宇宙怪獣ティホン -食欲-

田中ざくれろ

第1話 ティホンが天の川銀河を食う。

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。

 三三歳の永井乙郎は彼女のファンだ。乙郎は「今度の俺達の時間は、また一気に食われたものだ」と納豆をかき混ぜる。

 現在、人間のコミュニケ―ションはこの納豆みたいなものだ。計時機による粘る情報の糸で未練がましくかろうじて結びつき合っている。

 昨夜、乙郎が寝る前は終末まであと三〇日だった。

 壁の電波時計は終末まであと七日を示しているが、日めくりカレンダーを見るとまだ終末まで三〇日の日からめくられていない。これはめくるのを忘れていたという理由で説明がつくが、その二三日間の記憶はまるでない。しかし本部で演算続行しているコンピュータ・シミュレーションは二三日分の成果が蓄積されているだろう。

 永井家の家族四人は同じ一つ家に住む事もあり、皆「あと七日の終末」を迎えていた。

 今、世界中の各個人は互いにかけ離れた個別の時間に生きている。午後三時を示していた時計がちょっと眼を放した隙に四時半を示しているという様に、時刻を示す物は離散的な進行を見せている。電波調律による一致でもなければ、他人のカレンダーとまるで違うなど珍しくもない。相対性理論の中では運動する各個人の時間が一致しないのは当たり前だが、今回の時間減少は微視的ではなく、非常に大規模で世界中の人間が体感出来るものだった。七日というのが世界滅亡に向かう人間達の現在の平均最終時間だった。

 現在、地球はとてつもなく巨大な宇宙怪獣『ティホン』の腹の中にいる。乙郎はそう理解していた。

 台風の語源であり、ギリシャ神話でゼウスをも倒した怪物の名を与えられたティホンは、あと七日で地球という『情報体』を消化しようとしている。この宇宙で、ではない。裏側の宇宙にいて、乙郎達の地球の時間を浸食しようとしている。規模は天の川銀河以上であるのは間違いない。

 時間を食われきった存在がどうなるかは解らない。点滅して消えるか、突然の老衰死をするか、あるいはこの宇宙での存在記録が痕跡もなく消滅するのか。それとも生きたまま死後の世界へ行き、虚時間宇宙で永遠に凍りつくのか。

 人間がティホンの存在に気がついたのは、暗黒物質と暗黒エネルギーの検出に成功し、宇宙創世の瞬間にしかないと思われていた虚時間が、虚時間宇宙として現在も存在しているのを確信した時だった、

 虚時間宇宙は実情報宇宙の影である。虚時間宇宙という時空は、宇宙の始まりから終わりまで全ての可能性という情報を内包する形で時間順序を無視していた。「宇宙の全情報は既に実態存在化している」というブロック宇宙論の通り、実時間宇宙全体における全情報のクラウドとして付属していたのだ。

 そして実時間宇宙には実体のないティホンは、ホログラフィック宇宙論に適応して虚時間宇宙に潜んでいた。

 虚時間宇宙に時間の「流れ」はない。情報に時間順序がなく、位相のみを違えて実時間宇宙に「重なって」いた。実時間宇宙も虚時間宇宙も「二次元の情報体こそ宇宙の実態である」とされるホログラフィック宇宙論的な厚みのない二次元の平面だ。ただCGの二層のレイヤーが重なる様に位相が独立していて、存在を重ね合いながらも互いに触れあえなかった。

 基本的に実時間宇宙と虚時間宇宙のコミュニケーションは断絶し、重なり合いながらも特例の他に影響を及ぼす事はなかった。

 その特例こそ時間の流れのない虚時間宇宙を壮絶なまでに巨大な鯨の影の様にたゆたう、暗黒エネルギーの塊であり、一方的に実時間宇宙へと影響を及ぼす能力を持つ虚時間生物ティホンだった。

 ティホンこそ実時間宇宙に影響を及ぼす、暗黒エネルギーと暗黒物質の正体である生命体、暗黒の宇宙怪獣だった。

 実時間宇宙と虚時間宇宙の隔たりを電磁気は越えられない。実時間からでは、自分に重なっていてもティホンの姿を知覚出来ない。それが長い間、人類にティホンの発見を遅らせ、暗黒エネルギーと暗黒物質のみを論理的にやっと確認させるに留まっていた。

 ホログラフィック宇宙では、実数と虚数の境界を越えたティホンの暗黒エネルギーは、三次元的には暗黒物質になり、実時間宇宙の全質量の五倍にも達するその作用で実時間宇宙の物理現象に膨大な影響をもたらしていた。

 暗黒エネルギーの塊であるティホンは実時間の情報エネルギー、時間を食うという形で代謝をしていた。

 特例であるティホンは数多の触手をのばした天の川銀河規模の不定形という生命体だ。全身で時間という情報を消化し、触手の先にある口で局所の情報偏在域に食いつくのだ。情報偏在域。それは主に生物、人間だ。真空の時空を食らうよりも人間の複雑な人生の方が情報的に美味なのだろう。

 何事も熟成させたものは美味い。乙郎はそう納得している。

 ティホン以外に生命体が存在しない、時間の流れが凪いでいる情報宇宙の中で、その宇宙怪獣は主観的な疑似時間の流れを作って生きていた。

 時間の中にティホンがいるのではない。ティホンがいるから時間の流れが生じるのだ。

 ティホンは静止した『実時間宇宙の影+集合無意識』である時間順序のない二次元の虚時間宇宙をたゆたい、実時間の情報を食らい、己のエネルギーへと変換し、更に巨大化していった。

 ティホンが代謝して暗黒エネルギーとして発散する質量は、一方通行の重力として実時間宇宙に影響を及ぼして見かけの質量を拡大させていた。それによる時空の歪みを増大させ、時間の不均衡を及ぼしていた。

 それが「ティホンが時間を食う」という地球を含む天の川銀河で起きている時間離散現象である、と乙郎達は理解している。

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