怪獣に向かって
「にしてもジュンキにいいとこ取られちゃったなあ。悔しいわー」
「ごめん、ギブ。やっぱりミー任せていい?」
「まだ二百メートルも走ってないんだけど!? やっぱり相当体力落ちてるな、バレー部に戻ってきた方がいいぞ!」
時計は既に八時を指している。
日光が無くなった街は急速に冷え込み、走って息が切れると、取り込んだ空気によって体の内側からキーンと冷えるようだった。
こんな時でも勧誘を忘れないヒロには悪いが、今のアラトには軽いやる鳥をするだけの余裕がない。主に体力面で。
「早速ジュンキから連絡来たぞ。怪獣に動きなし、だ」
アラトからミーを受け取ったヒロが、片手でミーを抱えながら携帯を見る。
普段なら絶対に暴れているミーだが、今日はやけに大人しく、ヒロにも素直に抱きかかえられた。
「け、携帯見るのは……俺が代わる」
「任せた! よーし、行くぞ!」
再び、二人は走り始める。目標は六キロ先、空中に浮かび街を破壊している大怪獣のところ。
恐らく母親のところまで、ミーを届ける。
あの怪獣はミーの父親か母親で、我が子を探して街の中で暴れまわっているのではないかというのがアラトの仮説だった。
だからミーをあの怪獣のところへ連れて行ってやれば、目的を果たした怪獣は大人しく帰っていくのではないか。
もちろん何の確証も無いが、可能性が少しでもあるなら試してみたい。
何もせずにただ街が破壊されるのを見ていることはできなかった。
最初、アラトは三人を家に帰してから一人でこっそりと作戦を決行するつもりだった。
ヒロもジュンキも、絶対ついてくると言って聞かないことが容易に想像できたからだ。
アラトの予想は大当たりで、アラトの考えを打ち明けたとき、二人ともどころか、うるちを含めた三人ともついてくると言い張っていた。
自分はまだしも、彼らをそんな危険なことに巻き込みたくないと考えていたアラトは、自分で言いだしたことながらも三人を危険から遠ざけるにはどうすればよいか頭を悩ませることになった。
「じゃあ俺が行ってくるから、三人はここでニュースを見ててくれ!」
ヒロのこの発言にアラトは大反対したが、結果として大いに助けられることになる。
「この四人の中では一番体力があるし、ここの窓から外に逃げた男だぞ? そんな俺が簡単に死ぬわけ無いだろ? それに、怪獣は移動してるんだ。ここに残って怪獣が今どこにいるかって情報を送ってくれる係も必要だ。走りながら情報収集するのは大変だからな」
「なら情報収集係は二人でいい! 俺も行く!」
「お前は今も具合悪そうにしてたとこだろ! 休んでろよ」
「もう大丈夫だから! それに、ヒロ一人だとミーは逃げるぞ……」
こうして、アラトとジュンキが怪獣のもとに向かい、ジュンキとうるちはマンションに残って怪獣の位置を報告する係となった。
ジュンキは最後までついていくと言い張っていたが、
「私は屋上から怪獣の様子を見ることにする。多分ここからでも見えるから。スミキはニュースでの情報収集をお願い」
うるちの一言に渋々納得し、家で情報収集係に徹してくれている。
連絡係がアラトに替わったことをジュンキに知らせると、電話がかかってきた。
ヒロの後を追って再び走り出したアラトは、速度を緩めないまま通話をオンにした。
『走りながらじゃ画面見るのも大変でしょ!?』
「ありがとう、助かる!」
アラトの馬鹿馬鹿しい考えに協力してもらえていることは本当にありがたい。
怪獣が我が子を探して暴れまわるなんて、そんな話聞いたことも無いのに。
その仮説が正しいとは限らないのに。
今の少し冷えた頭なら、怪獣が別の理由で暴れている可能性だって考えられるのに。
それでもあの時、こんな考えを話したら三人に笑われるんじゃないかと、そんなことを全く考えていなかった自分が、アラトは不思議だった。
そして、実際に笑うことも馬鹿にすることも無く、アラトの考えを聞いてくれた三人に、心の中でただただ感謝した。
「なあアラト。さっきは怖くて言えなかったけどさ……あの辺りって住宅街だよな。……人が大勢住んでるよな」
「そりゃあっ、まあ、そうだな」
「怪我人や……死人も出たろうな」
「……うん」
既に息が切れ気味のアラトに対して、ミーを抱えたまま走っているヒロは、まったく息が乱れないまま会話を続ける。
「あの中にはもしかしたら友達とかも……いや、知らない人ならいいって訳じゃないけど、やっぱな……」
「そう、だな……」
さっきの呑気な調子からは一転して声が低くなったヒロの様子に、アラトはふと気が付く。
もしかしたら、さっきはそれを考えないためにあえて明るく?
もしかしたらうるちも、それを察して何も言わずにいたのかもしれない。改めて怪獣の恐しさを思い知った三人に。
『なに暗くなってんの! 今からそれを助けに行くんだよ!!』
その瞬間、ジュンキの力強い声がスピーカーから響いた。
「あれ!? ジュンキどうして……」
どうやらさっき通話を繋げたときには気が付いていなかったらしい。
ヒロは目を丸くして驚いているが、それでも足の動きは依然として機敏なままだ。
「まあいいか。そうだな、その通りだよ!!」
吹っ切れたように笑うヒロ。
そんなヒロとは裏腹に、アラトの心には迷いが生じていた。
アラトは走り続ける。
冷たい夜の風を切り裂きながら。
逃げてくる人たちと何度もすれ違いながら、不安に駆られる。
本当に、これで助けることが出来るんだろうか。
アラトの心の中に、先ほどから浮かんでいる「怪獣が暴れている理由」のもう一つの可能性が、足に絡まりついてくるようだった。
あの猫怪獣がミーの親かは分からない。
しかし、アラトは一つ確信していることがある。
あれは、この間アラトが自衛軍のテントの中にいたときに遭遇し、ライフルで撃たれたものと同一個体だ。
ミーと同じように瞳の無い鋭い目をしていて、毛が無い灰色の肌という共通点はもちろんだが、一番の証拠はこの間撃たれた左脇腹の部分を中心として、体に赤い模様が入っていることだ。
大怪獣の全てが、怪獣になった瞬間から巨大な訳ではない。
元の個体のサイズのまま怪獣化し、その後に急成長するものもいれば、突然変異によって急速に骨格を作り変えられるものもいる。
恐らくあれは前者。
この前の猫が急成長したものだ。
そしてその場合、暴れまわっている理由のもう一つの可能性となるのが、自分を撃った人間への復讐だ。
子供を探しているのなら、ミーを連れて行ってどうにかなる可能性はある。
しかしそうではなかったら?
ミーとは何の関係も無い怪獣で、撃たれ、追いかけまわされたことに怒り狂っているだけなら?
そうだったとしたら、自分たちにできることは何もない。
アラト一人であったなら、きっとどんな不安があっても、可能性が低くても、大きく賭けに出ることが出来た。
しかしヒロを巻き込んでしまった今、その不安を完全に拭い去ることが出来ない。
いざとなったら自分が盾になってでもヒロのことを守ると固く決意しながら、電話越しに届けられるジュンキの指示に従って怪獣のもとへと走った。
二人が走る中で、怪獣が進行方向を変えた。
今までと反対、二人のいる方向へ。
怪獣は破壊をやめ、こちらへと真っ直ぐ向かっているらしい。
「なあアラト、これってもしかして」
「うんっ、分かってるんだ。……ミーが向かっているのが」
これも勘だが、そう思わずにはいられないほど明らかに、怪獣の動きがガラッと変わった。
アラトは、自衛軍の江口が持っていた装置のことを思い出した。
怪獣が発する固有の波動、M波を感知する装置。
M波などというものが本当にあるのなら、あの怪獣はそれを感じ取ったのかもしれない。
そういえば、うるちもそんなことを言っていた。怪獣の気配を感じるとか……まああれは眉唾だろうが。
昔からある古い住宅街を通りかかったあたりで、すれ違う人が多くなってきた。
怪獣が移動しているという情報を聞いて避難を始めたのだろう。
道の脇に立ち並ぶ家という家から住人が出てきていると思わしき人数。
更に向こう側からも一塊になって逃げてきたらしい一団が見える。
向こうのマンションの住人たちだろうか。その人ごみの中を掻き分け、流れに逆らい上流へと向かう。
「君たち、そっちには怪獣がいる! 危ないぞ!」
「大丈夫です!」
途中で警官に呼び止められたが、ヒロは全く止まらずにミーが人目につかないよう一層慎重に隠しながら走り続けた。
そんな様子を眺めながら、アラトも無言で走り続ける。
ジュンキの情報によれば、怪獣はもうかなり近い。
既に二十分は走り続けている。
アラトはもう体力が限界に近く、ペースがどんどんと落ちていた。
ヒロもそれに合わせてペースを落としてくれていたが、それでも少しずつ、二人の距離は開いていく。
アラトの足が止まりかかり、ヒロがその五十メートルほど先へと走って行ってしまった頃。
アラトの視界に、一人で泣いている子どもの姿が飛び込んできた。
「アラト、ちゃんとついて来てるか!?」
次にヒロが振り返った時、アラトの姿はもうそこにはなかった。
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