ヘタレ剣道一本勝負
八雲 辰毘古
入段以前:歴史を継げない僕らについて
第1話.球はダメだが棒ならイケると思ったんだ。
女の子が怖いから男子校に入った。
運動が苦手だから、運動部に入らされた。
このふたつは交換条件らしい。
少なくとも中学受験で合格した学校のリストを見て、親と話し合った結果がこれだった。とは言っても、よく話すのは母親であって父とはろくな相談もなかった。好きなように選べば良いよ。そういう穏やかで優しいことばづかいで言ったきり。
けれども不安なぼくには、その優しさはかえって毒だった。そもそも運動が得意じゃない。走るのは遅いし、体力も長続きしない。バスケ、サッカー、野球、テニス、etc。全部ボールを見失う。だからせめて文化系の、なんか物理部とか天文部みたいな実験と観察ができる部活に行きたかった。
だからこそ、と母は熱弁する。しかしそう言われて小学生の時に入ったサッカークラブはいやなことの連続だった。球を蹴る前に延々と走らされるし、リフティングだってちっともできやしない。おまけに蹴ったら最後、どこに飛んでいくのかわからない。しまいには泣いてゴネて逃げ出すように辞めてしまった。おかげで地元じゃ仲間はずれで、居ても立っても居られないから、勉強をするしかなかったんだ。
べつに勉強が好きだったわけじゃない。だから中学受験も第一志望に落ちた結果、埼玉
「けれども体育会系は、一回ちゃんとやり通すべきだと思うのよね。おとなになると、ちゃんとやるってことがわかんなくなるから」
文化系が決していい加減な部活動というわけではないはずだ。
しかしぼくはその母のひと言が妙に耳にザラついたものを残していた。いままでぼくは何かに向き合ってやってきたことがあったのだろうか。そんな不安が、過ぎる。
というわけで、ぼくはいま、剣道場の前に立っている。
時刻は午後三時半、帰りのホームルームのチャイムが鳴ったあと、部活動をどうするか騒ぎ立てる同級生を通り過ぎて、武道館にやってきたのだ。
うちの学校では、中等部と高等部とで校舎が別々だ。もともと高校だったのを、中等部を付け足したかたちになるので、ぼくら出来立てほやほやの中学生がいるほうは第二校舎ということになる。
武道館はその第二校舎の裏手から続く
ここで、ぼくがあえて武道館と剣道場を分けて説明しているのは、この学校では武道館の中に剣道場がある、という意味だ。正確には館の中で柔道場と向かい合わせになっており、いまもすでに、紺色の剣道着を着た先輩方と、真っ白な柔道着を着た先輩方が、果たしてこの新入生はどっちに興味があるのかとけん制するようなまなざしを交わしていた。
自慢ではないが、ぼくは背が高いわりに体重がないほうだった。だから、肩幅が広くてどっしり構えている柔道部と並んで、まともに居られる気はしなかった。
選択に迷いはない。ぼくの足が向いた先を見て、柔道着の先輩方はそっぽを向いた。
「見学者?」
紺色の剣道着にスポーツ刈りの頭。いかにもな外見をした先輩が、左手で竹刀を持って、話しかけてくれた。ひとの良さそうな顔が、ぼくの緊張感を和らげる。
彼は道場の入り口傍にある倉庫からパイプ椅子を取り出すと、ぼくに楽にするように微笑んだ。それに甘えて腰掛けたとたん、あとから二、三人やってきた。靴とボタンの色を見ると、ぼくと同じ中学一年生だった。
「あれ、星野じゃん」
「……中嶋か」
中嶋豊。中学生ばなれした背丈。ざっと身長百八十センチメートルと言ったところのこの男は、そのあまりの巨体のために、入学式の初日で席替えを要求されるほどだった。
どうか想像してみてほしい。クラスで頭が二つから三つ、物理的に抜きん出た生徒が名前順で並んだ時、ど真ん中の最前列の机に座った時の絶望感と言ったら──
もはや教壇に立った先生すら、その生徒の後頭部で覆い隠されていたと言えば、もうそれ以上の説明は不要だろう。
結局彼は全会一致でクラスの最後列に追いやられ、結果的にぼくの隣りの席になった。それで親友というわけではないが、よく話すクラスメイトになっていたのである。
「中嶋、剣道に興味あるんだ」
「こう見えても小学四年生のころからやってたんだよね。でも中学受験のせいで辞めちゃったし、防具はもう全然使えないから、即レギュラーってわけにはいかないんだけどさ」
「えっ、なんで?」
「なんで、ておまえよう……」
言ったあとで、ぼくも気づいた。そうか、彼の成長期は予定外のことだったのか。
「……ごめん」
「まあいいけどさ。それにしても、星野こそ意外だったぜ。まさかよりによって剣道とはねえ」
「球技、全然ダメなんだよね」
「あーわかるわ。ダメそうな顔してる」
どんな顔だよ。
「とりあえず運動部に入れ、て親がうるさいから。でも体ひとつでいくタイプのもイヤだったから、ほんとは弓道とかがよかったんだけど。ここにはないから、消去法で」
「お、おう。消去法……」
一瞬言い澱んでから、中嶋は前を見た。
「それで
「どういうこと?」
「見りゃわかるよ」
確かにその通りだった。
あとで聞いた話によると、埼玉北園(通称タマキタ)の剣道部は、全国大会こそ出てないものの、県ではそれなりの実力者を集めてキッツい練習をすると有名だった。埼玉県での常勝校、特に
ちなみに山祥学園はともかく、弥栄浦和に関しては高校がインターハイの常連で、オリンピックとかに出れそうな選手の卵を、剣道部に限らず毎年津々浦々からヘッドハンティングしているということだった。
そんな学校に勝とうとする
何気なく気さくな準備体操、ストレッチが終わるや否や、目にも止まらぬ速さで防具を装着し、学年、偉いもの順かつ早いもの順で横二列に並んで行く。高校三年の部長(兼大将)から高校一年まで。そこで改行して中学三年、中学二年までの合計二十人強がきれいに分かれて整列していくところに、この部活の実力主義と上下関係の厳しさを察知せずにはいられない。おまけに雑談は一切なし。
絶対的な静寂が、ぴんと糸を張ると、ここが生半可な気持ちでやってる部活動ではないことがすぐにわかる。なんてところに来てしまったんだ、と焦ってももう遅い。こうなったら最後、うかつに剣道場から出ることはおろか、微動だにして物音を立てることすら不謹慎だと思わされてしまうのだ。
すでに見学者はぼくと中嶋しかいない。しまった、と思うよりも前に、剣道部顧問の夏野先生が、藍色の剣道着に身を包んでやってきていた。部長がまず最初に気づいて、オッス! としか聞きようがないあいさつをすると、あとから全員が一斉に復唱した。
さながら戦国武将の入場だった。重量感たっぷりの道着姿が年齢とともに分厚く重ねた威厳の上着をかぶって、空気を一変させる。その一歩は何気ないくせに圧があって、静寂に一点の
そんな気を発している先生が、ふとぼくたちのことを見つけると、嬉しそうに顔をほぐす。新入生か、と尋ねる口調はとても親切で他意がなさそうなのに、ぼくたち一年生にとっては首を縦に振る以外に仕様のない場所に追い込まれてしまった感覚に陥る。
経験者かどうか、という質問にしょうじきに答えると、夏野先生はにこにこしながら大丈夫だと伝えてくれた。しかし中嶋の回答には身を乗り出さんばかりの喜びようで、この落差は隠しきれてない。
「うちなら大歓迎だぞ」
この言葉が暗に中嶋に向けられているのは間違いようがなかった。いや、言葉として嘘はないかもしれないが、アプローチが自分にあまり向いてないのははっきりとわかったのである。最初は、ぼくなんてここにはお呼びではないとまで思ってしまったものだけど、こうなってくると話が違う。
第一ボタンまで締めた
その日、ぼくと中嶋は中学生のスクールバスの最終下校時刻ギリギリまで見学してから、帰路についた。翌日にはすでに入部届を出していたのだった。
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