第6話.これでお前もクサい奴らの仲間入りだ。
五月半ばの第一回定期考査を終えると、ぼくと中嶋は日曜日の練習にも出るようにとお達しがあった。
そもそも剣道部がほんとうに毎日やってるなんてあんまりだった。国語ではこういうのを青天のヘキレキというんだぞ。と、まあそういう文句は面と向かっては言えないんだけど、ある日ふしぎに思ったことがあって佐伯先輩に質問してみたことがある。
「先輩、剣道部って、新入生向けのチラシには火曜と木曜が定休日ってあるんですけど、これって……」
「あ? そんなこと書いてあんの? ウソだよ、ンなもん」
……ウソなの?
「それと、そろそろ一年は日曜日も練習来なよ。オレらいつも日曜は洗濯やらされてて、大変なんだからさー」
「え、日曜もやってたんですか?」
「当たり前だよ」
当たり前じゃねえよ。
「……え、でもスクールバスって出てるんですよね?」
「出てないって。歩いて行くんだ。もしくは路線バス使うか」
「ええぇぇ」
……ということで最寄りの駅から三十分。これが埼玉クオリティでございます。
初夏の季節、歩いて道場着くだけでも汗がにじみ出てくる。時はまだスマートフォンが出始めたばかりで、ぼくもまだガラケーなんて持ってたころだから、猛暑とか言われるのはもう少しあとの話なんだけど、それでも暑くて学ランなんか着てらんない。そういう季節柄なのでありました。
「一年、雑巾用意しろやッ!」
道場では相変わらず三木先輩が怒鳴るのなんの。ふつうタマキタの中学生は部室は使えず、廊下にあるロッカーに学生服とバッグをぶち込んで着替えることになっているんだけど、三木先輩はちょっとずるくて、高校の先輩方と仲良く部室にくつろいでいたりする。
まあ、それを言っちゃうと北島先輩や飛田先輩も部室を自由に出入りしているんだけどね。実力主義ってそんなもんだった。
「ホラ、湯浅行くぞ。大木も」
「ウッス」
「りょーかい、わかってるって」
そういえば言い忘れてた。地区予選のあと、新しく中一が二人増えたんだ。
片方は湯浅秋彦。ちょっと癖毛で太い黒ぶちメガネをしてる。入部早々、飛田先輩が影で「タコ入道」とあだ名したのを、ぼくは忘れない。口数は少なくてあんまり話せてないんだけど、別に悪いやつではない気がする。
そしてもう一人が大木英之。名前に反して身体は小さい。中嶋と隣になると見るも無惨なくらいに小さい。あと特徴としては髪の毛が柔らかい良いとこの坊ちゃんスタイルなのだけども、なんだろう、この同類感。親近感ではなく、同類感を覚えてならない。
なおどちらも経験者で、道着も防具も持ってたから、中嶋とかとは違って即戦力で、モーレツ稽古に参加している次第だった。
「いーなー、おれもデカくならなきゃ稽古できたのにさ」と中嶋。
「おまえのからだに合う防具だから特注なんだろうな、そりゃ」
「ぶっ飛ばすぞ湯浅」
ギャー、とか、ワーとか言い合う。まあしょせんは小学七年生なのである。
かと言って黙々と先輩命令をこなす傍らで、ぶつぶつと独り言めいたことをやめられない大木も大木で変な人だった。彼はもともとそういうひとらしく、あとから彼の母親から聞いたところによると「座敷わらしとおしゃべりするタイプ」だそうな。
そんなこんなでいつも通りの練習だと思って準備していると、突如玄関からぞろぞろと見知らぬ人たちが大荷物を背負ってやってきたのである。ジャージ姿であるが、ふつうはこの学校では決して見ることのない、女子高生の一団なのだった。
「おう、夏野いるか?」
その後ろからやってきた大柄の男性がいかにも顧問の先生というオーラだった。ぼくは慌てて夏野先生を呼びに行き、タマキタの生徒たちで慌ててお出迎えの準備をした。
「ミヤシュクかあ。そういや今日だったわ」
と飛田先輩がぼんやり言った。
大宮淑徳。略してミヤシュク。女子校で勉強も運動部も両方トップクラスの進学校だった。ただ、それは在校生が文武両道という意味ではなく、勉強がひたすらできる生徒と、運動部でひたすら活躍できる生徒とが、一緒に入学するというからくりでできている。
ミヤシュクの剣道部は、まさにその後者によって構成された驚異的な一軍だった。
つまり、どういうことかといえば、インターハイ優勝とかを平気でするような剣道部ということなのである。
なんでそんな学校がタマキタに来るのか? 理由は大したことではない。我らが夏野先生とミヤシュクの大島先生とが同じ大学の先輩後輩関係にあり、合同練習などをしやすい間柄だったというわけなのだ。
前にも言った通り、男子剣道と女子剣道は公式戦においても、ましてや学校同士で行う錬成会などにおいても、同じトーナメントで戦うことはない。しかし、女子剣道部が男子剣道部と合同練習することで他校よりも練習の精度を上げることはあるし、男子剣道部と言えどインターハイ常連校と戦うことで学ぶことがある。これはそういう取引だった。
……と、飛田先輩からとうとうと説明されるのだが、その目はべつに下心とかそういうものは一切ない冷めたまなざしなのだった。
「いいか、ヤツらを女子と思うな。ヤツらは高校生哺乳類最強だから、漫画で見るような可愛くていたいけな乙女とは別の世界に生きてるヤツらだぞッ」
ところでみんなは忘れてないとは思うけど、タマキタは男子校なのである。それはつまり──小学生時代はさておき──ふだんの学校生活で女子との関わりが一切ないということであり、こういう事態において、どう振る舞えるかがその人の経験値を物語っていると言えるのではないだろうか。
もちろん、その予感は大当たりなのだ。
意外と臨機応変に動いたのは飛田先輩で、彼が的確にミヤシュクの人たちを、さながら道路交通整備のバイトみたいにスムーズに防具室へと案内した。防具室とは部活とは別に体育の授業の一環で使う学校の竹刀や防具が収められている部屋で、その部屋なら扉も〆切にできて着替えをしてもらいやすい。
まあもともとそういう決まりになっているらしかったから、二年生以上の人はある程度慣れてはいたのだろうけど。それにしてもぼくら中学一年生と言ったら、すっかりいつもの調子を忘れて緊張してしまっていた。別に覗きをするとかいうやましい気持ちが出てきたわけではないのだけど、それまで結構いつも通りだと思っていた空間が、なんか違うものに圧されているふしぎな気分だった。
練習は、でもまあだいたい、いつも通りだった。
ちょっと違うことといえば、〝地稽古〟と呼ばれる、短時間で相手を選びながら自由に技を出し合う練習の時間の枠が長かったことだ。他校を招いての練習だから、それはそれで当然だと言ってもいいかもしれないけど、その時間になると、端っこで素振りするしかないぼくらの居場所がなくなってしまう。
第一、彼女たちは高校生だった。
それに対してぼくらは中学生である。
小学生に毛の生えたようなぼくらにとって、高校生はたとえ一年であってもすごい大人なのだった。それは小学一年生から見た四年、五年、六年の世界であって、もっと言えば中学・高校で生きている世界が違う。
そんな彼女たちが高等部の先輩とほぼ互角に稽古をしている。これはちょっとぼくにとってはめまいのするほど凄いことだった。
「次、試合練習」
夏野先生のひと言で、休憩に入った。
全員、面を外す。いつもとはちょっとだけ違う汗臭さが、道場に漂った。
男と女だからと言って、別にイチャイチャしてるわけでも、同級生っぽく会話をするわけでもない。ぼくらは互いをいくら格付けしたところで結局は田舎の男子校生で、要するに土くれだらけの垢抜けないお芋の集まりだった。たぶんさつまいもだろう。
東京に遊びに行くことが渡米経験のように見える埼玉県民(特にお金のない中高生)にとっては、おしゃれや美容はどこか背伸びをしたバカらしさを伴う。おまけにぼくらは駅から離れた男子校だ。しょせん男しかいないじゃんという諦めと、でも下校途中で運命の出会いがあるかもしれないというロマンチックな妄想の間で、ぼくらは日々自分の磨き方を模索する。それは学校では決して教えてくれないくせに、社会に出るにあたってなかなか重要な科目だった。
ぼくは、その重要な科目で大失敗をしたせいで、勉強することを怠っていた側だ。
自慢じゃないけど、小学生時代はモテた。おしゃべりが大好きで、勉強はそこそこできたし、最新のゲームに熱中していた。常に面白い話題に事欠かなかったし、ノートを見せ合ったり、新しい遊びを思いつくこともやっていた。わりとグループの中心でワイワイやる側の人間だったように思う。
それが、急に自信がなくなったのはなんでだろう。
あとから考えると、大きく理由は三つある。
ひとつ目は小学校高学年になるにつれて、みんなのものの考え方が変わったことだ。思春期といえばわかりやすい。ただ、それだけじゃない。受験戦争という大きないざこざに巻き込まれて、勉強ができるやつ、できないやつ、勉強させられるために塾に行かざるを得ないやつ、という格差が生まれた。
ぼくはそのうち、勉強はできるけど塾に行かされるやつだった。だから、だんだん放課後みんなと遊べなくなり、知らない話題が増えていき、疎外された。それまで通りの距離感で仲良くするなんてできなくなってきたのだった。
ふたつ目。これはみんなのからだの変化である。それまで仲良しだった子供たちが、急に女の子と男の子になる。何気なくいたはずの人間の一部が、急にふくらんだり、生えてきたり、ゴチゴチになったりする。この変化は早ければ早いほど、いびつになればなるほど、笑いものになりやすい。
ぼくはその中でいうと、生えてきたほうだ。おまけにそれがとても嫌だった。受験期のストレスで太っていたのもあって、アニメやマンガでよく見る「みにくいデブ」そのものになりつつあった。
だからひた隠しにしようとして、親のシェーバーを借りて濃い部分を削ろうとした。しかしそれをやりすぎてむしろ濃くなった。血も流した。それどころか、なぜか太くなった眉毛を調整しようとして、片眉をごっそり失くした。翌日から付いたあだ名は「まろ」だ。毎週平日午後六時に開始する某アニメの平安貴族風な感じが、まさに自分のヴィジュアルに重なったのだろう。
こういう、かっこ悪い部分を隠そうとしたのが裏目に出て、ぼくは「みにくい」から、だんだん「ダサく」て「キモい」人間になった。この頃から「ダサい」と「キモい」の罵詈雑言が安価で大流行し、廊下で横切るたびに、トイレに行くたびに(だって学校のトイレは臭くて汚くて、使う人間は下品だと見なされていたのだ!)そのレッテルを貼り付けられた。ネットの掲示板やメールでひたすら書き込むような人もいたらしい。ちょうど値札のシールをふざけて貼りまくるようなものだった。それが、午後のスーパーのように値下げのシールとなって重ね貼りしていくにつれて、ぼくらの人としての価値も下がっていったような気がしたのだ。
そして、最後の理由がイジメだ。
「ダサく」て「キモい」人間は、「おれら」でも「うちら」でもない人間は、要するに教室を横切る例のあの虫のようなものだった。見たら騒ぎ、教室が機能を停止し、誰かが退治するまでえんえんと秩序が乱れ続ける──そういう役目を担わされる人間が、少なくともクラスに一人以上出た。そんな時代なのである。
いまはどうなっているかわからない。しかしぼくが小学生の時はイジメで何人も亡くなった(ジサツである)人が出てきて社会問題になっていた頃だ。理由は受験戦争とか、ゲーム脳(ゲームのしすぎで人の傷つくことへのリアリティがなくなる、という感じのことを指す)とか、いろんなことが言われている。ただ、あとになってから考えると、別にそのどれも正しくて、まちがっているように思える。
よく考えてみてほしい。
ぼくたちはすでに、勉強のテストの点数で自分の価値が決まるゲームのプレイヤーであることを強いられている。だから受験戦争のストレスもゲーム脳もまちがっちゃいない。ただ、だからといって受験戦争がなければ、ゲームをしなくなれば、人が傷つくことにリアリティがなくなったかといえばそうでもない。相変わらず見た目や能力やテストの点数で格付けされているのには変わらない。ただぼくらのいる世界そのものがでかいゲームの世界のようなものだったのだ。
それは女の子が男の子を見る目もおんなじだった。テレビで出るような俳優さんに似てるかどうかとか、最新のファッションとかヘアスタイルとかを意識しているのか、みたいなそんな採点基準で、頼まれてもないのにバシバシだめ出しをされていく様は無差別爆撃にも等しい。男の子が女の子を見る目も似たようなものだろう。それでクラスの八割は傷ついてきた。そんな傷を癒す間も無く、親からは勉強しなさい、先生からは提出物を出しなさい、と言われる生活が平和とは決して呼べない。
もしぼくたちが報われる瞬間があるとするなら、〝勝ち組〟になること、それだけだった。
けれども勝ちを決めればそれ以外は全員負ける。当たり前だ。トーナメント表を見てみるといい。最後の一人、それ以外は全員敗者。よく頑張ったと言われたところで、結果が伴わないと見向きもされない。そういうハードな現場にさらされ続けて、生きてきた。
だから、確実に勝てるとわからなければ、やらない。どうやって負けのダメージを減らせるか、それを考えるのがモテなくなったぼくたちの生存戦略だったと言っていい。
ブサイクでした。しくじりました。才能がありませんでした。その他もろもろの沢山の言い訳が、ぼくらを次第にダメにする。もとからダメだったものを「さらにダメ」にしていく。このネガティヴのらせんは「どうせ……」の魔法でくだりのエスカレーターと化していた。ぼくはいま、その手すりに手を掛けながら、それでもなおと上を見ずにはいられない。あそこには何かキラキラしたものがある気がする。そこではきっと、ぼくが小学校時代に放り捨てたいろんなものが取り戻せるはずなのだ、と。
けれどもいまのぼくは無力で、未経験で、未知数だった。
むしろ初心者だと開き直っているからこそ、その未知数に自分を賭けたいと思っていたのだった。
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