ハズレ武将『慎重家康』と、エルフの王女による異世界天下統一

春日みかげ/電撃文庫

第一話 01


「うん? ここはどこだ。目映い蓮の花に囲まれた泉の世界だと? 俺は、駿府城で七十五年の天寿を全うしたはずだが……」

『初めまして、徳川家康さん。ここは神だけが立ち入りを許可されている天界の最高次階層、有頂天。そして私はあらゆるマルチバースを管轄している女神で~す♪』

「天竺人か? 俺は慎重な男、自分の名も名乗らぬ神など信用せんぞ」

『……う、ふ、ふ……相変わらず石橋を叩いても渡らないお方ですね~。私の名前はあなたには聞き取れない発音ですので、名乗っても伝わらないんですよ』

「なんとも信用おけぬ」

『まあいいでしょう。おめでとうございます家康さん! あなたは見事に戦国日本を統一する偉業を達成され、東照大権現という神号を得られました! これより、あなたは神です!』

「待て。俺が神号を得たのは、幕府を安定させるための箔付けだ。本物の神になるなどまっぴら御免、辞退する。どうせ生前よりも面倒な重荷を押しつけられるに決まっているからな。海千山千の戦国日本を生き抜いてきた俺には、その程度のことはお見通しよ」

『(ぴく、ぴく。どこまで慎重なんじゃいこの男)……いーえ! 辞退は許しませ~ん! 新米の神が果たすべき義務として、あなたを異世界を救う勇者に任じます。陰キャで英雄らしさ皆無、常軌を逸したドケチ、後世では織田信長に圧倒的な差を付けられて不人気という『ハズレ』勇者ではありますが、神になる条件を満たしてしまったので仕方ありませんね~。頑張って魔王を倒してくださいね~♪』

「うぬう。英雄信長公に百歩劣ることは認めるが、異世界での魔王討伐なんて冗談ではない! この家康、苦労続きの生涯を送ったが、死してなおこれほどの苦難を与えられるとは? いったい俺がなにをしたというのだ!? 頼む、安らかに眠らせてくれ!」

『あなたは天下を統一して神になったんですから、これはご褒美で~す♪ 勇者職は特典盛り盛りですよ? 苦難と捉えるかご褒美と捉えるかは、考え方ひとつですよ~?』

「俺は乱世を生き延びるのに必死だったに過ぎん! 健康と長寿を心がけているうちに、たまたま信長公も太閤殿下も亡くなったので、年功序列で天下人の座が転がり込んできただけだ! 俺はただ慎重だっただけで、そもそも天下への野心などなかったのだーっ!」

『うふふ。六十、七十のご高齢になっても関ヶ原の合戦や大坂の陣で堂々と現場指揮官を勤めていながら、それは有り得ませ~ん♪』

「ほんとうだーっ! 世継ぎの秀忠が致命的な戦下手だったせいで、年老いた俺までやむを得ず前線に出ただけで……天下分け目の関ヶ原の時なんて、総大将の秀忠が遅参して最後まで戦場に現れなかったのだぞ? 頼む。許してくれ、休ませてくれええええ!」

『いえいえ、勇者職こそがあなたの天職です♪ それでは魔王討伐、頑張ってくださいねっ♪』


 四百年に及ぶ戦乱の時代に終止符を打ち、徳川幕府を開いて日本国に二百六十年の天下安寧をもたらした古今無双の大英雄・徳川家康は、実に慎重な男だった。

 慶長五年、天下分け目の関ヶ原の合戦で石田三成ら反家康派を撃破して五十九歳にして事実上の天下人となりながらも、最後の抵抗勢力たる大坂城を陥落させて戦国の世に終止符を打つまでになお十五年をかけた家康の慎重さと忍耐力は驚くべきもの。

 大坂城に籠城する豊臣家を滅ぼして天下を統一した時、家康はなんと七十四歳。

 家康の死は、その翌年。当時の戦国武将としては格段に長命と言える七十五歳。大坂城陥落があと一年遅れていれば時間切れとなり、天下は再び乱世に逆行していただろう。さしもの慎重な家康も、己の寿命がもはや残されていないことを悟り、「気は進まぬがやむを得ん……」と強引に大坂城攻略に着手し、間一髪で間に合わせたのだ。

 その天下の覇王・徳川家康が、駿府城でついに没した。

 枕元には、罪人試し斬りの血に塗れた神剣ソハヤノツルキ。

 どこまでも慎重な家康は、自身の死後も徳川幕府が揺らぐことのなきよう、自らを「神」となして諸国の大名を死後も監視し続ける計画を練った。神となった家康の遺体は、南光坊天海、金地院崇伝らによって密かに久能山へ葬られ、その魂は日光東照宮に「東照大権現」として祀られたのだった。

 三河松平家の御曹司に生まれながら三歳で母と引き離され、六歳で今川家に人質に送られ、その途上で身内に裏切られて織田家へ売り飛ばされるという悲惨極まる不遇な少年時代を経た家康。彼はその後も次々と襲いかかってくる艱難辛苦の運命に耐えながら「厭離穢土欣求浄土」という旗印を掲げて、日本の乱世を終わらせるという重い使命を七十五年をかけてついに果たし終えた――はずだった。

 だが。

 その徳川家康の魂は、死んだ直後に蓮の花が咲き誇る天上界に呼び出され、「女神」を名乗る妙齢の美女から「さあ、次の世界でも勇者としてきりきり働きなさい」と無情にも告げられ、問答無用で見知らぬ異世界へと転送されてしまったのだった……。


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