言わぬが花の乙女なり

志村麦穂

1 inward

 私には力がある。ひとを殺せる力だ。

 相手に触れることなく、計画を立てることなく、仕掛けをすることもなく。超能力だと思った。ひとの常識を超えた、けして存在してはならない力。私がはじめて力に気が付いたとき、恐ろしいことが起こった。とても恐ろしいことだ。

 二度と使ってはならない。あれ以来、私の意識があるうちは一度も使っていない。寝ているとき無意識に使ってしまわないよう、毎晩ガムテープで体を拘束して眠る。夜中、トイレに行くこともままならないけれど、誰かを殺してしまうよりずっといい。

 夜ごと、私はうなされる。五年経った今でも、悪夢となってよみがえってくる。

 ひろちゃん。ごめんね。もう、ゆるして。

 もう喋らないから、許してください。

 口は災いの元だという。それは先人の知恵だったに違いない。私と似たような能力の持ち主が他にもいて、うっかり口を滑らして、あるいは悪意のある言葉を吐いて、ひどいことが起こったのだ。

 言霊。言葉には霊力が宿り、口にしたことを現実に引き起こす。

 私の言葉には言霊が宿る。口にした願いは現実になる。嘘は真実になり、世界は言葉でゆがめられる。なんでも思い通りになるというのは、人間の思い上がりだ。口に気を付けろ、沈黙は金だ。いつも言葉が忠告する。

 言葉が世界を操るとして、人間は自分から出る言葉を完全に操ることができるのか。答えは否だ。

 私が小学校三年生だったころ。私は力に気付いておらず、また力のあり方も曖昧だった。ただ漠然と、おねだりすれば何でも両親が叶えてくれると信じていた。両親が私に特別甘く、先生は私を贔屓してくれる。世界が私を中心にまわっているのは当たり前で、不条理なんてものがこの世にあることすら信じられなかった。

 思い返せば、嫌な子供だったと思う。わがままで、我慢を知らなくて、思いやりがない。他人にも意志があることが理解できなかったのだ。他人は私の願いを叶えてくれる、召使か奴隷。そんな風に見下して過ごしていた。

 そんな私が、はじめて人間にであった。ひろちゃん、小秋千広ちゃん。

 彼女は唯一私を否定してくれた人間だった。わがままを諌め、横暴を殴り飛ばした。不思議でしょうがなかった。彼女は私の言葉が通じない、まったくの宇宙人として目の前に現れたのだ。

「優しくしないと、嫌いになっちゃうよ」

 彼女は私にそう言った。

「きらいって、なに?」

 私がはじめて聞く言葉だった。なにせ、私の周りには、私が嫌いなひとなどひとりもいないのだから。

「嫌いって、好きとは違う宇宙の気持ちよ。あんた、そんなこともわかんないの? まわりの奴ら、みぃんな、あんたのことが嫌いなのに?」

「馬鹿言わないで。パパも、ママも、先生も、スミちゃんも、たかくんも、みんな私の言うこと聞いてくれるわ。私のこと好きだって、お菓子だってくれるし、可愛い服も買ってくれる。なんでも叶えてくれるのよ。それなのに、きらいなの? それって変じゃない?」

「ぜんぜん変じゃないよ。みんなあんたの癇癪にはうんざりだから、一番楽にすむ方法を選んでいるだけ。テキトーに持ち上げて、可愛いねってちやほやして、気分よくさせて飼いならしているのよ。あんたが暴れ回らない限りは誰も傷付かないし、適度にかまってやれば問題も起きない。お菓子やおもちゃで済むなら簡単よねって。馬鹿な子だねって。みんな、あんたを見下してんのよ。あんたが他人を物みたいに考えているようにね」

 ひろちゃんの言っていることは半分もわからなかったけど、私が周囲からのけ者にされていることはわかった。みんなして私を陰で笑っていたのだ。

 腹の底からふつふつと怒りが立ち上ると同時に、目の前の女の子に疑問がわいた。

「あなたはなぜ教えてくれたの? あなたも私を馬鹿にしているんでしょ。それとも私のこと、まだ騙そうとしているの?」

「違うよ。ぜんぜん違う」

 ひろちゃんはその、きらりと光るビー玉みたいな目で私を見つめた。

「好きになりたいの、あんたのこと」

 彼女は私の、はじめてのひとになった。

「仲よくしよう、清子」

 小秋千広は、名越清子の友達になった。

 私がひろちゃんと出会ってからは、不思議と言霊の力が使われることはなかった。私がわがままを言うと、ひろちゃんが隣でたしなめてくれたからだろう。言霊自体が、強い気持ちを込めないと発動しないという条件があったのかもしれない。ともあれ、彼女といることで他人を知り、私の自己中心的な考え方も改まっていったかに思えた。

 幸せな時間だった。彼女と居るとき、私はふつうの女の子でいられた。当たり前の人間でいられたのだ。ひろちゃんは私にひととしてのすべてを教えてくれた。わかりあうことの心地よさ、ひとと生きることの温かさを教えてくれた。私を連れ出して、デートもしてくれた。彼女が選んでくれた紺色のワンピースは私の一番のお気に入りになった。

 馬鹿な私は、この楽しさが永久に続くと無邪気に信じていた。

 私がひろちゃんを殺すまでは。

 きっかけは些細なものだった。ひろちゃんが他の子としゃべっている。子供っぽいやきもちだ。けれど、私はまだ自分のわがままな気持ちをコントロールできず、彼女の行為をどうしても許すことができなかった。

「あんたなんか、死んじゃえ」

 その言葉の通り、その日のうちに彼女は死んでしまった。

 赤信号の道路に飛び出して、車に轢かれて無残に死んでしまった。私はその死の際に立ち会うこともできなかった。最後にみたのは、きれいな花に囲まれた空の棺桶だけ。

 私のせいだ。私があんなことを言わなければ。

 そのときはじめて自分の力に気が付き、怯えた。私の言葉が力を持つということを思い知った。

 言葉には力が宿る。口にしたことを現実に変えてしまう、言霊が。

 私には力があるのだ。ひとをいとも容易く殺してしまう力だ。

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