Track 03 - She's Not There
「居場所のない彼女」 ①
「
そう挨拶して顔を上げたとき――
「
微笑んで応えてくれた彼女に、僕は一目惚れをした。
三者面談で勧められ適当に決めた大学受験に失敗し、一浪してまで行きたいところややりたいことなど、将来のビジョンもなにもなく。僕は部屋に籠もってゲームをしたり、好きな映画を観たり音楽を聴いて怠惰な毎日を過ごしていた。
もともとインドア派の僕のこと、このままいけばひきこもりニートの道をたらたらと進んでいくのが目に見えていた。だが、そんな状態を親が黙って見過ごすはずもない。
半年ほどが経った頃、だらだら遊んでちゃだめだ、怠け癖をつけたらやりたいことがみつかったときに動けなくなるぞと、両親が僕の尻を叩き始めた。しかもタイミングがいいのか悪いのか、ニュースで五十代の『子供部屋おじさん』が取りあげられたりした。
さすがに、そんなふうになった自分を想像したくはなかった。
しょうがないなと腰を上げた僕は、とりあえず外に出てなにかしようとアルバイトを探した。そして偶々募集のあった近くのカラオケ店に応募、すんなり雇ってもらえたというわけだ。
気さくで感じはいいけれどちょっとチャラい感じの店長は、シフトがほぼ重なってるからと云って、僕に仕事を教える役を先輩アルバイトの仁村さんに丸投げした。歳は僕より少し上っぽかった。二十二、三歳くらいだろうか。シフト表を見ると『仁村
さくらさん。名は体を表すと云うのはこういうことなのかと、僕は思った。だって彼女が微笑むと、なんだかその頬に桜の花びらが舞い落ちたように見えたから。
お客さんにも愛想が好くて、僕にいろいろ教えてくれるときも丁寧で。そのおかげなのか、僕はフロントでの応対の仕方や退室後の清掃など、必要な仕事をどんどん覚えた。仁村さんが湯浅くんすごいね、教えてる私よりテキパキしてて速いよね、などと褒めてくれ、僕はますます完璧に仕事を熟すようになった。
ありがとうございましたー。仁村さんと並んで笑顔で客を送りだす。そしたら僕はさっと消毒済みマイクの入ったカゴを持ち、清掃セットのワゴンを押して退室した部屋へ向かう。平日の昼間はそれほど忙しくないので、大抵は厨房担当の高桑さんというおばちゃんと、フロントその他もろもろ担当の僕らという三人で回している。初めの頃は高桑さんにフロントを見ていてと頼んで、仁村さんとふたりで清掃に行っていたが、最近はもうこんなふうに仁村さんにフロントを任せ、僕ひとりでやっている。
仁村さんはフロントでお客さんやインターホンの番をしながら、防犯のため各部屋に設置されているモニターで、清掃している僕を見ている。
なぜ見ていると断言できるのかって? それはあるとき、こんなことがあったからだ――
「ふふっ、湯浅くん、フレディ・マーキュリーの真似してたでしょ」
「えっ」
退室後の清掃を終えて戻ってくるなり、仁村さんにそんなことを云われて僕は驚いた。
「……視てたんですか? モニターで」
「うん。初めはなにしてるのかなーって思ったんだけど、こう、マイク持って胸をぴーんって張ってるの見て、あ、フレディだってわかったの」
あちゃー。僕は恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じ、持っていたカゴが急に重くなったような仕種でどーんと両手を下げ、俯いた。
使用済みマイクを消毒のために回収するとき、コードを肘にかけてくるくると巻くのだが、その前にちょっとポーズを決めて遊んでしまったのだ。それを、仁村さんに見られたらしい。
くすくすと笑う声に、僕はゆっくりと顔を上げた。
「クイーン好きなの? なんか洋楽とか聴きそうだよね、そういえば」
「えっ、そんな感じあります?」
「なんとなく」
「……仁村さんも聴くんですか、洋楽」
「そんなに知らないよ。CMとか映画で聴いたのくらいかな。いいなって思ったら聴く感じ」
「あ、じゃあ『ボヘミアン・ラプソディ』、観たんですね」
「うん。泣いた」
その日は水曜日で、店は暇だった。そんな会話をきっかけに、僕と仁村さんは音楽や映画から最近のドラマやアニメについてなど、いろいろ話すようになった。彼女はとても聞き上手で、自分が知らないものに関しても興味津々という表情で耳を傾けてくれた。
一日で、一気に彼女との距離が近づいた気がした。
そして僕はそれ以来、清掃のため部屋に入ったときは毎回、カメラに向かってなにかの振り真似やジェスチャーのようなことをして見せるようになった。
フレディの次は、ぴしっと真っ直ぐ立ち、左でベースを弾く振りをしながら頭を振ってポール・マッカートニーの真似をしたのだが、彼女には通じなかった。なのでその次には日本で人気のK‐POPグループのダンスを真似てみたり、変なおじさんをやってみたり、ドラマの話をしたことのあった古畑任三郎の物真似をしてみせた。仮面ライダーの変身ポーズをいろいろ決めてみせたりもした――といっても、ほとんどがカードをベルトに差し込む系の平成ライダー世代の僕たちである。フロントに戻ると、ポーズのあとばったり倒れるふりをした
仁村さんがわかってもわからなくても、フロントに戻ったときの話題に繋がる。そんなふうに話をするのが楽しかった。彼女の笑顔を、ずっと見ていたいと思ったのだ。
カラオケ店にはいろんなお客さんがやってくる。
辞めた人のシフトを埋めるため、僕の勤務時間は平日昼間が主だった。なので、夜に多いらしい酔っぱらいなどの厄介な客にあたったことはなかったが、あるとき、こんなことがあった。
「――だからよ、唐揚げセットにフライドポテトが付いてるなんてこっちは知らんっつーの! それなら注文したときにポテト付いてますとか云ってくれりゃあいいじゃん!? 知ってたら注文しなかったんだから、サービスしろって云ってんの!」
「で、でも、メニューにはちゃんと写真付きで載っていますし、そ、それならせめてお部屋にお届けしたときにキャンセルとか――」
「えーっ、そんなの、気持ちよく歌ってる最中に置いてくんだからさあ、気づくわけないじゃん。メニューだって薄暗いとこでいちいち写真まで見ないよねー」
「で、でも……完食されていますし、サービスと云われても――」
「ああもう、いつまでもグダグダ云ってんじゃねえよ、店長呼べ、店長!」
会計時、無茶苦茶なことを云いだしたせこいクレーマーに僕は困りきっていた。
高桑さんはランチタイム終了間際の注文のため厨房に籠もっていて、仁村さんは先に出た部屋の清掃に行っていた。店長どころか、他には誰もいない。
犬のキャラが描かれた色違いのいかついジャージを着た男女の客に、僕は少しびくびくしながら必死に対応していた。と、そこへ。
「……どうしたの?」
「あ、仁村さん……その、こちらのお客さまが……」
情けないことに、僕は仁村さんが戻ってきてくれてほっとした。そして、クレーマー客の言い分――唐揚げセットにフライドポテトが付いていると知ってたら頼まなかった――と、だからポテト代はサービスしろという要望を伝えた。
すると、仁村さんはカウンターのなかに入ってきて、レジを開けた。一瞬、フライドポテト分の返金をするのかと思い、僕はお会計はまだですと云いかけた。
が、彼女が中から取りだしたのはお金ではなかった。
「――大変申し訳ございません、お客さま。お詫びとして、こちらのフードに使える割引チケットをサービスさせていただきます。あいにく使用できるのは次回からになるんですが、ぜんぶお使いになるとフライドポテト五つ分くらいお得になります」
「五つ分? へえ、じゃあけっこう得じゃんか」
意外なことに、ヤンキーカップルはころっと態度を変えて割引チケット五枚を受け取った。
「ありがとうございます。では、お会計をさせていただきます――平日フリータイム二名様と生ビール、クリームソーダ、揚げたこ焼き、唐揚げセット、フライドポテトが二点で四千百二十円になります」
仁村さんがそう笑顔で云うと、ヤンキーカップルは素直に代金を支払った。
「本日は大変申し訳ございませんでした、またのご来店をお待ちしております」
ありがとうございましたと仁村さんが頭を下げると、ヤンキーカップルは満足したのかくるりと背を向け、さっさと帰っていった。自動ドアが閉まり、ジャージの後ろ姿が見えなくなるとなんだか急に体の力が抜けていくのを感じた。緊張が解け、僕ははぁーっと息をついた。
「……仁村さん、すごいですね。たすかりました……すみません。僕、なにもできなくて……」
自分が情けないと感じたけれど、それ以上に彼女がガラの悪い客を相手に毅然と対応したことが驚きで、僕はすっかり惚れ直していた。どちらかというとふわりと可愛い仁村さんのおとなしそうな雰囲気からは、まったく想像できないことだったのだ。
「しょうがないよ、湯浅くん、まだ入ったばかりなんだし。気にしないでね」
「はあ……でも、よかったんですか? あんなのにいっぱいサービスしちゃって」
「ああいう人たちって、こっちがハイハイって云ってればなんにもしてこないから。どっちかっていうとランチタイムなのに唐セ頼むようなお客さんはいっぱいお金遣ってくれるんだから、また来てもらわないとね」
あー、確かに。平日ランチのお客さんは平均客単価千円いかないのに、ふたりで四千円も遣っていったし。僕は感心して仁村さんの顔をまじまじと見つめた。
「それに、あのチケットお会計一回につき一枚しか使えないの。ちゃんと書いてあるから云わなかったけど」
そう云ってにっこり笑った仁村さんは、やっぱりめちゃめちゃ可愛かったけれど。
僕は、彼女が僕よりずっとおとななんだなあと感じて、ちょっと悔しい気持ちになった。
「――
「はーい、行ってきます」
金曜日。ランチ目当てによく来る常連のおばさんグループが帰っていったあと。僕はいつものように清掃セットを持って102号室に向かった。
おばさんたちは学生の団体とかと違って、散らかしたり汚したりなんてことのまずない、いいお客さんだ。食べたランチの食器もトレイもきちんと重ねて端に置いてあって、ゴミも室内にあるゴミ箱を使わず、まとめておしぼりの袋に入れてあったりする。それでもいちおうはマニュアル通りの作業をする。使用済みのマイクを回収し、消毒済みのものに取り替え、テーブルを拭いて、目次本、
そしてワゴンに回収するものを乗せると、僕はいつものように天井の隅に設置してあるカメラに向かい、ダンスを始めた。マイケル・ジャクソンの〝スリラー〟を、僕は昨夜ウェブで動画を視ながら練習したのだ。ミュージックビデオを撮影したジョン・ランディス監督の『ブルース・ブラザーズ』や『大逆転』も、ざっとおさらいしてきた。何度も観た大好きな映画だ。
我ながら莫迦じゃないかと思わなくもなかったが、これでまた仁村さんと話が盛りあがるなら、僕は努力を惜しまない。
一通りの振りをやったあと、僕は期待に口許を綻ばせながらフロントに戻った。
だが、そこに仁村さんの姿はなかった。
あれ、どこへ行ったんだろうと僕はワゴンのグラスや皿を洗い場に置きながら、厨房にいた高桑さんに「仁村さんは? フロント
「ああ、なんか店長が来て一緒に事務室に入ってったよ」
「あ、店長来てんだ」
店長自らシフトに入るのは専ら夜だ。いつも僕らと入れ違いくらいの時間に来て、夜中の二時頃にレジ締めや閉店処理をしてから帰宅するという店長が、朝から店に来ることはほとんどない。来るのは僕が入ったときのように、新しいスタッフを雇い入れるときくらいだろう。けれど、今はもうアルバイトなどの募集はしていないはずだ。シフトの変更かなにかだろうか。それともまさか、仁村さんが辞めるとか――ふとそんなことが頭に浮かび、僕は気になってたまらなくなった。
「高桑さん、ちょっと除菌スプレー取りに行くんで、そのあいだフロントおねがいします」
「はーい」
フロントから事務室は目と鼻の先、間には更衣室があるだけだ。僕はそう声をかけ、事務室の様子を窺いに行くことにした。が、そのとき。
勢いよく開いたドアから早足に出てきた仁村さんは、見たことのない険しい表情をしていた。
思わずお互いに足を止め、目が合った。仁村さんは一瞬はっとした表情になり、そのまま僕から顔を背けるようにして更衣室の中へ入っていった。さすがに僕は追いかけて入るわけにもいかず、口実にした除菌スプレーを取りにも行かずに踵を返した。
仁村さんがフロントに戻ってきたのは、それから十分程経った頃だった。
仁村さんはなにも云わず、僕はどう話しかければいいのかわからず――しばらくのあいだ、ふたりして黙ったまま並んで立っていたけれど。
「……あの、なにかあったんですか?」
やっとの思いでそう尋ねると、仁村さんはいつものあの微笑みを浮かべた。
「ううん、なんにもないよ。なんでもないの」
――本当に? という言葉が喉の奥のほうに引っかかったが、僕はそれを呑みこみ、つられるようにぎごちなく笑うしかできなかった。
[Track 03 - She's Not There 「居場所のない彼女」 ② へ続く]
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