考えが浮かぶのさ」

「ネガティブ野郎を魅力的に思うやつはいねえだろ。お前を惚れさせるっつったって、それじゃ惚れさせられるもんも惚れさせられねえよ」

 いや、惚れませんけれども。

 突っ込みそこねた私の正面でそれこそ自信満々に顎を上げて、柘榴は薄い唇の端を吊り上げた。

「で、どうなんだ。俺に惚れたか?」

「何度も言ってるけど――」

 どこまでも尊大な調子を崩さない男に、私は同じくらい、不遜な態度で返した。


「私があんたなんかに惚れるわけないだろ、出直してきなよ」


「言ってられるのは今のうちだぜ、楽しみに待ってろ」

 自分こそが楽しげな柘榴に、ちらとも動揺した様子はない。ちょっとくらい動じてくれれば可愛げもあるのに。

 視線を逸らした私の耳に、くつりと彼が喉を鳴らす音が届く。思わず飛び出しそうになる舌打ちをこらえて、なぜこんなことになったのかと内心で頭を抱えた。

 私たちの出会いは、春に遡る。数ヶ月前のことを思い出して、私はしみじみと嘆いた。


 やはり、出会いが悪かったとしか思えない。

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