第3話 -蜘蛛の糸-

 夏休み中の部活は、合宿までは午後開始、合宿後にお盆休みを挟んで再開後は朝から開始となっている。


 今日はまだ合宿前なので、昼の1時半までに音楽室に着けば良いのだが、猛暑の中、宮島口駅から高校へと登校するのは、それだけで大汗をかいてしまう一大イベントであった。


 また昼間は列車が少ないため、神戸と列車が一緒になることがよくあった。


 だが俺はもう、ワザと時間をずらしたりすることはせず、宮島口駅まで神戸を迎えに来ている大村とセットで、さっさと追い抜いて登校するようにしている。


 神戸は神戸で、すっかり大村にベッタリだ。

 付き合いだした最初の頃は、傍から見てても戸惑いが感じられたが、今や立派に大村の彼女として振る舞っている。


 そんな2人を俺1人が追い抜いた所で、何も気にならないだろう。

 たまに視線は感じたが、何か言われることはなかった。

 大村が横から「ほっとけ」とでも言っているのだろう。


 そんな夏休み中のある日、午後から部活に向かおうとしたら、伊野さんと玖波駅で一緒になった。


「上井くーん!」


「あっ、伊野さん!」


 伊野さんから声を掛けてくれた。これは初めてのパターンだった。


「一緒の列車になるのは珍しいね」


「だよね。伊野さんとは多分お互いに、1本早いか1本遅いか、だよね」


 そんな話をしながらホームに入ると、丁度広島行の普通列車がやって来た。


 昼間だから空いているので、伊野さんと並んで座ることが出来た。


「流石高校の部活は違うよね~」


 列車の中で、ミーティングで配られた夏休み練習予定表を見ながら呟いたら、


「でも中学のテニス部もそんな感じだったよ。いや、もっと大変だったかも。夏休みは最初からずっと、朝から練習だったもん」


 と、伊野さんが返してくれた。


 やっとこんなに気軽に喋れるようになった、と俺は感じていた。


 それまではみんなと一緒の時じゃないと、なかなか伊野さんは発言することがなかったが、今では俺と2人だけの時でも、軽い口調で会話のラリーが出来るようになったからだ。


「そうだよね、伊野さんはテニス部だったんだよね。俺、それだけで尊敬しちゃうよ」


「えーっ、なんで?そんな、尊敬なんて大袈裟だよ。上井君だって、吹奏楽部で部長してたんでしょ?その方が尊敬だよ」


「い、いやぁ、偶々やらされただけだし。ずっと室内だし。暑い中、グランドでずっと動き回るテニス部の方が絶対に凄いって」


「そ、そうかなぁ」


 伊野さんがそう言いながら少し照れている。もう少し追い込む場面かな?


「俺は体育が苦手だから、テニスやらせたら伊野さんが圧倒的に勝てるよ!」


「え〜?でもテニスなら、アタシも引退して1年経つけど、簡単に上井君には負けない自信があるよ。今度、テニスしてみる?」


 うわ、なんかいい感じで話せてるぞ!

 列車は宮島口駅に着き、2人揃って下車し、高校へ向かって歩き始めた。

 勿論、楽しく会話しながらだ。


 いつも暑くて汗だくになるだけの登校時間が、今日は爽やかで汗もスッキリ♪

 大村と神戸の2人に対する怒りは、伊野さんといる限りは出て来ない。


 このまま告白まで辿り着けないかな…。


「じゃあまたね、上井君。バイバイ」


 高校の音楽室に着いて、互いのパート練習室へ移動するために伊野さんとは別れたが、その時も照れながらバイバイと手を振ってくれた。


 ここまで来たら、脈アリと思って間違いないだろ?


 俺は浮き上がりそうになりながら、サックスのパート練習室へバリサクを持って移動した。




「お前、最近伊野さんと雰囲気ええじゃん」


 村山が部活帰りに言った。


「そう見える?」


「たまに偶然かもしれんけど、2人で一緒に部活に来とるじゃろ。まあ帰りは基本は松下さんと帰っとるし、そこに俺らが加わることもあるけど、春先と違ってお前と伊野さんの会話が、結構弾んどるなぁって思ってさ」


「うん。俺も何時までも神戸と大村に見下されたままじゃ悔し過ぎる。見返してやらなきゃ、気が済まないしね。最近伊野さんが、結構積極的に話し掛けてくれたり、会話中にワザとボケたりしてくれるようになったんよ。なんか嬉しくてさ。なんとか伊野さんを振り向かせたいんだ」


「そっか…」


 村山は、神戸の本音を聞いているというのもあるが、上井の見下されてるとか、見返してやるとか、そういう考えには、ちょっと違和感を覚えた。そのために伊野さんを無理やり好きになろうとしてるんじゃないか?


「あれ?そんなに嬉しくなさそうだなぁ」


「いや、嬉しいよ。お前が自力で這い上がって来たんじゃけぇ。江田島に行く時、二度と傷付くのは嫌だから女の子は好きにならんって言いよったじゃろ?そこまで落ち込んでたお前が、恋愛に前向きになれたんじゃけ、それは喜ばんとな」


「ありがとう。でもさ、心の何処かに、やっぱり怯えはあるんだ…」


「怯え?」


「酷いフラれ方してるじゃん、俺は」


「神戸のこと?」


「そう。だから、いくら女の子を好きになって、いい雰囲気になっても、両思いにはならないんじゃないかとか、俺が好きなだけで相手は単なる友達としか思ってないんじゃないかとか」


「お前の心の傷って、やっぱりなかなか完治しないなぁ。フラれたのは一回だけじゃけど、恋愛に何処か臆病になっとる。そうじゃろ?」


「否定出来ないよ…。その一度の失恋が、あまりに俺には大きすぎるんだよ。確かに今は、伊野さんを好きになって、過去を振り切りたいと思ってるけど、伊野さんが俺のことを好きになってくれるとは、限らないし」


「まあお前の場合、単にフラれただけじゃないもんな。フラレた後に神戸が真崎とすぐに付き合って、卒業式で目の前でイチャイチャされて、トドメが大村、だろ?」


「大きく言えばその通りだよ。神戸にフラれた時は、俺が不甲斐なかったから仕方ないと思ったけど、その後の展開が酷過ぎる。なんで神戸ばっかり恋愛に恵まれて、俺は何もないんだ?って」


 話している内に、宮島口駅に着いた。毎日暑いが、帰り道は下り坂なので、海からの風が吹き上がってきて心地よい。


「まあ俺は上井が、伊野さんに告白出来るように応援するけぇ、一旦神戸と大村のことは、忘れるくらいの気持ちになれよ」


「忘れるというか、無視してる。神戸は大村のせいで、俺だけじゃなくて同期とはクラを除いて全然喋らんじゃろ。そんな女子はアウトオブ眼中だよ」


 2人は駅の横にあるもみじ饅頭屋で出来立てのもみじ饅頭を買って、食べながらホームで列車を待っていた。


「そこまで酷く言うか…。一応、俺は喋れるぞ?」


「それは昔からの知り合いだからじゃろ」


「まあそうじゃけど、なんかお前、伊野さんを無理矢理好きになって、神戸を無理矢理脳内から消そうとしてないか?」


「…その面があるのは否定できない。簡単に言えば、嫉妬だよなぁ…」


「嫉妬か…」


「何をやっても上手くいく神戸って女子と、何か空回りしてばかりの俺。元々世界が違ってて、好きになっちゃいけない存在の女子だったのかもしれない。だって小学校時代に、既に彼氏がいたんじゃろ?」


「ああ、アイツのことか。根本って名前だったかな。頭が良くてスポーツ万能で、広大付属中に行ったんよ。神戸がソイツから小学校6年の時に告白されて、一応付き合った…ことになるんかな?」


「そんな、俺が束になっても敵わないような頭がいい男子が初彼だったら、俺なんて格下も格下、やっぱり世界が違うんよ。それに悔しいけど大村はイケてる顔だし、勉強も体育も得意。ホルンも嫌だっただろうけど、初心者の割には上達が早いし。俺なんて顔はイマイチ、頭もずば抜けていいわけじゃない。むしろ俺なんかが神戸の元カレ歴にいちゃ、迷惑なんじゃないか、とすら思うよ」


「そんなに自分を否定するなって。ネガティブ満載じゃのう。中学の吹奏楽部じゃ、結構女子からモテてたんじゃろ?特に後輩の女子から…」


「お前もその噂を持ち出すか…。そういう噂だけはいまだに聞くけど、バレンタインにチョコくれた後輩がいたわけでもないし、ラブレターをもらったこともないし。噂が独り歩きしとるだけだって」


「でも吹奏楽部の引退式では、お前が引退するのを寂しがる後輩の女の子が、なかなかお前を離さなかったって聞いたけど」


「幻だよ…。唯一、卒業式の時にボタンをもらいに来てくれた1年生の女の子はいたけどね」


 そこへ列車がやって来て、2人は話しながら乗り込んだ。


 だがその2人の後を追うように、神戸千賀子も2人に見付からないように、同じ列車に乗り込んでいたのには、2人とも気付かなかった。


 <次回へ続く>

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