第4章 夏休み'86-高1-

プロローグ

第1話 -夏のはじまり-

 俺にとっては高校生になって初めての野球部の応援とあって、クラスマッチが終わったその日の練習こそ疲れて大半の部員が休んでいたが、他の1年生も次の日から練習に参加し、当日は球場のスタンドでトランペットを中心に盛り上がった。


 ただ残念なことに俺たちの高校は新設校だからか、野球部もまだ弱小で、なんと5回で13対1という点差により、コールド負けを喫してしまった。


 帰りのバスは重たい空気になっているのかと思いきや…明るい?


 俺は近くにいた、ホルンの織田先輩に聞いてみた。


「なんで明るいかって?そりゃ、勝たれたらまた行かなきゃいけないしね。コンクールの練習がその分出来なくなっちゃうし。でもせめて9回までは行ってほしいよね」


 そういうことか…。


 これが甲子園常連校にでもなれば、違ってくるんだろうな…。


 と思っていたら、何故か須藤部長は俺と野口さんが高校への帰りのバスで、並んで座れるように気を使ってくれた。


(ちょっと待ってくれ…。こういうのを有難迷惑って言うんだよ…)


 本当はカップルではないのだから、あまり一緒にいる所を他の部員に見られたくないのが本音だった。


 野口さんも苦笑いしながら、窓側の席に座り、俺が通路側に座ることになった。


 作戦としては、先に野口さんが座り、後から俺が慌てて乗ったら野口さんの横しか空いてない…という演出を、須藤先輩はしてくれたのだが…。


 結果的に近くに須藤先輩がいることになるので、あまり込み入った話とかは出来ないというマイナス点が生まれてしまい、痛し痒しだった。


 ちなみに数日前に須藤先輩から浴びせられた質問について、俺が作り話で対応した件については、早速その次の日に野口さんに説明し、了解してもらっている。


 全員座っていることが確認され、バスが走り出した。


 すると疲れていたのか、早々に大半の部員が気持ち良さそうに眠り始めた。


「上井君、なかなかラッキーな状況じゃね。須藤先輩も寝ちゃったよ」


 そう言われて見てみると、なんとイビキまでかいていた。


「やっぱ、5回で終わったとはいえ、みんな炎天下で疲れたんじゃろうね、予想以上に」


「そうよね。ね、上井君、最近話せてなかったけど、その後はどう?チカに付けられた傷を治せそうな出会いとか…あった?」


「そうだね…」


 俺は伊野沙織さんのことを好きになったと言うべきかどうか、迷っていた。

 もし言ったとしても、野口さんはそれを責めたりする女の子じゃないのは、分かっている。

 むしろ、応援はしてくれるだろう。


「あるといえばあるし、ないといえばない」


「なにそれ~。もしかして、アタシに気を使ってくれてるんなら、そんなの気にしなくていいんだよ。ほら、後ろの方でも人目を気にせずイチャ付いてる2人組がいるじゃない」


 と、なんとなく煽るような言い方をしてくる野口さん。


(本当にアイツラ、日に日に仲良くなっていってるよな…。多分、神戸の方がどんどん歩み寄っていってるんだと思うけど…)


「もし、気になる子がいるなら、告白して、あの2人を見返しちゃいなよ」


 俺は野口さんのこの一言が決定打となって、野口さんに伊野沙織さんが好きだという決心が付いた。


「あの…」


「ん?」


「引かないでね」


「引くわけないじゃない。誰?アタシの知ってる子?」


「…っとね、クラの…伊野さん。伊野沙織さん」


 俺は本人に告白するわけでもないのに、緊張して顔を真っ赤にして、まだ誰にも明かしたことのない片思いの相手の名を告げた。


 その瞬間、野口さんの顔は色んな感情が入り混じった複雑な表情に見えた。


 俺にはその表情が、


(エッ、アタシじゃなかったの?)


 にも見えたし、


(伊野さん?意外な名前だね)


 にも見えた。


 しばらく押し黙ったままでいると、野口さんはハンカチを取り出し、ちょっと両目を拭う仕草を見せてから、こう言った。


「アタシに宣言したからには、頑張るんよ、上井君!」


 そんな仕草をするということは、もしかしたら…


「…ごめんね」


「なんで上井君からゴメン、なんてセリフが出てくるのよ。アタシは気にしないって言ってるじゃん…。上井君の傷が完治するチャンスなんだもん。早速、単なる同じ中学校卒業の同級生からステップアップするために、まずはチャンスがあればどんどん話しかけるんよ。3ヶ月同じパートでサオちゃんのこと見てたけど、上井君と一緒で照れ屋さんだから、待ってても何も起きないよ。夏休み中にアクション起こして…そうだ、合宿もあるじゃない、上手く利用してさ、コンクールの日に告白とか、出来たらいいね」


 野口さんは一気に俺にアドバイスをくれた。それはまるで、黙ったらそこで泣いてしまうから、喋り続けなくてはならない、と思っての行動のように見えた。


「野口さん、ありがとう。村山より、野口さんの方が頼れる親友に思えるよ」


「親友…。そうね、親友ならお互いどんな立場でも、終わることはない関係だもんね」


 又もちょっと大人な野口さんの微妙な言い回しに、戸惑ってしまった。


 終わることのない関係。


 裏を返せば、恋というのはいつか終わりを迎える関係だ。


 さだまさしさんが歌ってたな、恋には2通りの消え方がある…。一つは心が枯れていくこと、一つは愛に形を変えること…。


 ラッキーだったのは、バスが高校に着くまで、殆どの部員が寝ていて、俺たちのやり取りはほぼ誰にも聞こえていなかったことだ。しいていえば運転手さんくらいか?

 須藤先輩もずっとイビキをかいていたが、誰も五月蠅いとか言わないほど、車内は静かだった。


 挙句の果てに先生まで寝ていたので、高校に着いた時、どうしたもんかと運転手さんが困って、丁度運転席からいい位置にいた俺に、目で合図してきた。


 俺は起きていた者として、運転手さんからマイクを借りて…


「皆さま、長らくのご乗車、お疲れさまでした。西廿日高校、西廿日高校に到着、お出口は左側です。皆さま、お忘れ物のございませんよう、お気を付けてお降りください」


 と車掌の真似をした俺の声でやっとみんな目を覚まし、ウーンと体を伸ばしたり、目を擦ったりしている。

 俺は野口さんと示し合わせて、先にとっととバスから降車した。


 福崎先生も降りてきて、俺まで寝てしもうたのぉと恥ずかしそうに頭をかいていた。


 須藤先輩も降りてきて、俺に


「上手く楽しめた?」


 と聞いてきたので、


「はい、お陰様で!」


 と元気に答えておいた。それを見た野口さんは後ろの方で笑っていたが。


「今日はお疲れさまでした。とりあえず、音楽室に楽器だけは運んでください。楽器を運び終わったら、今日は解散でーす。明日から正式な夏休みですが、明日の部活は午後からです。コンクール、頑張りましょう~」


 と須藤先輩が寝起きの力の入らない声で指示していた。



 一通り楽器を運び終わり、村山が俺に


「上井~、帰ろうぜ~」


 と声を掛けてくれ、その横には松下、伊野と例のメンバーが並んでいた。早速伊野さんと話せるチャンスだ。


「ちょっと待ってね、テナーとバリサクの位置がおかしい…」


 と楽器庫で悪戦苦闘していたら、野口さんが村山に


「ごめん、今日の帰り、上井君を貸して?」


 と頼んでいるのが聞こえた。


「貸す?なんじゃして。まあ上井は俺の所有物じゃないけぇ、上井も聞いとる話なら、大いに貸しちゃげるよ」


「ありがと!どうしても大事な話があってね。ごめんね…」


「じゃあ上井、俺ら先に行っとるけぇ、野口さんとの話が終わったら、追い付けるようなら追い付いてや」


 遠くから村山の声が聞こえたので、俺も大きめの声で分かったよーと返しておいたが…。


 野口さんから大事な話があるとは聞いていなかった。


「ふぅ、やっと片付いたけど…。野口さん、大事な話って?まだ何か残ってたっけ」


「ごめんね、上井君。サオちゃんと帰れるチャンスだったのに」


「いやまあ、それは…。同じ方向だし。またチャンスはあるでしょ」


「そう?ごめんね。あのね、大事な話ってのは、ちょっとここでは言えないの。屋上に通じる階段にきてくれる?」


「あ、うん、分かった」


 野口さんが先に音楽室を出て、俺はまだ残ってる先輩方にお先でーすと言ってから、階段を目指した。

 神戸が大村に対して、告白を受け入れると答えていた場所でもある。


「どしたん、こんな所で」


「あのね、上井君…。これからも上井君とは親友じゃけど、彼氏代理と彼女代理の関係は終わっちゃったからさ、一応ね、ケジメを付けたいなと思って…」


 野口さんは一気にそう言うと、俺に抱き着き、右の頬にキスをしてきた。

 俺は呆気にとられていた。


「の、野口さん…」


「ケジメのキス。ちゃんとしたキスは、サオちゃんとしてね。じゃ、じゃあまたね…。コンクール、頑張ろうね!」


 野口さんはそう言い残し、走り去っていった。


 右頬だけが火傷したように熱く感じる。手でそっと触ると、野口さんの唇の感触が不思議なことに感じられた。


(野口さん…)


 俺は階段に座り、見付からないように、声を殺して泣いた。泣き続けた…。


 <次回へ続く>

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