その悪魔は美女を抱き、そして死者の魂を貪る。
ボヌ無音
Ⅰ
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「き、貴様、我と契約せぬか?」
イリアルはそんな老婆の申し出を聞いて、気味悪く微笑んだ。血液でまみれたその顔はより一層不気味に見えた。
老婆――悪魔は自ら話し掛けたものの、本当に自身の選択が合っていたのか不安に駆られた。それはイリアルが引きずってきた死体が物語っていた。
とはいえ悪魔が欲しかったのは、その死体である。
「契約? そうすると面白いのか?」
イリアルは、わざとらしく悪魔の前に死体を投げた。悪魔は死体に飛びついたと思えば、左手をその死体へ触れる。
すると死体は黒いモヤに包まれて、そのモヤは悪魔の中へと吸い込まれていく。モヤが全て吸い込まれると、そこにあった死体は綺麗さっぱり消え去っていた。
「あぁ……、久々の人間だ。やはりこれに勝るものはない」
「死んでるけど」
「良いのだ、我は死体しか受け付けぬ」
イリアルは賢い。そして怖いものがなかった。だからこうして目の前で悪魔が死体を喰らおうが、面白いという感想しか出なかった。
まぁ人を殺めて平然としているのだから、狂っていると言った方が正しいのだろう。
「死体が欲しいのか?」
袖で頬の返り血を吹きながら聞いた。というのも、イリアルが今後も人を殺すという予定があったからである。イリアルが今回引きずって来たのは、兄の死体であった。
殺めた理由は至ってシンプルだった。ムカつくから。
たかが数年早く生まれたからと、上から物を言う物だからついカッとなって殴ってしまった。兄は打ち所が悪かったのか、そのまま動かなくなった。
念の為イリアルは数度鈍器で頭を殴り、脈が無くなったのを確認して家の裏山に引きずって来たのだ。
「あぁ……」
「手を貸そう。だからお前の力を私に貸せ」
お前の持つ全てをだ、と。
*
「困ります……」
ここは冒険者ギルド。クエストボードに、食堂、休憩所。今も行き交う人々で賑わっている。
そしてここ、受付カウンターも。
受付嬢の一人であるナナ・オレンジは困惑していた。彼女の可憐さからすれば、男に声を掛けられるのは日常茶飯事だが、今回の男はそれを超えた鬱陶しさであった。
一日に何度もカウンターに現れ、クエストを受注するわけもなく何十分と占領する。しまいには長蛇の列が出来てしまうのだから、困りものである。
「いいだろ? 飯食うだけだよ」
カウンターに肘をついて彼女を見つめる。接客というのも忘れて、ナナは顔に「やめて」という表情をモロに出しているのだが、彼には伝わってないようだ。
しかもこの男、計算しているのかスタッフが薄い時間帯をめがけてやってくる。そのため余計にナナは席を外しづらく、ここにいざるを得ない。
一瞬だけでも二人きりになるケースがあり、ナナはこの状況を上に報告すべきか悩んでいた。
「なぁ、一回だけでもさぁ」
男の右手が動いた。ナナの体へと近づいていくのが見て取れる。
ヒュ、と息を呑んだ。彼女の中では「生理的に無理」と断定された男が、彼女に触れようとしている。
その時だった。
「すみませ~ん、なにかお有りですかぁ?」
ニッコリと笑顔を浮かべた人物が一人。ナナの背後から現れたと思えば、彼女の肩を引っ張って自分に引き寄せた。
ボサボサのロングヘアを一本でしばり、大きなメガネを掛けた、長身の人物。
ナナはその人物に気づいた瞬間、先程の表情とは一転した。まるで恋をする乙女のような顔へと変化し、それはカウンターにいた男にも伝わる程であった。
もちろんその不審者が、突然現れただらしのない男を放っておくわけがない。
「誰だよアンタ。ここの責任者か? 俺達の邪魔をしないでくれるかな」
「俺達? ……はぁ、お前、ナナの友達でもないだろ」
「あぁ!? こ、これから恋人になんだよ!」
「キッショ。ったく。なぁ、《ここから出ていけ》」
べ、と舌を出すと、舌の上に魔法陣が現れる。と思いきや一瞬で消え、元の舌へと戻っていった。
男はといえば、その魔法陣を見た瞬間ぐらりとめまいに襲われ、カウンターから二歩、三歩、と退いていく。
頭を抱えながら「うぅ……」なんてうめきつつ、どんどん後ろへ後ろへと歩いていった。最終的には、カウンターに背を向けて、外へと走り出して消えていってしまった。
ナナとその突然現れた人物は、消え去っていく男を見送りながら、再び仕事へ戻る。
「ナナ、何かあったら呼べって言っただろ」
「も、申し訳ありません。イリアル様……」
「まぁいいや……。念の為、明日からはリリエッタと一緒にするから」
そう言いながらカウンター裏に消えていく人物を、ナナはただ見つめていた。
この男――もとい、女は、冒険者ギルド《
178cmの長身に、女性にしては低い声から男性と見間違われることも多いが、正真正銘の女性である。とはいえ、恋愛対象はほぼほぼ女性だし、なんなら男も抱くのではないかと噂されるほどである。
ザザ、とノイズがして通信が入る。音の発生源は首に掛けているネックレスである。
いつぞやだったか記憶はなかったが、イリアルに惚れ込んだ魔術師が作って複数個置いていったものだ。アクセサリーを模した形状をしており、イリアルの手に渡ってからさらに改良と量産を施された。
今となってはギルドの通信機器として機能しており、現代さながらの便利さだ。もちろん他企業に漏洩などするものはいないし、しようものならイリアルの手でこの世から消されるだろう。そう、
『イリアル様』
「よう、リヴィ」
『あぁ、そんな! 俺とイリアル様の仲ですから、是非リヴァイアサンと……』
「やだよ。そんなダッサイハンドルネームみたいなの呼びたかねぇ。とっとと用事を喋って消えろ」
イリアルにそう言われると、通信を送ってきた男はぶつぶつ言いながらも要件を喋り出す。
内容は先ほどの無礼な男をどうするか、という問いだった。
イリアルは自室である書斎へと入る。見た目の割には片付けられた部屋を歩いて、デスクに辿り着く前に客用のソファへと腰かけた。
「んー。別に私はそんなにムカつかなかったし……。また次来たら消すよ。素性とか調べられる?」
『お任せくださいイリアル様!』
「キモ。じゃあな」
通信を切ると、イリアルは首にしていたネックレスを荒々しく外してローテーブルへと投げた。そのまま反動で床に落ちていったが、イリアルは拾おうとしない。
頭を抱えて深くため息をついた。
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