001

 イリアルがソファで休んでいると、腹の底がざわつき始めた。そしてその感覚は徐々に上へと上がってくる。

この感覚をイリアルはよく分かっていた。身体を貸している悪魔が出ていくサインだ。

程なくして、胸に描かれた魔法陣から悪魔がずるり、と這い出て来た。

細く柔らかな金髪に、華奢で小さな身体。漆黒のベビードールで身を包んだ少女がそこにはいた。


 少女の様相をしているが、この悪魔に性別も年齢も関係はない。幼子の姿なのは、この姿であればイリアルに心配がないからである。下手に女性や男の姿を模して変身してしまえばひとたまりもない。

 イリアルは昔に比べると性格も多少落ち着き、よっぽどのことではない限り殺人を犯さなくなった。代わりに女を《食らう》ようになった。

背も伸びてそこらの男と比べても女性達に好まれるようになったから、余計である。


 しかしながら殺すときは遠慮無く殺すようになった。大人になれば罪悪感を覚えるかと思ったが、そうでもなく。今の職に就いて余計に腹の立つ事柄が増えのも要因だ。

 それによりノーンは時々こうして外に出るようになった。この悪魔は死体から取れる魂だけを喰らうという偏食ではあるが、それと同時に少食であった。


「貴様嘘をついたな」

「ノーンにはバレてるか……」


 悪魔に出会ってから、イリアルはこの悪魔をノーンと名付けた。この少食の悪魔は、一人の成人した人間を喰らえば、三日は持つのだった。

そして丁度昨日、裏路地にてスリに目を付けられた。イリアルは殺してしまったのだ。


「よいか、左手は使うでない。もう我は満腹なのだ。吐いてしまう」

「だったら左手だけ能力持ってけばいいだろ」

「む、そうだな」


 ノーンはイリアルの左手をとって、手の甲へキスを落とした。すると、紋様が浮かびあがって、それがノーンへと吸い込まれていく。

ノーンは自身の左手を撫でて、ちゃんと《能力》が戻ったことを確認した。


「あの暗殺者はヒトにしては有能だ。すぐ返事が来るのであろう? 我もついて行ってよいか?」

「服を着たらな」

「ぬん、これはすまん」


 ノーンが指を鳴らすと、ベビードール姿から変化する。シンプルな黒いレースの長袖ワンピースに、黒いストッキング。そして底のある黒のロリータパンプス。

一言で言えば金髪の黒ゴシックロリータである。

 それを見るとイリアルは嫌そうな顔をする。ロリータは彼女の苦手な人種である。……だからノーンはこの容姿を気に入っているのだが。


「そんな格好で私の周りを歩かれたくないね……」

「女に化けたら貴様の餌食であろう。そんなことは御免だ」

「チッ、つまんないな」


 そんな話をしていると、コンコンと部屋の扉をノックされる。そして返事を待たずに部屋に女性が入って来た。

それはまさに、イリアルの好みの女性と言うほかない。スタイルのいい艶やかな美女が入って来たのだ。

 彼女こそ、先程ナナに話していたリリエッタ・ルベルグである。そしてこのギルドに設立当初からいる、数少ない人間であった。


「あら、ノーンちゃん来てたの」

「リリねえ!」


 ノーンはリリエッタの元へ走ってそのまま抱き付いた。リリエッタは「まぁ、可愛い」なんて言ってノーンの頭を撫でる。

ノーンの存在は従業員のほとんどが知っていて、その知っている情報は《イリアルが引き取った親戚》という認識であった。まぁそれも、ノーンの能力で記憶操作をしているに過ぎない。


「あー……、昨日すっぽかしたことか」

「ずっとホテルで待ったのよ」

「スリに遭ってた」

「ちょっと、大丈夫なの?」

「殴ったら逃げた」


 まぁ逃げたというか跡形もなく消えたのだが。この今抱きついている幼女の腹の中に。

リリエッタはノーンの頭を撫でながら「まぁいいわ」と言った。イリアルに惚れ込んだ弱みというわけで、彼女が何をしでかそうが許してしまう。


「リリ、頼みがあるんだけど」

「ナナちゃんのお守りでしょ? 本人から聞いたわ。良いわよ」

「給料はずんどく」

「要らないわよそんなの。また今度ホテルで会いましょ?」


 ウィンクをしてそう言った。ノーンを優しく引き離すと、リリエッタはこの部屋を後にして更衣室へ消えていった。


「この甘い匂い――角にある高級ホテルだ。あの小娘ホテルから出勤しておるぞ。貴様も罪な女だな」

「ハイハイ、悪魔が私に説教か」

「貴様の希望であの女の寿命を伸ばしてやっているのだ。離れぬように繋ぎ止めておけ。そろそろ抱いてやれ」


 それが昨日だったんだよ、とぶつくさ文句を垂れる。ノーンは「殺したのはお前だろう」と突っ込みたかったが、また口論になりかねないので黙っておいた。


 さて、イリアルに心酔している暗殺者からまだ続報はない。退屈になったノーンは部屋にあるティーセットを触り始めた。

人間の飲食物にはこの悪魔にとって無意味な物だが、娯楽の一環として口にすることがある。もちろん味はわかるので、今となってはいい楽しみだ。


 イリアルに「飲むか?」と聞くが、返事はない。この場合は聞き返さずNOと捉えるのが無難だと、長年の連れ添いからよく覚えている。

紅茶を入れてイリアルの座るソファの向かいに腰掛けた。温かな紅茶の良い香りが鼻をくすぐる。一度カフェの紅茶を強請って飲ませてもらったことがあるが、あれとは比べ物にならない。今覚えば泥水のような紅茶だった。

金だけはあるようで、ここにある家具も茶葉も茶菓子も、何から何まで高級品だ。流石大型ギルドの代表だけある。


「! リヴィか? ――あぁ、あぁ。わかった。いや、私がやる」


 どうやら続報が入って来たようだ。ノーンはティーカップを覗く。まだ中身はあるが、帰ってきて冷えたのを飲むのも良いだろう。こんな良い茶葉だ、きっと冷めても美味しいはずだ。最悪の場合は魔法を用いて戻せばいい。

テーブルにティーカップを置くと、イリアルの横へ立った。次いでイリアルもソファより立ち上がる。


 イリアルは掛けてあったロングコートを取り、二人は部屋から出た。

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