どん欲

菜美史郎

第1話 プロローグ

 時計の針が午前零時をまわった。一台の黒いタクシーが、T県の中心部の繁華街の中を、のろのろした走りで抜け出してきて街はずれの住宅街の狭い路地でぴたりと停まった。


 星々は小さくきらめいているが、月はでていない。

 住宅の明かりはほとんど消え、数本の街路灯が淡いオレンジ色の光を路面に投げかけているだけである。


 一陣の風がさっと通りすぎると、散らばっていた新聞紙がふわりと宙に舞いあがっり、街路灯のライトのひとつをおおってしまった。


 タクシーは、まるでみずからのからだの重さに耐えかねた巨大な虫のよう。

 後部座席には、若い男女が一組。男のぼそぼそ声は、女のキンキン声にねじふせられている。


 しばらくして虫が空に飛び立つように後部座席の両のドアがバサッとひらいた。

 しかし、誰も出てこない。 数分たち、ようやく髪の毛がくしゃくしゃの男がドアから出て、歩道の上に姿をあらわした。

「まったくもう、あいつときたら、頭を爪でひっかかなくてもいいだろうに」


 男はコンコンと、靴音をひびかせ、ゆっくり歩きだした。ふいに何を思ったか、左右をちらりと見ると、通りを横切っていく。

「ちょっと待て、ようすけ。逃げる気か」

 女の怒鳴り声が男の背中に突きささる。


 「逃がすものか」

 女はわき目もふらず、通りを横切った。きゃしゃなからだを折り曲げ、上着から出たほそい二の腕を足首にのばそうとしたとたん、縁石につまずいた。

 わっと言ってよろめき、歩道に倒れこんだ。

 

 

 

  

 

 

 

 

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