人魚姫の夢

@chun4970

1話 人魚と会った日

 肺に海水が入ってくる。

ああ、息が出来ないってこんなに苦しかったんだな。

体だけがもがいて、酸素を求めてあがく。

僕はいつもの海の中で、ちっぽけな人生の終わりを迎えようとしていた。

(睡眠薬でも、使えばよかったかな)

手に入れ方も、どんなものかも知らないのにくだらないことを思いつく。

僕は自分でこの苦しみを選んだのに、最後まで情けないやつのままだった。



意識が途切れかかった僕の目の前に、ずっと会いたかった顔が見えた。

あの日から、夢にも出てこなかった顔が、目の前に。

神様って奴はケチだが、死ぬ前ぐらいは僕にも親切にしてくれるらしい。

最後にあの子を、小夜を見れてよかった。そう思って僕は意識を手放した。


 僕は死ねなかった。意識が戻ったときに見たのは、海岸だった。

口の中は塩辛い、Tシャツとジーパンはずぶ濡れで気持ちが悪い。

この気持ち悪さが、僕がまだ現実にいることを嫌でも突きつけてきた。

「あ、起きた」 

声の主はそういうと、僕の目の前にやってきた。

「さ、小夜?」

目の前の女の子を見てつい名前が出てしまった。

その子はあまりにもそっくりだった。赤茶けた髪の毛、少し丸くって好きだった目元。 その顔、体つきが全て小夜に、死んだはずの僕の全てだった彼女に。


「さや?アタシの名前、サヤって言うの?」

僕の言葉に"小夜"は妙な返答をした。そこで少し我に返った僕は、あまりにもわかりやすい小夜との違いを見落としていたことに気づく。


普通なら、彼女を見て真っ先に驚くのは、恋人に似てたかどうかなんかじゃない。

彼女の下半身の尾びれと鱗だ。普通なら、人魚を見て驚くべきだったんだろう。

それによく見たらフリルの着いた水着のトップスを着け、腰回りにスカートがある。

(人魚も、そういうところは恥ずかしいんだろうか)

などと馬鹿な事を考えてしまう。我ながら立派な現実逃避だ。頭が受け入れを拒否してるんだろう。


そんな僕の頬を、"小夜"は手で軽く叩いた。意識があるかを確かめるように。

「おーい。キミさぁ、返事してよ。まだ調子悪い?」

「あぁ、ごめん。大丈夫だよ」

「ならいいや。じゃあ質問に答えてくれる。アタシの名前って、サヤなの?」

「アタシさ、ここに来るまでのこと、なんにもわからないんだよね」

あっけらかんと"小夜"は言った。

"小夜"には記憶が無いらしい。

きっと、彼女は生まれ変わりなんだ。そういう都合の良い思い込みが、僕の頭をよぎった。

そのまま、何も考えずに僕は口走った。

「うん。君の名前はサヤ。……僕の大切な人だ」

「初対面なのに? アタシ君を見たの始めてだよ」

一目惚れしちゃったかな?と、サヤはからかうように言った。

「じゃあ……『大切な人』なら、また会いに来てよ」

「えっ、ちょっと待って」

朝、ここで待っててあげる。そう言って、彼女はざぷんと海に飛び込んだ。

「明日の朝、か」

「バイト、昼からで助かったな」

僕は自分が死のうとしてた事なんかすっかり棚に上げ、生乾きの服を引きずりながら歩きはじめた。




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