第2話後編

怪訝な表情を浮かべたマルセルは後ろを振り返ったけれど、何も見えない。


「……?」


正面を向き直ったマルセルの顔に浮かぶ戸惑いには構わず、カトリーナは真剣な表情で続けた。


「ですから、いらっしゃいますよ」

「…えっ、誰が?」


カトリーナはマルセルの後ろを気遣わし気に見つめた後、マルセルに視線を戻すとにっこりと笑った。


「リディア様が仰っていますよ。浮気は駄目よ、ですって」

「……リディア、だって?……あっ」


はっと口元を押さえたマルセルは、ようやく思い出した。一途で健気で、可愛らしい令嬢だった。今までたった1人だけ、将来の口約束をして…その後すぐに他の令嬢に心を移してしまい、少し揉めたものの、マルセルの中では終わった話になっていた。それから、不幸な事故に遭ったらしいとは聞いていたが…。


「オリヴィア様をご覧になってもわかりませんでしたか?1つ下の妹君のリディア様と、よく似ていらしたでしょう。


マルセル様に棄てられて傷心のまま、馬車の事故に遭われたリディア様を思い、オリヴィア様はずっと心を痛めておられました。


リディア様は近くにいる気がする。

そうオリヴィア様から伺って私が見たところ、マルセル様の後ろにそっと控えていらっしゃるリディア様の姿が確認できました。リディア様の存在を少しでも感じたいと、マルセル様の近くにいらしたオリヴィア様のことを、まったく気付いていらっしゃらなかったのですね」


マルセルの顔から、すうっと血の気が引いて紙のように白くなった。喉がからからになり、マルセルはようやく掠れた声を絞り出した。


「何を言って…?

ということは、まだ彼女はここに…?」

「ええ」

「頼む、早く祓ってくれ!」

「それは不要でございましょう」

「何だって!?」


カトリーナはじっとマルセルの瞳を見つめた。


「マルセル様は何か勘違いなさっているようですね。リディア様は貴方様を守ってくださっているのですよ」

「…えっ?」


「昨年、星廻りが大きく変わりまして、今は、それまでの貴方様の行いの報いを受ける時期に入っています。

そして、貴方様の顔に出ている相を見るに…」


(これは、神官としての言葉なのか?何を占い師みたいなことを…)


そこで、はっとマルセルは友人の言葉を思い出した。

彼女の占いはよく当たると、そう言ってはいなかったか。


「平たく言うと、死相が出ています」

「ひいっ」

「相当に多くの方々、特に女性からの恨みを買うようなことをなさいませんでしたか?」

「……」


マルセルはぶるりと震えた。身に覚えがあり過ぎたのだ。


「運気は相当に落ち込んでいるかとは思いますが、それでも生きていられたのはリディア様が憑いて、いえ付いていてくださったお蔭ですから、感謝した方がいいですよ。まあ、浮気を防ぐくらいは可愛らしいものじゃないですか。

…でも、リディア様を見舞いにすら行かないなんて、そろそろ見捨てられてもおかしくないですね」

「ど、どういうことだ。彼女は生きているのか?」

「左様でございます。リディア様は大怪我を負われたものの、まだ生きておいでですよ。身体はまだ温かさを保っていますが、彼女自身の意思で、魂が身体を離れているのです。

オリヴィア様も、早くリディア様が身体に戻られるよう説得なさりたかったようですが。

私があの時マルセル様に話し掛けたのも、早くリディア様にご自身の身体に戻るよう、お伝えしたかったからなのです。

…まあ、もし戻られていたら、マルセル様は今この世にいらしたかどうか…」


マルセルの口から、声にならない呻き声が漏れた。


「…君は、リディアの居場所を知っているかい?」

「この神殿脇の病院に、ずっと入院していらっしゃいますよ。

ついでに申し上げると、リディア様を大切にするのが運気回復のカギです。そうすれば、今貴方様の顔に浮かんでいる相も変わってくることでしょう」

「そうか。教えてくれてありがとう」

「本当に心を込めて謝罪し、今後も彼女を支え続ける覚悟はありますか?さもないと…」

「ああ。わ、わかっているよ」


病院に向けて全力疾走していくマルセルの背中を、カトリーナは見送った。




(…まあ、嘘も方便っていうし、ね)


マルセルの背中には、もう憑いていたたくさんの黒々とした女性の姿はなくなっていた。カトリーナが先程、聖なる力で祓っていたからだ。


生き霊というのは、あながち誤りではない。マルセルが今までに傷付けた女性の恨み辛みは、マルセルに宿る怨念となり、澱んだどす黒い気を発していた。神官であるカトリーナでさえ、あれほど黒い影を目にすることはまずない。それが彼の尋常ならざる不運を招く原因の一端となっていたことは間違いないだろう。


オリヴィアが、裏切られてなおマルセルを忘れられないリディアに、せめて見舞いと謝罪をとマルセルに近付いた時、彼の背後に渦巻く怨念のあおりをオリヴィアが受けないよう、カトリーナはずっとマルセルを監視し、オリヴィアを見守っていた。…正直に目的を告げれば逃げるだろうマルセルに対して、オリヴィアは遠回しにリディアのことを思い出させようと苦心したものの、結局、失敗に終わっていた。オリヴィアとしては、マルセルと付き合っていたつもりなどなかったのだ。


マルセルの背後に憑いた怨念を祓おうかと、カトリーナは勇気を出して直接マルセルに声を掛けたのだけれど、断られたものは仕方なかった。いささか、言葉不足にはなってしまったけれど。


神官として働き始め、その能力を存分に発揮するようになったカトリーナは、実力と共に自信もまた身に付けていき、その振る舞いも、学生時代とは違っていまや堂々たるものだ。…多少の嘘も真実味を持って語れるくらいには。

ただ、さらに禍々しく成長していた怨念のせいで、マルセルの命がなくても不思議ではなかったのは本当のことだった。



はじめは怯えから、病院で寝たきりになっていたリディアの元に姿を現したマルセルだったけれど、多くのものを失って初めて彼女と真摯に向き合ううち、次第にリディアの美しい心根に気付き、本心から彼女を愛するようになっていった。

リディアは、マルセルが去った後もずっと彼のことを想い続けており、献身的に彼女に尽くすそんな彼を赦し、受け入れた。


それはカトリーナの目算でもあった。

実は、彼女の最も得意とする占いは『相性占い』。

リディアは典型的な駄目男を改心させるに足る包容力と慈愛に溢れ、マルセルとはまたとない好相性だったのだ。もし表面的な浅い付き合いだけでなく、互いに深く知り合ったならば。


その後、2人の結婚の知らせを聞き、リディアの車椅子を押すマルセルの姿を見掛けたカトリーナは、2人の顔に浮かぶ穏やかで幸せそうな微笑みに、そっと口元を綻ばせた。

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憑いていますよ? 瑪々子 @memeco

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