024
「あぁ、母上――と呼ぶべきか? 会いたかったぞ」
ノナイアスが城内を散策していると、ようやく目的であったノーンと巡り会えた。余りにも時間が掛かるようならば、この城ごと燃やして見やすくしようかと思ったほどだった。だがそうなる前に見つかった。
ノナイアスの質問に対する返事はなかった。妙に不穏なオーラがノーンから漂っているのは分かっていたが、別段どうだってよかった。
だがそれがいけなかった。
「……ペトラをどうした」
ノーンが低くつぶやく。ノナイアスは母が怒っていることを理解していなかった。邪魔な娘を殺して、息子が初めて殺すことに悦びを得たのだ。魔王の母としては喜ばしいことだろう。
しかし実際は違う。あれは、ペトラは、ノーンの眷属で所有物だ。ノーンのものでなければ、彼女も怒ることなく笑顔で喜んだだろう。
本来であればレヴォイズがこのことを伝えるべきなのだ。だがそれを怠った。それも原因の一つだ。
「? あの小娘か? 殺したぞ」
「…………死体は」
「灰も残らず燃やしたが」
しっかりとした対等な契約を結んだイリアルとは違い、スキルを貸していただけの眷属。従者。ペトラはそんな位置付けだった。
だからいずれこんな事態が起きるのとは、ノーンも想定していた。だが彼女の中で慢心があったのだろう。ペトラより先に自分がノナイアスと出くわし、最悪を避けられると。
もしもペトラと出会っても、
常にペトラの近くにいて、ノーンが守る気でいたからだ。そうすれば優秀な給仕係であり部下だと紹介も出来たというのに。
「いつ、何処で殺したのだ。……いや、良い。自らで調べよう」
「ちょっ、母上? 何して……」
何を言っているんだこの女は、と言わんばかりのトーンで言うノナイアスを、ノーンは睨みつける。その瞳を浴びた人間であれば、ショック死してしまうほどの射抜くような瞳。
流石のノナイアスもそれを見て体を強ばらせた。そこでようやく彼も《失態を冒した》と気付いたのだ。
滅ぼすべき人間は全て同じに見えるノナイアス。彼にとってペトラはどうでもいい存在だったが、ノーンにとっては全く違っていた。
ノナイアスはそれをも理解出来ていなかったのだ。
「さほど時間が経過しておらぬ……ならばまだ間に合う……」
ノーンのあとを何も言わずについて行くノナイアス。初めて会った母がここまで怒っているのに驚いているのだろう。
1分足らずでノナイアスが先程ペトラを殺害した場所へ到達した。血液すら残らぬその場所に座り込み、ノーンは目を閉じて魔力を張り巡らせる。
この場に残る《記憶》に問うのだ。ペトラがまだ生きていた頃の記憶を。
死者の蘇生は禁忌であり、黒魔術と呼ばれ人間の間ではやっては行けないことだ。しかしながらここに居るのは魔王のその母。彼らに人間のルールなぞ通用しないのだ。
「あった……!」
残留思念とも言うべきか。ノーンは必死にここの辺りに残っていたペトラの魂をかき集め、躊躇もせず魔法を発動した。
空気中に黒い渦が発生し、それが次第に人型を象っていく。暫くせぬ内にその渦は、見覚えのあるペトラへと変わった。
「ペトラ……!」
ノーンは安堵した。笑顔でペトラに触れれば、ペトラも笑って返してくれる。
よかった、と生き返ったペトラを抱き締める。
「おはようございます、ノーン様。本日はいかが致しましょうか? 何なりとお申し付けください」
ピタリ、とノーンが止まった。抱きしめていたペトラを引き剥がし、その顔を見る。
貴族出身が隠せぬ得意気な笑みではなく、屋敷の使用人が向ける営業スマイル。それにわざとらしいあのお嬢様口調も消え去り、完全な従者の口ぶりだ。
そしてなんと言っても命の宿らぬ虚ろな瞳。それを見て全てを察した。
ノーンは血の気が引いた。これはペトラではない。ペトラの姿をしたただの眷属。言わば従順で可愛げのあるアンデッド。
「……ペ、ペトラ」
「はい、ノーン様。そちらの方々はどなたでしょうか? ご紹介頂きたいのですが、構いませんか?」
「…………」
何度聞いても何度見ても、そこに居るのは残留思念から生み出した《別の何か》である。
ノーンは拳を握り、その《何か》を殴り殺した。顔の原型が留めぬほどに何度も何度も殴った。
着せていた服も引き裂いた。ペトラが元から着ていた服だった。完璧に彼女の趣味を再現出来た、と一瞬でも思ったノーンはそれが悔しかった。
「レヴォイズ」
ノーンが呼ぶと、パーティ会場に居たレヴォイズが瞬間移動でやって来る。呼ばれたときのトーンからして、酷く怒っているのは分かっていた。
ノーンの目の前に転がる死体を見て何となく察しを付けた。恐らく自分のミスも含まれているだろう、とも。
「はい」
「そやつから目を離すでない。我は行く」
「どちらに?」
「一時間前だ」
ノーンはレヴォイズの返事を待たずにその場から消えた。彼女はペトラの死ぬ前に戻り、自らノナイアスを止める気であった。
レヴォイズがノナイアスを見れば、跪いてカタカタと震えている。過去の自分が何をされるか不安なのだろう。
(愚かな……。いや、それは私も同じか)
一時間前。
ノーンは無事時間逆行に成功していた。到着すると同時に、この時間にいる自分と連絡を取った。
『む、未来の我か。どうした?』
「これから愚息がペトラを殺す。止めに来た」
『何?』
過去のノーンは久々にここまで怒り狂う自分を見て、その事態の重要性を悟った。過去のノーンは即座にイリアルの居るパーティ会場へ転移し、レヴォイズを連れて未来から来たノーンと合流した。
「の、ノーン様がお二人……!」
「たわけが。興奮しとる場合か。ペトラを探して、馬鹿息子を止めよ」
「は、失礼致しました。では僭越ながら」
レヴォイズは探知魔法展開した瞬間ペトラを発見する。ちょうど出会いまであと数秒。そのまま流れるように瞬間移動すれば、ベストタイミングでノナイアスとバッタリ鉢合わせた。
過去にいたノーンは冷静のままだが、ちょうど未来からやってきたノーンは青筋を立てるほど怒り狂っている。今にも飛びかかり殴り倒しそうなほどに。
「母上――呼ぶべきか? 会いたかったぞ。何故か二人おるが……」
「《黙れ、ノナイアス》」
「う、ご……!?」
ノナイアスはその言葉を聞いたと同時に、床に伏せた。と、言うよりかは頭から床に叩きつけられたと言うべきだろう。
床に亀裂が入るほど強い勢いで《伏せた》のだ。しかも頭をあげられることが出来ず、ノナイアスはそのまま、まるで床に頭を擦り付けて土下座をしているようだった。
「……!? ……ッッ、……!!」
「あぁ、我のペトラよ。何もされておらぬか? 触れられてもおらぬな?」
「え、は、はい。え? ノーン様が二人?」
「我は未来から来た」
「我はこの時間のノーンだ」
「スゴイデスワ、サスガ、マオウノハハデスワネ」
ペトラが理解に苦しみ思考を放棄した。 無事を確認すると、未来のノーンは現行のノーンに、ペトラを預けた。
未だ伏しているノナイアスの前に立つと、未だ怒りがおさまりきらぬ声で言う。
「余っている魔力を我に寄越せ」
「…………わ、かた」
ノナイアスは抵抗も出来ぬまま、ノーンへ魔力を譲渡した。するとノーンは更に不機嫌そうな顔になる。
小さな手でノナイアスの頭をつかみ、自らへと近付けた。
「足りぬ。半分残っておるだろう?」
「な……、全て、取ら、たら、回復に……」
「回復に時間が掛かると? それで?」
「………っ」
ノーンは掴んでいた頭を離し、幼子の足でノナイアスの頭部を思い切り蹴りあげた。子供体だったとはいえ、無抵抗のまま思い切り蹴られれば誰だろうと痛む。
そのまま威圧を解除すれば、力なくその場に倒れた。
相当な力で頭を掴まれていたようで、ノナイアスの頭からは血が滴っている。起き上がれるはずなのに起きてこないのは、ノーンが恐ろしいからだろう。
「貴様の前のノナイアスは、陰湿だったが優秀で物分りも良かったな。今回の《出産》は失敗という事か」
「わ、わだ、す! から、頼、お願……」
ノナイアスはノーンの足にしがみつき、必死に懇願する。ここで機会を逃せばノナイアスは殺されるのだ。
勇者には悪いが、また再び魔王を作り出さねばいけない。もちろんすぐに簡単な代替品を作ることは可能だ。ノーンに掛かれば、人間たちを混沌に陥れることなど朝飯前なのだから。
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