私の所在は

 「私」はどこにいるのか。

 そんなことを思ったことはありませんか?


 頭の中に小人が入っていてレバーをガチャガチャと操作しているなら楽しいですけど、残念ながらそれはなさそう。

 この意識──こうやって駄文を綴る「私」の意識はどこにいるのか。少なくとも、肉体の中にはいます。目をつぶってもまだいます。耳をふさいでもいます。


 仮に私が何をされても死なないとして、体のパーツを除外していきましょう。

 まず両腕と両足、これは取っても「私」はまだ残りますね。残るは胴体と頭部。とりあえず心臓よりも下は切りますか。でも心臓以外のパーツは不要そうなのでそれも捨てます。


 心臓と頭部。

 心臓を潰しても死なないと仮定したら、取り除いても「私」は残るのかな。

 目を閉じて「私」の所在を探ってみる……消えそうな、残りそうな。心臓は一旦保留。


 いま気づいたんですが、目を閉じて心臓あたりに意識を集中すると、脈というか心臓の鼓動を感じますね。鼓動で体が少し波打ってる感覚、これは新たな発見。


 すみません。脱線しました。

 心臓はとりあえず置いておいて、頭部にいきますか。名残惜しいですけど、視覚も嗅覚も味覚も聴覚も、「私」という意識体?には不必要なので頭部は脳だけでいいですかね。

 さて脳と心臓が残りました。私の脳と心臓は繋がっていて生命活動を続けています。五感は失いましたけど五感を持っていた時の記憶は有していますので、その感覚は思い出すことができます。

 心臓だけになったら意識は消えそうですね。ということで脳は必須。心臓を捨てて脳だけになったとすると、大丈夫そうな気もするんですが、人としての心が消えそうな不安が。

 目を閉じて集中してみると思考は頭にあると思うのですが、感情は心臓付近にあるような……皆さんはどうですか。

 脳単体だけになったら、喜怒哀楽といったものは失われそうな、そんな予感がしますね。私は。


 結論。

 私の思考は脳に感情は心臓にある。でも心臓単体で感情のみを独立させることはできそうにありません。二つセットで機能している。こんな感じですかね。機能だけで言えば、脳だけで成立しそう。ただ「私」ではなくなる気がします。胸が痛い胸が張り裂けそうとは言いますけど、心の痛みを頭が痛いとは言いませんし。


 こういうのを思考実験と言うんですかね。

 僕の意識は左肩にあります!とか、足の裏にあります!とか言う人もいるのかな。こういうことって人に聞けませんし自己完結するしかないので、謎のまま残りますよね。皆さんはどうですか、自分は体のどこにいますか?


 あれ、今夜も笑いが一つもない……。


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