ねえ、死んでくれない?
昼過ぎ。 学食の一角で僕は先輩を待っていた。 菅居にはすでに話をしていて、守口先輩は菅居が連れてくるという手はずになっている。
果たして本当に先輩はやってくるんだろうか?
その心配とこの後のことで胃はキリキリと痛む。 なので僕は何も注文せずに席についている。
お昼時間で何も注文せずにいることで目立つかもしれないという懸念は杞憂だったようで、誰しもが僕のことなど存在しないかのように学食内は賑わっていた。
先輩はまだだろうか? いっそのこと逆に来なければいいかもしれないな。
待つ辛さでヘタレかけている僕の期待?を裏切るように先輩はやってきた。
すぐに僕を見つけ、自然に対面に座る。
「お待たせ、それじゃ行きましょうよ」
「は、はい…」
いつもどおりの先輩。 緊張でギクシャクと歩く僕。 そんな僕達を目ざとく見つけた数人がヒソヒソと何かを話しているのを横目に学食を出た。
向かう先はつい昨日、菅居と話をした大学構内の端っこ。
ここなら誰も来ないし、誰にも見られないだろう。
すでに菅居達は僕達を待っていた。 菅居の横の守口先輩の顔が塚原先輩を見てパっと華やぐのを感じ、それが余計に僕の重圧を重くさせる。
「や、やあ…久しぶり」
向かい合った僕と菅居。 そして守口先輩と塚原先輩。
守口先輩が顔を赤くしながら声をあげても先輩は何も言わない。
微笑を浮かべつつも何も言わない。
「ぼ、僕のこと…お、覚えてる…かな」
なおも健気に先輩がさらに口を開く。 それでも先輩は何も言わない。 まるで彼が存在してないように。
「ちょっと…何か言いなさいよ」
見かねた菅居が咎めたところでやっと先輩が口を開く。
「あなたが守口君?」
「う、うん…そうだよ」
ここに至って先輩はやはり守口先輩のことを覚えてない素振りを見せる。
「話は上原君から聞いたんだけど……あなた、死んでくれない?」
「えっ…?」
「えっ?」
「えっ…な、なんで…」
先輩の言葉にぎょっとした全員が声をあげる。
「私とあなたが前にしたってことは聞いたけど、やっぱり私、あなたのこと思い出せないの…だから余計にそう思うんだけど…あなた、死んでくれない?」
「ちょっ、先輩!」
「あんた…なんてことを…」
「えっ…ど、どうして…そんなこと…」
僕達も驚いていたが、直に言われた守口先輩は顔を白くしている。 戸惑いを通り越して狼狽…むしろ泣き出しそうだ。
「…気持ち悪いのよ。本当にあなたと私、したの?あなたの妄想じゃないの?いくら酔ってたとはいえあなた、ちっとも魅力的じゃないもの…むしろ絶対にあなたみたいな人に触れられたくないわ」
「そ、そんな…だって…あのとき…」
守口先輩の身体がガタガタと震えている。 僕は僕で硬直していて、菅居ですらあまりの言い方に固まっている。
「もし、仮に…ええ本当に仮にそうだったとしたら私、死にたくなるわ…自分で自分を許せない、それくらいあなた、醜いもの。ねえ守…口君だっけ?私の尊厳の為に死んでくれない?想うのは勝手だとは言うけれどさ、それを考慮してもあなたが私のことを考えているというだけで私、自分が許せなくなると思うの…ねえ、私のことを本当に好きだっていうのなら……」
吐き気がする。 こんなにも人は人に対して傷つけられる言葉を言えるのか?
こんなにも拒絶できるのか? 残酷になれるんだろうか?
僕が言われているわけじゃないのに…、その痛みと毒は全身を打ちのめし、蝕んでいくのを感じる。
それなら当人は? 僕はもう守口先輩の顔を見ることが出来ない。 かろうじて視線を下げて足元だけを見る。
先輩の足元は力なく震えていた。 今にも崩れ落ちそうに。 砕けそうなほどに。
それでも先輩は容赦なく、最後の言葉を言い切った。
「ねえ、お願いだから…私の為に死んでよ」
先輩はそのままへたり込んでしまった。 菅居が慌てて先輩を支えようとするが、それでも耐え切れず、崩れてしまう。
「…それじゃ、もう二度と私のことを考えないでね」
過呼吸のように息を荒くする守口先輩を冷たく一瞥して塚原先輩は背中を向けて去ってしまう。
「守口先輩、しっかりして…ねえ、お願いだから…ねえ…」
悲鳴のような菅居の声。 それでも先輩はスタスタと歩いていってしまう。
オロオロとしながら僕は蒼白でヒューヒューと弱く息を吐く守口先輩と颯爽と立ち去る先輩の背中を交互に見ながら走りだした。
守口先輩は菅居に任せよう。 いまは塚原先輩だ。
なんであんなことを…。
どうして不必要なまでにあんなことを。
ふと視界が曇る。 涙が出ているようだ。 頭もクラクラする。
心臓はバクバクと騒がしく、息苦しくさえ感じる。
それでも僕は走った。 塚原先輩を追いかけて。
いまはただ、怒りと理不尽に支配されながら。
「先輩! 先輩! ちょっと…!」
ようやく追いついて、その前に立ちふさがる。 先輩は無表情で、冷たい顔をしていた。
いつもならそれを見ただけで震えて何も言えなくなるくらいにゾッとするような顔だった。
「なんで…あんなことを言うんだ!」
怒りのあまりに怒鳴ってしまう。 でも先輩は何も変えない。 まるで能面のように。
「…私はあなたとの約束通りにしただけよ」
そこで始めて心外だと言うように表情筋を蠢かす。
「だからって…あんな言い方するなんて…」
確かに僕は守口先輩にフってほしいといった。 それが守口先輩の為だと、菅居が前に進めるようにと…だ。
けれどこれは違う。 決定的に違う。 あんなやり方は絶対に間違っている。
「半端に期待とかされてもうざったいしね…それに」
先輩が笑う。 今までになく。 心の底から。 これが彼女の本当の笑顔のように。
「これで私のこと刻み込めたでしょ?」
「えっ…?」
やはりあの夜に先輩が言っていたことは本当だったのだ。
私を刻み込みたい。 触れれば痛むような傷を…。 そうすれば私はずっと古くならない。
何の衒いもなく、楽しそうに、嬉しそうに先輩は笑っている。
あんなにも消えない傷を刻み付けて、一生消えないようなトラウマを作り上げたことを喜ぶように。
「ねえ…上原君、約束忘れちゃだめよ…」
『私から逃げないこと』
そうか、あの約束はこの為に。 底冷えするようなとても綺麗で、美しく笑いながら先輩は僕をじっと見つめていて、今度は僕自身がその場にへたり込んでしまった。
「それじゃ、また今度ね…」
なんてことをしてしまったのだろう。 こんなことは予想できなかった。 いや予想以上だ。
ああ、やはり出会わなければよかったんだ。 先輩に。 塚原沙優子という存在に。
でも出会ってしまった以上、それは変えられない。 確定された過去は決して。
後悔はいつだって後に来る。 そんな言葉が頭に浮かんで、そして静かに浸透していった。
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