第26話  チート勇者復活

「その、勇者のアイテムとやらは……これか?」


 声は意外なところから上がった。

 知らない人のクレジットカードでも拾ってしまったかのような困惑した表情を浮かべて【百人の賢者】を眺めていたのは、メフルだった。


「え? ……そうそう、それ」

「メフル、お手柄です! でも一体どうやって手に入れたのですか?」


 メフルの手元に兜を寄せるログス。

 メフルは賞賛の言葉に頬を僅かに染めた。


「いえ……ガシェールム様が『何かよくわからないが、勇者の身体から生成された宝だ』とか仰っていたものですから。他の『王』を蔑ろにする振る舞いが気に入らなかったので、偽物とすり替えておいたのです」

「何て大胆な……」

「だけど、起死回生のアイテムだ」

「さ、メフル。そのアイテムをカイに!」


 ログスが促す。

 だが――と言うか案の定と言うか――メフルは【百人の賢者】を握って動かなかった。


「しかし……渡した途端に我々を裏切るという可能性もあります」

「メフル、そんなことを言っている場合じゃありません!」

「ログス、待って」


 言い募るログスを制する。

 メフルとは誤解を解かねばならないと思っていたから、いい機会だ。

 『緑の軍』とモルサル一派が睨み合う中、敢えて剣を鞘に戻す。できるだけ敵対しない態度を取って、メフルに正対した。


「メフル。君は俺を『クソ人間』と呼ぶけど、俺はもうエルナールからも見捨てられた人間だ。それに、ログスと『緑の軍』のみんなのことを守りたいと思っている。【百人の賢者】があれば、目の前のアンデッドにきちんとした死を迎えさせることができると思う」


 メフルは【百人の賢者】を握りしめたまま俺を睨みつけている。

 構わず話を続ける。


「敵から放り出された人間の一人くらい、アイテムでも持たせて死地に放り込んだって、損はないんじゃないか? あわよくば敵を撃退できるかも知れないし、悪くても君の言う『クソ人間』を一人減らすことができるぞ?」

「メフル……」


 横でログスが巨大な甲冑でお願いポーズをしている。

 メフルが大きな溜息を吐いた。


「小狡いな、クソ人間」


 そして彼女は、【百人の賢者】を差し出した。


「……ありがとう」


 メフルの指に触れないよう気をつけて、【百人の賢者】を受け取る。

 懐かしいチートアイテムの姿を一瞬だけ確認すると、首の後ろから服の中に手を入れ、肩甲骨の間にあるスロットに【百人の賢者】を差し込んだ。体内の魔力の流れに規則性が生まれ、百の魔術を扱うためのプログラムが再インストールされていくのが感じられた。





 ――今、勇者の力の全てが俺の元に戻った。





 敵陣を振り向く。

 モルサルは赤い衣が破れた両腕を誇示しながら、無駄にふんぞり返っていた。


「別れは済ませたかぁ? それではいよいよ、吾輩の可愛い……」

「ホーリー・ワールウインド!」


 不快な雑音が終わるより早く、長柄ブロードソードを抜く。

 スキルを発動させながら袈裟懸けに振り下ろす。

 若干の光を帯びた鎌鼬が、密集陣形をとっていた数十体のカースド・ゾンビとスケルトン・ウォーリアを斜めに切断していく。

 その先、正面の奥に控えているのはモルサルだ。


「ぐごぁ!」


 モルサルが胸に斜めの切り傷を穿たれ、ヒキガエルのような悲鳴を上げる。さすがは『杯の王』、真っ二つになったりはしない。


「馬鹿め、どこを斬っても無駄……おや?」

「無駄かどうか、試すのも面白い」


 呟くと同時に、モルサルの輿が傾く。

 モルサル自身は耐えられても、輿と、それを担ぐスケルトン・ウォーリアは耐えきれなかったようだ。


「う……うおぉっ⁉」


 モルサルが間抜けな悲鳴と共に、今しがた砕け散った真っ赤なスケルトン・ウォーリアの残骸の上に落下する。無様な姿を晒させた俺に対してブチ切れるのかと思ったが、奴は今それどころではないようだ。輿から落ちたことなどなかったかのように立ち上がると、肩から脇腹に向かって斬り裂かれた傷口を両手で抱きすくめている。


「なぜだ! なぜ傷が塞がらないっ⁉」


 モルサルの尊大な表情に初めて焦りの色が滲み出す。

 逆に俺の方は気持ちに余裕が芽生えてきた。


「アンデッドだもんな。そりゃあ聖属性に弱くなるさ。駆け出しの冒険者でも知ってる……ホーリー・ワールウインド!」


 唐竹に振り下ろした刀身より放たれる、たっぷり魔力の乗った鎌鼬。空気の刃は光を纏って飛び、モルサルの左腕を再度切断する。軌道上の魔物たちもついでに縦割りだ。


 この世界での聖属性は、三龍神の加護と言うよりは自然の摂理を強制する属性だ。その力はアンデッドのような自然ならざる存在を否定する。普通の生きものに効果の向上は見込めないが、不死の魔物などへの威力は絶大だ。


「ホーリー・ワールウインド! ホーリー・ワールウインド! ホーリー・ワールウインド! ……うん、いい調子だ」


 四筋の鎌鼬がモルサルの軍を駆け抜け、アンデッドの行列をまるで枯れ草や水風船を砕くようにあっさりと薙ぎ倒していく。


 チート持ちのチートによるチート的暴風が過ぎ去った後には、海を割ったような直線道路が現れた。

 左右のアンデッドたちは聖属性の魔力が通り過ぎた跡に進入できず、呆然と立ち尽くしている。

 その終点には、両腕と両脚を切断され、腹と顎でもがくモルサルの身体が転がっていた。


 俺は、無人の直線道路に足を踏み入れた。干からびたゾンビと砕けたスケルトンを踏まぬよう、モルサルの元へと向かう。もしかしたら、薄笑いを浮かべていたのかも知れない。


「く……来るな!」


 先程の威厳はどこへやら、モルサルは尺取り虫のように身をくねらせて俺から遠ざかろうとする。だが、心も身体も畜生以下の虫けらのようになったモルサルに追いつくのは容易かった。


「い……嫌だ。吾輩は『死者の種』の力で生と死を超越した存在になったはず……!」

「そう悲しむなよ。自分からアンデッドに生まれ変わって、アンデッドとして死ねるんだ。本望だろ? 無理矢理アンデッドにされた人たちに比べればな!」


 モルサルに向けて左の掌をかざす。魔力を集中させ、【百人の賢者】から然るべき魔法を呼び出す。そして……


「『永眠ファイナルレスト』!」

「た……たひゅ……」


 掌から溢れ出す、凶暴なまでに暖かな光。

 その光に照らされたモルサルは、砂の城が波にさらわれるように、さらさらと消え去っていった。


「……あの世で師匠とフォリックに土下座して謝れ」


 モルサルが倒れていた地面を見るのも不快だ。俺は踵を返すと、『緑の軍』が籠もっている館の門へと戻った。

 俺が『赤の軍』の親玉を倒して……文字通り消し去ってきたという事実に暫し呆気にとられていたサマンだったが、我に返って手刀を振り下ろした。


「か……開門! 皆であの哀れな屍に安らかな死を与えるのだ! 突撃!」


 緑の軍が門から吐き出され、右往左往していたカースド・ゾンビとスケルトン・ウォーリアに飛び掛かっていった。





 夕刻。

 モルサルが引き連れてきたアンデッドの群れを殲滅するのに数時間、それらを浄化して焼却するのにまた数時間を要した。

 残念ながら掃討戦の折に数人の戦死者を出してしまったのだが、彼らを弔うのはアンデッドの処理が終わった後になってしまった。


「何とか日暮れまでに葬式までやれたな」


 元の世界風に手を合わせ終えると、隣のログスを見上げる。


「はい。アンデッドと夜戦をせずに済んだのはカイのお陰だと、みんな感謝しています」


 巨体に似合わない繊細な仕草で祈りを捧げていたログスだったが、俺とほぼ同時に祈りを終え、野太い声でふふっと笑った。


 モルサルを倒した俺は、門を出たときとは打って変わって歓声と共に迎え入れられた。

 穀倉地帯を蹂躙し、『緑の軍』とアルドを散々侮辱したモルサルを返り討ちにしたことはもちろんだが、帝国の重鎮を殺す行為を国外の者が肩代わりしたというのも大きかったようだ。

 帝国に五人しかいない『王』の一角を害するということは、地位やその他のしがらみに縛られてしまうガファスの民にはおいそれとできることではない。それを俺が実行したことで『緑の軍』は手を汚さずに済んだということだ。


「何にせよ、ログスの敵が一人減ったということは確かだね」

「ええ。残すはガシェールムのみ。ですが、わかっているのは彼が賢く狡猾であることと、武器への魔力付与を得意としていることぐらいなのです。本当の姿すら誰も知らないといわれています。ですが……」


 ログスは一瞬、もじもじする仕草を見せたが、すぐにそれを隠して向き直った。


「まずは今日の勝利を祝福しましょう! 今夜は食事をわたくしの部屋に運ぶよう、指示を出してあります。カイも一緒に夕食をいただきませんか? ……メフルも一緒なのですが……」

「……食べる?」

「ええ」


 それだけで理解した。

 ログスは今夜、鎧を脱いで俺と食事をすることを望んでいる。親同伴のデートみたいなもんだ。

 断る理由はない。


「ご一緒させていただきます、閣下」


 恭しく頭を下げると、ログスの巨体は小躍りした。


「うれしい! 今夜の楽しみが一つ増えました。では、お待ちしていますね」


 ログスはドスンドスンとスキップをしながら、俺を置いて館の方へと消えていった。





 翌朝。

 メフルそっちのけでロクサーナとの夕食を楽しみ、夢の中で余韻に浸っていた俺は、激しいノックによって叩き起こされた。


「どちら様ですか?」

「わたくしです」


 ああ、この潜入工作員のように低く重い声はログスだな。

 見せて困る格好もしていないのですぐにドアを開けると、ログスが乱暴に頭を突っ込んできた。


「うわっ!」

「す……すみません。ですが、緊急事態です」


 ログスは俺の部屋に潜り込んでくると、水晶玉を差し出してきた。

 ちょうど俺の掌に乗るサイズだ。中心で黄色い光が灯っている。

 俺はすぐに扉を閉めると、水晶玉を受け取った。


「これは?」

「『伝声球』といいます。皇帝、皇族、『王』だけが使える、詔勅や指令を伝えるアイテムで、上級士官や貴族に配付されています。黄色い光はガシェールムです。いいから聞いてください!」


 一気に捲し立てるログス。

 半ば気圧されるように、その水晶玉に耳を澄ます。


「……皇女殿下は陛下が崩御して以来、行方がわかっていない。残された皇后は国政を顧みず、怠惰な生活を続けている。そして今、目の前には暴悪なエルナール軍が迫っているのだ。この国難を打開し、ガファス臣民の命を守るために、私……『貨の王』ガシェールムは、敢えて大逆の罪を背負う覚悟で……皇后陛下を弑し奉る。そして……我が国には皇帝の血統が途切れた場合、五人の『王』から次代の皇帝を選ぶという特例法が存在する。迅速に政権委譲を行い、速やかに国政の再開を図るため、皇女殿下がお戻りにならない場合、特例法による選帝会議を開催することを宣言する。期日は三日後、ガファス城の前庭にて処刑を執行するところから開始する」

「あ……あ……!」


 ログスの巨体が目に見えてガタガタと震えだした。

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