第28話  狐と狸の殺し合い

 三日後。

 夜を徹して、と言うより緊張で眠れなかった分を移動に費やしたために、日の出前に隠し通路の出口裏まで辿り着くことができた。


 今まで窮屈そうに身を屈めて歩き続けていたログスが立ち止まり、立ち膝のポーズを取る。メフルが呪文を唱えると鎧の上半身が分解して口を開き、中からロクサーナが這い出してきた。

 ロクサーナは、メフルが小さなリュックから取り出したバスタオルで緩衝剤の粘液を拭き取ると、俺が背を向けている間に裾の短いドレスと革製の胸当てを身につけた。


「そんなもの、どこに隠し持って……」


 俺の疑問に、ロクサーナは短く笑って答えた。


「メフルは機織夢魔キキーモラ。全ての家事道具と繊維は彼女のしもべなのです」


 つまり、タオルやドレスの生地自体を限界まで圧縮して収納していたか、今しがた一瞬で織り上がったか……ってところだろう。

 次いでメフルは、ログス鎧のバックプレートからドーナツを真っ二つにした形の部品を二つ取り出す。鞘のようだ。中身は恐らく、反りがきつい曲刀が二振り。


「これを持っていると正体がばれてしまいますので、今までずっとしまっていました」


 恭しく捧げ持つメフルから曲刀と剣帯を受け取ると、それを身に着けた。

 鍔元と柄頭には精緻な花の彫金が巡らされており、それだけで一個の芸術品といった佇まいだ。まさに皇女の帯剣。


「名を『百合のショーテル』といいます」

「清楚だ! 可愛らしい!」


 左右の腰にショーテルを下げたロクサーナの姿は、武具の美しさも相俟って戦乙女のようだ。

 【百人の賢者】が強力なマジックアイテムであることを伝えてくる。


「そのショーテルは、どんな力を持っているんだい?」

「除血、除脂、鋭利化、耐久、防錆、わたくし限定の軽量化」

「…………?」


 思ったより普通だな。皇女の武器だからもっと派手な特殊能力があるのかと思った。にしては魔力量が大きすぎる気がする。

 考えが顔に出ていたのか、俺の顔を見たロクサーナが精一杯妖しく微笑んだ。背伸びして大人ぶろうとしているところが可愛らしい。


「思ったよりも普通でしたか? ですが、この武器には両親とメフルしか知らない恐るべき特殊能力があります。それは……」

「それは……?」


 生唾を飲み込む音が鼓膜に響いた。

 俺の緊張した表情を確認したロクサーナは、満足して口を開く。


「それは……『二振りのショーテルの間に挟まった男を確実に斬殺する』能力」

「うっ……」


 百合ってそっちかっ!

 雌雄一対の剣というのがあったが、これは雌雌一対の剣。

 まさに百合。

 間に挟まった男には死を、だ。


「確かに、恐ろしい……」

「挟まってみるか? たとえ勇者でも免れえんぞ」

「やめときます……」


 しきりに俺を間に挟めようとするメフルの誘いを丁重に断った。

 残念がるメフルを後目に【顕術けんじゅつ】でフード付きマントを三枚創り出し、銘々に配る。三人ともよくも悪くも有名人だから、隠さないわけにはいかない。


 準備を終え、三人で頷きを交わし合うと、正面の石壁に力を込める。それは小さな軋みと共に外へ開いた。

 前庭への小径は植栽によってそれとなく隠してあり、俺たちが出てきたことに気づく者はいなかった。何やら演説が行われていたことも、俺たちから視線を逸らすのに一役買ったようだ。


「……運よくことなきを得た私は、帝国が無為に瓦解するのを座視するに忍びなく、選帝会議を招集した」


 この声は忘れもしない……『貨の王』ガシェールムだ。

 前庭に出ると、真っ先に目に飛び込んできたのは、空中に浮かんだスクリーンだ。映画館並みの大きさがあるそれは、空撮のような映像を表示している。

 スクリーンが見やすい位置には仮設のステージが組まれていた。

 ステージ上に二つ並べられただ玉座のような椅子の前に立っているのはガシェールム、そして……エルナール王だ。長身のガシェールムは、ひと月前に見たときと同じ、体格より明らかに大きな黄色い鎧を身に纏っている。頭半分ほど背の低いエルナール王は、年相応に多少の肉がついてはいるが、黄金の板金鎧をきちんと着こなしている。

 周囲にはエルナール兵。数は……百人ってところか。

 国王の近くには、宮廷魔術師団のローブを着た者が一人侍っているだけだ。あいつは……フェリオロ! 随分ご立派になったじゃないか。

 ガファス兵は……出入口や門に数名いる程度で、残りは煌びやかな衣服を纏った貴族や文官のようだ。ガシェールムが一人勝ちしたこの状況を喜んでいる者、作り笑いを浮かべる者、苦虫を噛み潰したような顔をしている者……めでたい席を演出しているようだが、内心は様々なようだ。


「随分と警備が手薄だな」

「やはり……父が亡くなって、エルナールに譲歩する事態になったのでしょうか?」

「…………」


 訝しむロクサーナとメフル。

 ガシェールムは大袈裟な身振りで演説を続けている。


「しかし! 誰一人として選帝会議に来る者はおらず、ロクサーナ皇女殿下も行方がわからずじまいだった。そんな時、私を次期皇帝に相応しいとお認め下さったのが、こちらにおわすエルナール国王、スヴォルターⅦ世陛下であらせられる」


 演説を聞いていたメフルが、拳を握りしめている。


「エルナールに認められてガファス皇帝? それではエルナールの属国になるのも同じではないか……!」


 彼女の声は俺とロクサーナにしか届くことはなく、ガシェールムはスクリーンを指差しながら演説を続けていた。


「ガファスの混乱を鎮めようと大軍と共にお出まし頂いたが、私を皇帝の器とお認めくださり、軍事力による混乱の終息という事態は回避されるに至った。私はガファスを代表する者の一人として、エルナール王に感謝の意を示し、国土の南東に位置する地峡地帯へのエルナール人による入植を認めた。東方防衛の要である地峡地帯をエルナール軍が固めれば、我が国は安泰である。だが、なにぶん我が国に従わぬ強力な魔物や賊が跳梁跋扈する地帯であるため、親政に従軍していたエルナール軍、五万のうち八割がこれの討伐のため、南東の農業地帯へと移動している。見よ!」


 ガシェールムがスクリーンを指し示すと、そこに軍の移動風景が映し出された。海沿いの街道に向かうため、斜面になった麦畑を突っ切って四万のエルナール軍が下っている。大方、ガファスの皇帝になることを認める代わりに、領土を割譲するとでも取引したんだろう。


 映像は徐々にアップになる。

 エルナール兵が除草作業をしているゴブリンを見つけ、槍を構えた。

 まずい! エルナール人にとってゴブリンは討伐対象の下級モンスターに過ぎない!

 兵の槍が持ち上がり、背を向けたままのゴブリンの背中へ一直線に突き込まれた。


「っ!」


 ロクサーナが息を飲む。

 次の瞬間、ゴブリンの身体が爆発した。

 衝撃波が映像を揺らす。

 数十どころではない兵が砕け散り、その数倍の者が薙ぎ倒される。

 穂波の内から次々とゴブリンたちが頭を出し、油断しきったエルナール軍の隊列に襲いかかった。

 音のない爆発が続けざまに起こり、エルナール軍は混乱の坩堝に叩き落とされた。


「おやおや、臣民とモンスターの区別もつかない兵がいたようで」

「ガシェールム、貴様……!」


 いきり立つ国王。

 対して、ガシェールムは泰然として椅子に腰掛けた。


「お、ここからが面白いところですぞ」


 画面を注視するガシェールム。

 そこでは、壊乱するエルナールの師旅に、急に現れた直径数メートルの大岩が転がり込んで隊列を千々に引き裂いている様子が映し出されていた。


「無生物である岩なら、ある程度大きくてもちょっとした転移魔法でどうにでもなります。農業地帯は海に向かって斜面になっているから、位置と時間さえ合わせてやればあとは転移した岩が勝手に攻撃してくれる、というわけです」


 メフルがロクサーナに小声で説明する。


「でも、臣民が苦労して育てた作物にあのような仕打ちをするなど……」

「実に合理的……一片の情もない合理性です」


 作戦について説明している間に、エルナール王がいきり立ってガシェールムに詰め寄った。


「このように卑劣な裏切りをして、貴様も国も無事で済むと思っているのか⁉」

「と、申されますと?」

「城内にエルナールの精鋭を百人も招き入れているのだぞ。城外にもまだ一万の無傷な兵が待機しておる。これだけいれば、内外から呼応してガファス城など容易く落としてみせるわ!」

「いや、むしろたった百人で陛下をお守りできるものか、見ものですな」


 自信を見せるガシェールムに、これまた嘲笑を浴びせるエルナール王。

 キツネとタヌキの化かし合いを、ステージ下の貴族たちとエルナール兵たちは、ただ見守っていた。


「ゆえに取引の折、前庭の人選について門番以外を文官にさせたのだ。帝位の代わりにこちらの指示に従うという誓いを立ててもらったが、首を差し出したも同然よ」

「ふむ、スヴォルター陛下は聡明でいらっしゃる。だが残念ながらガファスは純粋な文官というのがとても不足しておりまして……やむなく武官に文官の服を着せておりました」

「なっ⁉」


 国王が絶句する。と同時に、フェリオロが国王の肩に寄りかかっていった。


「ぶっ……」


 無礼な、と言いかけた国王の肩にフェリオロがしなだれかかる。

 国王の顔面が蒼白になる。

 フェリオロの口角から血が滴り、腹からは剣先が突き出していた。


 同時に周囲の貴族や文官たち――いや、そもそも変装した兵士だったのかも知れない――から殺気が漏れ始めた。男は懐から、女はスカートの裾から短剣を取り出し、エルナール兵に飛び掛かる。

 不意打ちを喰らった百人のエルナール兵は為す術もなく百体の屍になった。


「おのれぇ!」


 エルナール王はフェリオロの死体をガシェールムの側近に向かって突き飛ばす。側近がたたらを踏んでいる隙に抜剣するとフェリオロごと串刺しにした。


「やりますなあ」

「舐めるな、魔族風情が!」


 肩を竦めるガシェールムに、国王が返す刃で斬りかかる。

 殺気を纏った剣が振り上げられ、ガシェールムは肩から真っ二つに……ならなかった。


「どうしましたかな、陛下?」

「が……」


 国王が呻く。その胸当てには金属の杭が四本、深々と突き刺さっていた。


「ガシェールムの鎧は、全体に武器が埋め込まれています」


 ロクサーナが囁く。

 ガシェールムの黄色い鎧はやけに盛り上がりやダクト状の穴が多いと思ったが、それらに全て武器が隠されているということか。


「舐めるな、人間風情が」


 国王をステージから蹴落とすガシェールム。静まり返る前庭を睥睨して、奴は口を開いた。


「皇族はあらせられず、万が一の事態に皇帝を引き継ぐ『王』も、私一人となってしまった。眼前には未だ一万のエルナール軍が布陣しており、今や我が国は絶体絶命の状態である。この危機に対するにあたり、私は皇帝の地位を引き継ぐ権利を有する唯一の者として、今ここにガファス皇帝に即位することを宣言する。異議ある者はいるか!」


 静まり返る前庭。

 ガシェールムの表情筋が笑みに耐えている。


「ではここに、皇帝の血筋ではないが、先帝の支配の象徴である皇后マハスティを処刑し、その血を新体制の発足へ捧げたい!」


 ガシェールムが両手を斜め上に挙げると、前庭に磔台が運び込まれた。女性が括りつけられ、頭には袋を被せられている。

 あれが……皇后か!

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