第19話 裏切られた者同士
深層をたゆたっていた意識が表層近くまで浮かび上がってくる。
昨日はとても満ち足りた寝入り端だった。俺は敵であるはずの者と親交を深め合い、そして互いを信頼して眠りに落ちていったのだ。
瞼を開く。眼前に広がるのはだだっ広い倉庫のままだ。
室内には災害用の物資が積み上げられており、すっかりお馴染みになった空を投影する照明が、天井にいくつか貼りつけられている。光は鋭く若々しい。どうやらまだ午前と見て間違いなさそうだ。
吸い込む空気は埃っぽいが、昨日まで吸っていたものと比べると新鮮さを感じる。恐らく地下深くでは、機械的、あるいは魔術的な装置で浄化していたのだろう。
上体を起こす。昨日は深夜に叩き起こされて、そこからずっと地下通路の探索だった。精神的な安心感から来る疲労の回復は段違いだな。
「おい、起きろ」
隣で眠っているログスを揺する。この巨体だと、大いびきでもかいていそうなイメージだが、以外にも物音一つ立てずに眠っている。ていうか、鎧を着たまま眠って、身体が痛くならないのかな。
「ん? ……朝ですね」
ログスががしゃりと起き上がり、伸びをする。
「……今日は、この部屋から地上の様子を窺いつつ、わたくしの信頼できるお友だちと何とか合流したいと思います」
「信頼……」
無意識に左腕の痣を擦る。ログスのお友だちって、また植物とか虫とかじゃないよな。
俺が危惧していることを見透かしたのか、ログスがふふっと笑った。
「大丈夫です。今度はもっと頼りになる人たちです。それに、あなたのことを突然襲ったりはしませんから」
「そう、か」
信頼、か。
俺たち、裏切られた者同士なんだよな。
会話が途切れると、鎧の音や重々しい足音なんかが響いてくるのがわかる。
ログスも聞こえたようで、妙にそわそわしている。
「不安か?」
「大丈夫です。ええ、多分……」
ログスにしては曖昧だな。今までは自信満々に勘違いすることはあっても、結構はっきりとした発言だったのに。
備蓄食糧をちょっと失敬して腹を満たすと、早速地上へのルートを探すために倉庫を出た。
相変わらずの地下通路。しかし、昨日までとは地上との距離感が違う。基本は静まり返っていて、俺と、足裏に布を巻いて音を抑えたログスの足音を反響するだけだ。同時にBGMよりもさらに小さいレベルで、甲冑の金属音や集団の足音、興奮する動物の唸り声などが伝わってくる。
「一応、地上へ通じている場所で人通りが少ないのは、下水、ゴミ置き場、食料庫、そして武器庫ということになります」
「ほうほう。スパイアクションみたいだな」
「すぱ……?」
「忘れてくれ。じゃあ、早速下水から行ってみよう」
倉庫とは少し離れたところに、下水への入り口があった。
廊下のような管の中央に下水溝があり、左右に歩くスペースがある、アニメや映画ではメジャーな作りだ。
臭いはまあ、酷いな。
突き当たりには大きな土管が生えていて、横には梯子が取りつけられている。
「この上が汚水の集約場になっていまして、そこからまとめて排水する仕組みです。普段は決められた時間意外、誰も寄りつかないはずなのですが……」
「……よし」
念のため、音を立てないように梯子をよじ登る。
梯子のてっぺん、つまり上階の床面には金網が嵌め込まれてあり、誰かが誤って落ちないようになっている。金網は九十センチメートル四方くらいあり、ログスも無理をすれば……さすがに無理か。
網越しに上の様子を窺う……のを反射的にやめて、忍び足で梯子を下りた。
「どうでし……」
「しーっ」
尋ねるログスを制して声を潜める。
「見張りだ。見える範囲に三人いた」
「そんなはずは!」
「事情が変わったのかも知れない。他も当たってみよう」
ゴミ置き場も様子は同じだった。
不自然に警備が厳しい。
食料庫はと言えば、その先の厨房がフル回転していて、とても通り抜けられる状態ではなかった。
最後の出口、武器庫に望みを託し、歩を進める。
「この先は武器庫になっています」
歩きながらログスが説明する。
「排水の点検口に偽装された、小さな金網を外して外に出ます。それで、あの……言いにくいのですが……」
「ん? ああ、あんたは通れないってことだな? 大丈夫だ。俺が一人で見てくるから、待っていてくれ。で、どんな人を探してくればいいんだ?」
「まずはわたくしのメイドでメフルという者を探して下さい。種族は
「メイド? ってことは出たら宮殿に潜り込まなくちゃならないかな」
「いえ、メフルは暇さえあれば鍛錬していたので、武器庫にはちょくちょく顔を出していました」
「可愛く、鍛錬……ね。じゃあ、ちょっと見てくる」
通路の曲がり角にある梯子に手を掛けると、するすると上を目指す。金網の隙間からは動物の気配は感じられない。
金網を外して床に這い上がると、そこは様々なサイズの武器や防具が収納された倉庫になっていた。
すぐ近くの棚にはハルバードが並べられており、ネズミ獣人が使いそうな傘サイズから、サイクロプスが振り回しそうな電柱サイズまで、種々取りそろえている。
左右の壁面に大きな扉がある。サイクロプスあたりは無理だろうが、かなり大型の種族まで屈まず出入りできそうな扉だ。扉の外はどちらも迎撃用の
「……いいか! 隈なく見張れよ!」
まずい。警備の兵が近づいてきた。
俺は慌てて抜け穴に駆け込むと、金網を閉じた。暗がりまで下がって息を潜める。
「どうした?」
「いや、人の気配がしたような……」
「俺たちも大概、気が立っているようだ。勇者の仲間の盗賊を見失って以来、上もピリピリしているからな……」
警備兵が立ち去る。
そうか、ルグノーラは上手く逃げおおせたようだ。まあ、あいつに限って捕まるとかは考えにくいけど。
梯子を下りると、期待していたログスに首を振ってみせる。
「そう、ですか。一度、倉庫に戻りましょうか……」
「だな」
俺たちは何の収穫もないまま、倉庫へ戻ることとなった。あそこなら落ち着けるし、無駄にうろうろしても見つかるリスクを高めるだけだ。
再び倉庫に戻ってきた。さて、作戦の練り直しだ。
ログスが後ろ手に扉を閉める。俺が向かい側の樽に寄りかかると、ログスはそのまま深い溜息を吐いた。心なしか、息遣いが揺れた気がする。
「気を落とすな……って言っても無理か。少し休もう」
「カイ……」
ログスの深く柔らかい声が、痛々しく沈んでいる。無理もないか。我が家が他人に乗っ取られたようなものだ。
「わたくしたち、大丈夫なのでしょうか……」
「大丈夫って?」
「このまま逃げ続けて、いつか捕まって、皇帝殺しとそれを匿った者という濡れ衣を着せられたまま、葬り去られるのではないか、と……」
ログスの掌が兜の面頬を覆う。重厚な肩が震えていた。
「わたくし……今、泣いているのです。でも、涙を拭うこともできない。わたくしのしたことは、間違っていたのでしょうか……」
重く苦しげな声で嗚咽するログス。
確か、彼の鎧は危険を察知して脱げなくなる仕様だ、とか言っていた。つまり、俺がいる限り脱ぐことはできないってことだ。それをわかっていて、捕虜交換という人道活動に取り組んでいるログス。
こいつがいなければ、俺はルグノーラと一緒に地下迷宮の屍になりはてていたかも知れないのだ。
「……ログス」
俺は意を決すると、ゆっくりはっきり、言葉を紡いだ。
「地下牢からの脱出に力を貸してくれてありがとう。俺の目的は果たした。今度はあんたの濡れ衣を晴らす番だ」
ログスが俺を見下ろす。
黒い面頬が、きょとんとした顔に見えた。肩が、さっきとは別な震え方に変わる。
「カイ! ああっ、カイ!」
ログスが鯖折り……いや、俺を抱き締めてきた。
体中が軋みを上げ、視界が黄色味掛かる。ログス、あんたのやりたいことはわかるよ……俺は全身の痛みに抗って、ログスの肩に手を添えた。
ログスが俺の手に面頬を寄せる。
「カイ、ありがとう……ありがとうございます」
これでいい。
俺、もうこいつが男でも別にいいかも知れない……
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