【第二章】『庶民的なセレブ』
その後車に乗り込んだ二人だが、ここで紗弥加が広瀬に疑問を投げかける。
「あの会長さん、会長さんはどうして誰に対しても敬語なんですか? それもすごく丁寧な言葉で、大きな会社の会長さんなんだからもっと偉そうにすればいいのに……」
紗弥加からの疑問の問いかけに広瀬からは思わぬ返事が返ってきた。
「それは違うよ紗弥加ちゃん、誰に対しても偉そうにしてはいけないと思うんだ、特に人の上に立つ者にとってはね。どんな立場の人間であろうと今回の様にこちらからお願いしている事に関してはきちんとした言葉使いをしないと」
「そう言うものなんですか、一つ勉強になりました」
この時広瀬はバタバタしていて何も口にしていない事に気が付いた。
「そう言えば何も食べていなかったね、お腹すかない? 何か食べようか、高木君今から森下さんとこ間に合うかな?」
「そうですね、森下食堂は結構遅くまで開いているので今からなら間に合うと思いますが、これから向かいますか?」
「あぁそうして下さい」
「かしこまりました。そう言う事です石田さん、申し訳ないですが森下食堂まで向かってもらえますか?」
「かしこまりました」
高木の指示により石田は森下食堂へとハンドルを切る。
森下食堂へと向かう車中、広瀬はこれから向かう森下食堂について語りだす。
「これから向かう森下食堂はね、私が若い頃からひいきにしている馴染みの店なんだが食堂って言うくらいだから和食の店だと思うだろ?」
「はい、違うんですか? あたし好きだけどなぁ和食」
「確かに和食も旨いんだがそれ以上にハンバーグが最高に旨いんだ、ほんとハンバーグに関しては絶品と言っても良いくらいだ、紗弥加ちゃんも一度食べてみると良いよ、すごく旨いから」
「そうなんですか? あたしハンバーグ大好きなんです。そんなにおいしいなら食べてみたいなぁ?」
その後車は大通りを抜け、寂れた商店街の近くへとやって来た。
「もうここまで来たか、石田君この辺で良いよ」
「店の前まで行かなくて良いのですか?」
「構わんよ、私も最近運動不足でな、雨もやんだことだしたいした距離ではないが少し歩こう。それに君も車で店の前に行ったらコインパーキングまで行くのに大きく迂回する事になってしまうだろ?」
「確かにそうですが……。ではそこの角まで」
そう言うと石田は商店街の入り口に差し掛かったところで車を止めた。
「紗弥加ちゃん降りるよ、この商店街の中にあるんだ、もう少しでつくからね、ここからは歩くよ」
広瀬は紗弥加に車から降りる様促すと自らも車を降りた。
秘書の高木も車を降りたのを確認した石田は一度自らも車を降りる事となった。
「では会長、私はいつもの所に車を停めてまっていますので……」
「いや車を止めたら石田君も来ると良い、今日は遅くなってしまって君もおなかすいたろ、一緒に食べよう、それと高木君も、今日は私がおごるから」
「よろしいのですか会長」
「なに言っているんだ石田君、これまで私が嘘をついた事があるか?」
「いえこれまで一度たりとも」
「そうだろ? 良いからみんなで食おう」
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えてごちそうになります」
「高木君までそんな他人行儀に、俺たち同級生じゃないか、仕事を離れたら敬語はやめてくれっていつも言っているだろ?」
「そうはいきません。以前の会社を人員整理で解雇されて困っている所を会長に助けて頂いて運転手として雇って頂いたんですから、もし会長に助けていただけなかったら私は今頃家族と共に路頭に迷っていたかもしれません!」
そんな石田の言葉に高木も続く。
「私だってそうです。以前の職場で身に覚えのない不正の疑いをかけられクビになった私を拾って助けて下さったのは会長です、会長に助けて戴けなかったら今頃どうなっていたか……」
「二人ともそんな昔の事まだ覚えていたのか」
「この恩はいつまでも忘れられるものではありません」
高木の言葉に同調する石田。
「私もです、この御恩は一生忘れません!」
「なに言っているんだ二人とも、私の方こそ君達がいてくれて助かっているんだ。これからも頼むな」
「もちろんです、では私は車を停めて来ますので……」
「あぁそうだったな? 頼むよ」
そう言うと再び石田は車に乗り込みその場を走り去っていった。
その後車を降りた紗弥加が辺りを見渡すと、その商店街はしんと静まり返っていた。
(なんか静かな所だなぁ、この時間だからもう店を閉めているだけかな? でも静かすぎる気がするんだけど、こんな所に本当に会長さんが言う様なお店があるのかな?)
紗弥加は思い切って広瀬に聞いてみる事にした。
「もう周りのお店はみんな閉まっちゃっているんですね、どこもシャッターが閉まっている」
ところが広瀬の口から放たれた言葉はあまりにも寂しいものであった。
「残念ながらそうじゃないんだよ、まぁ確かに普通この時間になると空いている店も少ないだろうがここはそうではないんだ。この商店街も以前は客足の多い非常に賑わった商店街だった。ところが七年ほど前近くに大きなショッピングモールが出来てしまってね、その影響で客足が遠のいてしまった。その為営業に行き詰ったほとんどの店が廃業してしまったんだよ、今ではほんの数件が営業するのみとなってしまったんだ」
寂しそうに語る広瀬。
「そうなんですか、なんか残念ですね、これから行くお店は大丈夫なんですか?」
「森下さんは繁盛しているみたいだからね、まだ当分の間は大丈夫だろう」
「そうなんですか、なら安心ですね、ところでこんな時間まで空いているんですか? もう九時半じゃないですか」
「大丈夫だよ心配しなくて、結構遅くまでやってるんだ」
「そうなんですか、ほんと食堂なのに随分と遅くまで開いているんですね」
「そうだな? 何故かは知らないが昔からそうなんだよ、だから私の様に仕事でどうしても遅くなってしまう人たちにとっては助かっているんだ。さあもうすぐ着くよ、そこの角を左にまがって直ぐだからね」
「はい、どんなにおいしいハンバーグなのか食べるのが今から楽しみです」
その言葉通りこの時の紗弥加は非常にウキウキした表情をしていた。
紗弥加たちが角を左に曲がるとすぐにその店はあり、周りは暗い中その店だけがぽつんと明るさを放っていたので紗弥加の目にもすぐにわかった。
「さあ着いたよ、この店だ」
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