「だから言ったのに」

「………んっ。あ、あれ。私……」


 星桜は崖から落ちた衝撃で気を失ってしまっていた。

 夜空に星が散りばめられ、月が街を照らし始めた頃、星桜は意識が戻る。ゆっくりと目を開け体を起こそうとするが、急に顔を痛みで歪めてしまった。


「っつ!!」


 腕と足に痛みが走り、涙を浮かべまた倒れ込む。葉が下敷きになっており、クッションの役割を果たしていた。


「あ、足と腕が……」


 痛みが走ったところを確認するため、体に負担をかけないよう顔だけ動かす。

 

 左腕は青く腫れているため、骨が折れてしまっているのは確実。

 右足は腫れていないものの、ふくらはぎ辺りがぱっくりと深く切れており、血が流れ落ち、緑を赤く染めていく。

 他にも、所々に浅い切り傷があり、血が所々から流れていた。


 痛みと流血で思考が回らなくなる頭を無理やり動かし、身体中の痛みに耐えながら、星桜は先程の状況をゆっくりと思い出す。クッションの役割を果たしている葉に体を預け、星が燦々と輝いている夜空を見上げた。


「……なんで。なんで、凛は私を突き落としたの」


 星桜が崖から落ちる前に見た光景、凛が笑みを浮かべながら両手を前に突き出していた。それは、星桜を突き落とすため、両手で背中を押すための行動。

 星桜は悲しみなのか怒りなのか、ぐちゃぐちゃな感情が胸を占め、涙が溢れ堕ちる。


「ど、どうしよう。このままここにいる訳にはいかないし。かと言って、無闇に動けば遭難しちゃう……」


 零れ落ちる涙を乱暴に拭い、周りを見回す。すると、木の近くに汚れてしまっている自身の鞄を見つけた。

 体に負担をかけないよう体を起こし、腫れていない左手と、右足で少しずつ近付き、鞄に手を伸ばす。チャックを開け、中からスマホを取りだした。


「これで連絡すれば──あぁ、最悪」


 取り出したスマホで親か誰かに連絡しようとしたが、スマホは画面が割れてしまっており、電源ボタンを何度も押したが動いてくれない。ずっと暗い画面のままで、自身の悲しげに歪ませた顔を映し出すだけだった。


「そんなぁ……」


 肩を落とし、項垂れる星桜。周りはすっかり暗くなってしまっており、先を見通すことが出来ない。

 周りが暗いだけで精神的不安が襲い、それに加え体中の痛み。先ほどは直ぐに拭い止める事が出来た涙が、スマホの暗い画面にポツポツと落ち始める。


「なんで、なんでこんな事になるの。私は、凛に何をしてしまったの……」


 星桜は涙を流しながら、なぜこうなってしまったのか考える。だが、何も思いつかない。涙を乱暴に拭い、顔を上げる。乱暴にこすってしまったからか、目元が赤く腫れていた。


 夜空には燦々と輝く月。雲がない夜空から月光が降り注ぎ、地面をかすかに照らしている。それが今の星桜にとって、唯一の救いだった。

 雲が流れ、月明かりが隠れてしまっていたら注がれる光もない。近場すら見る事が出来ない真っ暗闇に取り残されてしまっていたかもしれない。


「私、ここで死んじゃうのかな……」


 色々諦め、暗い画面で何も映さないスマホに目を落とす。そこには星桜の悲しげな顔と、何故かもう一つ。彼女の肩越しに、男性のような顔が映り出した。


「ひっ!!」


 いきなりのことに顔を青ざめ、咄嗟に後ろを振り向く。そこには、体長170近い男性が、彼女の真後ろに立っている。

 震える体で動くことが出来ない星桜は、目の前に立つ普通じゃない男性を見上げた。


 男性の目は黒く窪んでおり、肌は真っ黒。左右には腕が二本ずつ生えており、お尻にはワニのような太く硬そうな尻尾が地面に引きずられていた。


 見た目からして人間ではないそれは、気持ちの悪い呻き声を上げながら、星桜に右手を伸ばす。


「い、いや……」


 足を引きずり、彼女は折れていない方の左手でなんとか後ろに下がる。だが、目の前の化け物はそんな星桜の様子など気にせず、ヨダレを垂らしながら手を伸ばし続けた。


『あ、ぁぁぁあああ。あああ……ああぁぁぁああ』


 呻き声を上げながら、化け物はだんだん星桜との距離を詰める。

 顔を青くし、涙を流しながら後ろに後ずさる星桜だったが、とうとう背中が崖に当当たり、これ以上後ろに下がることが出来なくなってしまった。


 それでも化け物は、お構いなく近づく。


「や、やめて。お願い……」


 震える体は言うことを聞いてくれない。ただ、か細い声で助けを求める事しか出来ない星桜。だが、そんな声など化け物に聞こえるはずもなく、四本の腕のうち、右側二本を振り上げた。


「ひっ。おね、がい。やめて……」


 振り上げられた二本の腕を視界にいれているのに、体に力が入らず、カチカチと歯を鳴らしながら懇願するのみ。


『あ、おえあ、おあえお、うっお……』


 化け物は何かを話しているような言葉を口にしたが、耳を傾ける余裕など星桜にはない。


『ううはない。おあえは、おえの──おえのものだぁぁああ!!!』

「いやぁぁぁあああ!!!!」


 化け物が振り上げた二本の腕を、星桜目掛けて勢いよく振り下ろす。咄嗟に頭を抑え、悲痛の叫びを森の中に響かせた。


 その時、突如として崖の上から人影が現れ、化け物に向かってキラリと光る刀が振り下ろされた。






 ────だから言ったのに。







 ザシュッ─────


『がっ、あ、あああ、ぁぁぁぁああああああ!!!!』


 星桜は恐怖で目をつぶっていたが、化け物の呻き声でゆっくりと開ける事となる。

 彼女が最初に映したのは、薄紅色のスニーカー。


 瞬きしながらゆっくりと顔を上げると、化け物から星桜を守るように、一人の男性が立っていた。


 その人は、大きな襟付きのノースリーブに、片方の肩が出るくらい下がってしまっている上着を身にまとっている。

 背丈はそんなに高くない。160〜170センチくらいの青年だ。


 銀髪を風に靡かせ立っている彼は、星桜の方にゆっくりと振り向く。彼女の視界に入ったのは、彼の目元に付けられている白い狐面。


 何が起きたのか理解出来ていない頭。思考が回らず、相手を見る事しか出来ない。その時、星桜の鼻を掠めたのは甘く、花の香りだった。

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