壊れちゃった守口先輩と先輩の最後の願い
「…よお、久しぶり」
「…おお、久しぶり」
大学の入り口で出会った安雄にぎこちない挨拶をすれば、彼もまたぎこちなく返してくる。
「…………」
「…………」
そのまま互いに無言で、とはいえ一緒に試験のある教室に入る。
同時に菅居と目があった。 少しやつれたような気もするが、いつものように明るい顔で友人達と話をしていた。
守口先輩はどうしたんだろうか?
疑問が一つ浮かんだが、後期試験が始まる直前なのでそれを一旦、頭から追い出す。
安雄の話が終わった後にでも様子を聞こう。
それだけ決めて、頭を切り替えた。
後期試験自体は無事に終わった。 先輩のアドバイスがよかったのか思っていたよりも手ごたえはある。
けれど試験が終わった後の高揚感は無く、一度静かに気合を入れてから隣にいる安雄に向き直れば、彼もまた同じようにちょうど僕の方を向いていた。
…少しの沈黙。 その後にお互いに照れくさそうに笑った。
「それじゃ…行くか」
でもすぐに真面目な顔になって促す。
僕もまたドギマギしながらも頷いて後に続く。
話とはなんだろう? あれだけ大学を休んで、僕を避けていた以上はよほど深刻なことだったんだろう。
そしてそれが僕にも関係しているということは薄々とは理解していた。
でもそれが何なのかはわからない。
不安ではあるけれど、だからこそ誠実に向き合おうとあらためて誓う。 親友の安雄がそれだけ悩んだことなのだから。
ふと教室を出るときにもまた菅居と目があった。
彼女は誰かに電話を掛けているようだったが、おそらくは守口先輩なんだろう。
安雄のあとは菅居や守口先輩についても考えないと。 前を歩いている親友が親友のままで居てくれるのなら彼にも相談に乗ってもらおうかとも勝手に決めていた。
どうやら僕も少しは図太くなってきたようだ。
これもまた塚原先輩と出会ったことが影響しているのかな? とはいえこんなこと先輩に言うことは出来ない。
言ったらきっと『ええ~、私、そんなつもりないんだけど』って嫌な顔をされそうだな。
想像して苦笑しかけたところで足が止まった。
周囲を見わたせば、なんという皮肉なのだろう。
彼が僕に話をしようと選んだところはかつて菅居の気持ちを知ることになったその場所だった。
今日も人気も無いとはいえ、後期試験が終わった開放感で騒いでいる他の学生達の声が遠くに聞こえている。
「…それで、話ってなんなんだよ」
「お、おう…実はな…」
振り返った安雄は緊張をしているのか顔が強張っている。
それに引きづられるように僕の方もガチガチに緊張してきた。
「ごめん!」
瞬間、いきなり頭を下げる。 深く、深く、まるで土下座をするかのように、頭を腰よりもさらに下へ。 それが突然だった以上に予想外だったので驚いてしまった。
「ど、どうしたんだよ…いきなり、そんな謝るなんて…」
「じ、実は…俺……しちゃったんだ…」
「しちゃった…って何を?」
「そ、その先輩と…」
「したって…ヤッちゃったのか?」
それは正解だったようで、途端に安雄の顔が赤くなる。
さすがにそれは予想外だった。 安雄はしどろもどろになりながらも、説明を始めていく。
「お、お前と食堂のことがあったとき…俺、先輩に一言文句を言ってやろうと思ったんだ…だから先輩を呼び出して…その…そしたら…そのまま…」
赤くなっていた顔は徐々に青くなって、やがて白くなっていった。
僕が先輩とのことで色々と噂をされていて、評判を下げられたことに憤っていたようだ。 なので先輩に『もう、あいつに関わらないでくれ』と言いに来たところで、何がどうなったのか…つまり…してしまったという。
「それじゃ話し合いましょって言われて、俺の部屋に来て、飲んでたら、そのままわけもわからず…いや、これは言い訳だな…お前とのことを文句言うつもりだったのに…本当に悪かった!」
そしてまた頭を下げる。 安雄のこんな姿は初めて見た。 そしてそれは意外な一面だった。
僕の知っている安雄は良くも悪くもいい加減で、自分で言うのもアレだけれど、若者らしい若者でそういうことを気にするような人間だとは思わなかった。
でも安雄は安雄なりに自分のヤッてしまったことを反省し、後悔していて僕に対する罪悪感から顔をあわせられないでずっと悩んでいたのだ。
僕は僕の方で正直、不愉快だった。
それは安雄にではなくて、むしろこの友人は僕が思っていたよりも僕のことを考えていくれて、そして誠実な心根を持っていた。 それを知ったことで今まで以上に彼への友情の想いがますます強くなったくらいだ。
だが反面、そんな親友をあの人は気まぐれに半ば騙すような形で苦しめていたということに対してはただただ不愉快だった。
そしてその嫌悪感は確実にあった先輩への好意が消えてしまうくらいに。
「あれ?もう言っちゃったの?」
聞きなれた声がする。 見れば、そこに塚原先輩が立っていた。 いつものように明るい表情で僕達のところへと歩いてくる。
「な、なんで…ここに…」
「お、俺が呼んだんだ…お前に謝るために…」
「…別に謝ることはないんじゃない?って私は言ったんだけどね…、上原君、結構友達を見る目あるよね~」
先輩はなおも飄々としている。 その態度にますます憤りが出てくる。
「…先輩、なんで安雄を…」
巻き込んだんですか? と言いかけたところで先輩は「アハッ」と場違いに明るく笑う。
「誰としようと私の勝手でしょ?」
まったく悪びれることも無い。 ああ、そうだ…。 この人はそういう人なのだ。
結局は自分の楽しみと目的以外にしか動かない人なんだ。
「これも先輩が望む、刻み付けるってことですか?僕のときのように…安雄にも」
飽きれて怒る僕の言葉。 それを先輩は味わうように瞳をつぶり、一瞬だけ黙り込んだ後に…。
「違うよ、上原君にはまだ刻み込んでないもの…」
その顔は真剣だ。 瞳は力強く真っ直ぐに僕を見据えている。
だからこそ腹が立つ。 どんな酷いことをしようと、どんなに不誠実なことをしようともこの人は自分が正しいと考えていることが。
いやこの人の正しいはただ自分だけの正しさでしかない。 その結果に誰が傷つこうと誰が苦しもうとも気にすることのない。
その強さ。 その強さこそが僕を惹きつけ、そしてどうしても好きになれなかった理由だ。
「…まだ足りないって言うんですか!これ以上俺に何を刻み付けるって言うんだよ」
「うん、足りない…全然足りないよ。だって上原君、このまま十年、二十年たったら私のこと忘れちゃうでしょ?きっとあなたのなかで私は古くなっていくの、悪いか良いかは別として…こんなことがあったな~とか笑って話せるようになるよ」
尚も僕は先輩に怒りをぶつける。 それはもはや論理もかけらも無い物言いだろう。
先輩のその勝手な望みだけでかき回された僕と、そして本当に嫌なことにそれを先輩の過去を聞いたことで、わずかながらにも理解してしまう想いに抵抗しながら。
「お、お前ら…一体何の話をしてんだよ、理解できねえよ」
置いてけぼりにされた安雄が困惑した言葉の後にまた誰かが大声を発する。
「…そうだよ!誰も彼女を理解できないんだ!」
「あんたは…って誰だよ!」
困惑を通り越して混乱した安雄が叫ぶ。 そこには守口先輩が立っていた。
「も、守口先、輩……ですよね?」
しかし彼を知っている僕でさえ、思わず聞いてしまうくらいに彼は変わり果てていた。
荒れてぼさぼさの髪、やつれはて、こけた頬と蒼白の肌。 ギラギラとした瞳の下には浅黒くなった隈。 あの野暮ったくも紳士然としたかつての姿からは想像できないほどだった。
「彼女は理解できない…そう理解できないんだ…誰も、僕だけが…そう、僕だけが…ああ君は…まぶしい…だから…大丈夫…大丈夫だからね…僕が…僕が…」
ギョロギョロと瞳をあちらこちらに動かしながら、ブツブツと意味不明なことを口走っている。
そしてその右手にはギラリと光る包丁が握り締められていた。
明らかに異常だ。 完全に目がイッている。
「……誰なの?」
むき出しの包丁を持ち、ブツブツと独り言を呟く守口先輩を見ても塚原先輩はあのときのように醒めた顔をしている。
「ひ、ひひ…大丈夫…沙優子さん、僕はわかってるから…僕だけが理解…できるから…ねえ、そうだろう?」
守口先輩がゆっくりと近づいてくる。 明らかにヤバイ! 様子も目も普通じゃない!
なのに塚原先輩は動かない。 逃げようともせず、ただ包丁と守口先輩の顔を交互に見るだけだ。
「ちょっ、先輩…やばいですって…逃げて…」
さっきまでの怒りを忘れて、逃げるように促しても先輩は動かない。
とうとう、守口先輩が彼女の前に立った。 それでもなお、視線はあらぬ方向に動かしながら、また意味不明なことを発し続けている。
「…ねえ、沙優子さん?僕なら君を理解できるんだ…そうだろ?そうじゃなかったらおかしいじゃないか…ねえ、そうだろ?そうだろ?そうだろう?…なあ、答えろよ!答えろよ!」
先輩はジッと狂った守口先輩を見た後に、一瞬だけ僕の方を見る。
それは寂しそうで、悲しそうでありながらわずかに嬉しそうにも見えた。
「…だからあなた、誰よ…私に関わらないでくれる?」
その言い方は痛切だった。 刃物を持った狂人を相手に言うにはあまりにも場違いで、残酷で…そしてそれゆえに無謀だった。
「いいいあううあうあうあぅあうおあ!」
逆上した守口先輩が走る。 そしてそのままの勢いで先輩を押し倒した。
「やばい!これやばいって!」
あっけに取られていた安雄が叫んだと同時に守口先輩にタックルした。 遅れて僕も同じように守口先輩を押さえ込む。
「ぐあぁぁ!どけっ!どけよおおおお!」
包丁で傷つけられないように気をつけながら、暴れる守口先輩の手から包丁を奪い取って渾身の力で投げ捨てた。 同時に今度は離れたところから、
「いやあああああああ!」
大きな悲鳴が聞こえた。 それは塚原先輩ではなくて菅居の声で、走りこんでくると同時に守口先輩の上に覆いかぶさる。
幸運なことに菅居がやってきたことで、守口先輩は正気を取り戻したようにおとなしくなった。
そして菅居が連れてきたのか、数人の学生達が叫ぶのが見える。
「おい、救急車!救急車を呼べ!」
「それより、警察だ!警察!」
周囲が一気に騒がしくなる。 僕は僕で守口先輩が静かになったのを十分に見てから、倒れている塚原先輩のもとへ走りよる。 助け起こそうとしたところで固まってしまった。
「こ、これ…血か…、先輩!大丈夫ですか!」
先輩は倒れたままだ。 そしてそのわき腹からは血が出ている。 ドクドクとした赤い液体が先輩の服を染め上げ、そして地面へと広がっていく。
必死で声を掛けると先輩がゆっくりとこちらに顔を向ける。 そして何かを語りかけている。
「先輩、しゃべらないで!…どうしたんですか!」
しゃべるなと静止しても尚も先輩は口を開く。 か細くも必死で痛みにあがないながら何かを伝えようと僕に顔を近づけようと努力していた。
「先輩!先輩!なんですか?」
荒くなる呼吸をする先輩の口元に耳を近づけ、それを聴いた瞬間に絶句する。
「こ…これ…で私…あなたの…ここ…ろ…に刻み…つけられ…た…でしょ?」
白くなっていく顔色。 口元とわき腹から血を流して、途切れては何度も、何度も口ずさむ。
瞬間、それは確かに僕に刻み込まれた。
何年経とうとも、誰と出会い、結び合おうとも思い出せばひどく痛む、一生消えない傷のように、決して風化することのない永遠として。
そう、塚原沙優子という存在を。
先輩は気絶するまでずっとそう言い続けている。
周囲の喧騒はますますひどくなり、すべてが遠くに思えても、その言葉だけはいつまでもハッキリと耳に残り続けていた。
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