第五話 02

「ふええ、ほんとー? ケラケラ麦からもミソを造れるの~?」

「俺が知っている麦よりも、大豆に近そうだからな。だが、発酵熟成に一年近くかかるのが味噌造りの問題でな……完成まで何年かかるか、わからん」

「あー! 食べ物の発酵なら、エルフの得意技だよっ! エルフなら誰でも使える初歩的な魔術を使えば、一晩で完成しちゃうよ!」

「おお……それは、素晴らしい……! えるふ族とは、なんと偉大な種族なのだ!」

「そっかなー? 獣の乳を発酵させて美味しくするのに便利だけどー。エルフは寿命が長いから、あんまり重宝してる感じはしなーい」

「人間は寿命が短いのだ。味噌を一晩で完成させられるのならば、それはなによりも貴重な術だぞ!」

「そうなんだ? ピンと来ないけどぉ、そんなに褒められるとなんだか嬉しいよっ!」

 僅か数ヶ月の開発期間で味噌を食えるかもしれないという希望を家康は抱いた。味噌中毒の家康がエルフ族のもとを離れられなくなった決定的な理由になったと言っていい。

「味噌の開発と同時に、漢方薬の調合に用いる代替物の選別も頼むぞ。俺の医学知識はそのままでは異世界に転用できんからな。瓜二つのキノコに食べられるものと毒入りがあるように、漢方の原材料の選別は実に危険かつ重要な作業なのだ」

「『治癒の魔術』でもいろいろな薬草を用いるから、そっちのほうは自信あるけどね!」

「俺の持病の腹痛を止める万病円、毎日飲む万能薬の八味地黄丸、そして万一毒に中った時に用いる強力な解毒剤の紫雪。最低でもこの三つの常備薬は造らねばならん」

「ふーん。解毒剤のシセツ~? ねえねえ? 私の『治癒の魔術』と組み合わせれば、もしかして魔術でも解毒できない強力な猛毒にも対応できるかな~?」

「おそらくな。もっとも、紫雪の調合には莫大な黄金が必要でな……国庫が空っぽのえるふ族に調達を頼むのは無理だな」

「イエヤスってばほんっと、健康にしか興味ないんだから~。まあいいや! 家にいる時くらい、外のことは忘れて生活を楽しまないとねっ!」

「……お前は領域外に出てもなお、外のことを忘れっぱなしだったではないか」

「うっさいわねー! 長老様の腰痛を治すための冒険だったんだよっ! あーっ! 結局、長老様のための薬草を採取してない~! だいじょうぶかなあ。長老様、今頃寝込んでないかな~?」

「まだ万病円が残っているから、田淵殿に明日お分けしよう。貴重な薬なので一粒たりとも無駄にはできんが、田淵殿はこの世界の歴史に通じたお方だからな」

 おおー。イエヤスほどのケチが長老様には薬のプレゼントも惜しまないんだね! とセラフィナは驚いた。だが、「三粒まで。三粒までだ。いや、やっぱり二粒……」と家康が指を折って数えはじめた姿を見て「やっぱりドケチじゃん。イエヤスってハズレ勇者なのかなあ~」とげんなりするのだった。


 夕食を食べた後、家康は「エルフ風呂」に案内されて入浴し、疲れを癒やした。

 お風呂好きのセラフィナは「ごゆっくり! 私は、魔術で薪を燃やしてお湯を沸かすらねー! イエヤスがあがったら、お湯を張り替えちゃって私も一番風呂だー!」と屋外に出て薪を運びながら気合いを入れている。

「ほう、お前は炎の魔術も使えるのか?」

「……薪にちっちゃな火を点す程度ならね……ぐっすん」

 火打ち石を使ったほうが早いのではないかと家康は首を傾げつつ、風呂を馳走してもらったのだった。

 戦国日本で風呂と言えば蒸し風呂だが、大河の中州島で水がたっぷりあるエッダの森では、浴槽に浸かる温泉タイプの風呂が一般的である。しかも、一人ずつお湯を張り替えても全く問題ないという恵まれた水資源があった。

「屋敷は狭いが風呂場は存外に広い。熱海温泉を思いだすな。うむ、極楽、極楽……って、熱っ!? 熱っ!? 世良鮒、火加減がおかしいではないかー! 俺を煮殺す気かっ!?」

「えー? 私にとってはこれくらいの火加減がちょうどいいんだけどぉ?」

「俺には熱過ぎるわーっ! 文化の違いとは恐ろしいものだな、用心せねば……」

 エルフが好む風呂の水温は、摂氏五十度から六十度ほどだ。いくら忍耐強いとはいえ、人間の家康には耐えられない熱さである。さすがは不老長寿のエルフ、やはり体質に違いがあるらしい。

 四苦八苦しながらどうにか入浴を終えた家康は、今度は屋外に出てセラフィナのために風呂釜を炊く係を勤めさせられた。

「ぐぇ~、ぬるいーっ! 水みたいっ! イエヤスぅ、もっと熱くしてよう!」

 浴室の窓の隙間から、セラフィナが凍えながら叫ぶ声が漏れてきたが、家康は壁越しに「ぬるめの湯に長く浸かるほうが健康によいのだ。高温の湯は心の臓に負担をかけていかん」と自らの温泉健康法をとくとくとセラフィナに語り、頑として湯の温度を四十度以上にはあげなかった。

「ほんとにぃ? イエヤスってば、四六時中健康のことしか考えてないよねーっ!」

「健康のためならば命も賭すからな、俺は。異世界漢方薬の開発研究助手よ、期待しておるぞ」

「ふえええ。いつの間にかヘンな役職名を付けられてるぅ~?」

「……うん? 庭に、朝鮮人参にそっくりな食物が自生している。言うまでもないが人参こそは多くの漢方薬に用いる必須生薬! 早速抜いておくか。いや待て、異世界の植物だぞ。なにか危険が伴う可能性も……だ、だが、薬師として人参は欲しい、どうしても!」

 セラフィナがぬるいお湯を諦めて入浴して「ふい~、いつもよりも長く入れそう」とひとごこちついている間に、庭で手持ち無沙汰になった家康は人参状の雑草を発見し、「健康のために!」と引き抜いた。

 その途端、抜かれた人参の根っこが「ヒイイイイイイイイッ!」と悲鳴を上げていた。面妖な? まるで人間のような姿をした不気味な根だが、よもや植物が叫ぶとは!?

「ぐはっ? み、耳が、耳がああああっ!? うおおおおおっ、脳が揺さぶられて立っていられん……お、おおお、幻が見える……! ま、幻の前田利家殿が『後家好きの内府殿も、お餅のように肌がつるつるの幼い生娘の魅力に気づかれよ、こっちにこーい』と手招きしておるわ……」

「あ~っ!? まさか耳栓もせずにマンドラゴラを抜いちゃったの~っ!? マンドラゴラの悲鳴を聞いたら頭がアレになっちゃうんだよ、イエヤスぅ! わわわ私は壁を隔てたお風呂場にいたから直撃を受けずに助かったけどぉ! 今すぐ『治癒の魔術』をかけてあげるからね、待っててっ!」

 マンドラゴラの根を引き抜くと、悲鳴をあげる。その悲鳴を直接聞いた者は、衝撃波で脳をやられて気が触れる。異世界においては常識中の常識だが、家康にとっては未体験。一応抜く際に用心はしておいたが、悲鳴は想定外。まさかこんな植物が実在するとは。

 芝の上に倒れ込んだ家康は、タオル一枚で濡れた身体をくるんで慌てて飛び出してきたセラフィナの姿を微かに目に留めながら、

「おお、お餅だ……これが、お餅のようなつるつるすべすべの肌か……ふへ。ふへへへへ。前田殿よ、ともに参りましょうぞ、見果てぬ幼女道へ……ぶくぶくぶく……」

 と、意味不明の妄言を吐いていた。うぇえ~かなり脳がやられてる、間に合うかな? とセラフィナが『治癒の魔術』を家康の頭にかけて、間一髪で家康の理性は蘇った。

 正気に戻ると同時に済ました顔で、

「世良鮒よ、乙女があられもない姿で殿方の前に出てくるでない。俺が前田利家殿のようなねじ曲がった趣味の持ち主だったらなんとする?」

と懇々と説教をはじめたので、セラフィナは「知るかーっ! お礼くらい言えーっ! 風邪ひきそうだから、お風呂に入り直すっ! 薪係をちゃんとやってよね! そのへんの植物を勝手に採取しないっ! 薬の原料集めは私と一緒じゃないとやっちゃダメ!」ときつく家康を叱りつけて、再び風呂場に戻っていったのだった。


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