第18話 汚水
2人は日が暮れたら帰って来ようと思い、あまり荷物は持たなかった。森で夜を明かすとなると何があるかも知れない。コンスタンも革の胸当てにブーツ、細剣を帯びるくらいの軽装。マルブランクは大事な酒が入ったバックパを背負った。
「まずは " 偉大なる老木 " とやらに向かってみるか。それが枯れかけている原因を探してみよう」マルブランクはさっさと村の出口に向かう。
「場所は分かるのか?」コンスタンは追いかけながら訊いた。
「ああ、さっき見せてもらった地図で何となくは分かるよ」
さすがプロ、なんてコンスタンは言わなかった。
森は平坦ではなく、木の根や石の積もりでかなり歩きにくかった。何かの穴蔵があったり、人食い草が生えていたり、トゲだらけの藪もあった。
マルブランクは正面を見据えてなにかをブツブツ言いながら歩いていた。多分集中していて、歩数とか、方向とかを数えながら歩いているのだろう。
「きれい」コンスタンが呟いた。
「あれはニジペリカンだ。神の使いだなんて言う民族もいるな」
「まったくすごいところね。全部木だらけ。帰れるの?」
「まあ、ミスったら死ぬな。なにが出てきてもおかしくないから油断するなよ。五感を集中させといてくれ。俺はあまりできん」マルブランクはまたブツブツ言い始めた。
「あなたは、探索に集中する時は五感が鈍るの?」
「え?あ、ああ。飯を食いながら用を足す気分みたいになる」
「汚い」コンスタンは顔をしかめて、またマルブランクについて行った。
「みろ」森林の中から突如現れた大木を見上げ、マルブランクから息を呑むような声が漏れた。
それはそれは太い木で、周りの木々とは桁違いの幅だった。一周するのに一日かかるのではないかと言う太さに、何日登れば頂上にたどり着くかわからないくらいに背が高い。
「森の原木……って信じちゃうかも」コンスタンは迫り出した木の根によじ登って触ってみた。確かに少し乾燥しているが、これで枯れかけているというのが信じられない。
「みろ」マルブランクが見上げて指さした。「下の方の葉っぱが……紫がかって変色している。木の皮も剥げかけているみたいだ」
「私にはよく分からないわ。なぜかしら」
「木は水と光で育つ。なにか取り込むものに異常があるのだろう。周りを回ってみよう」そう言うと、マルブランクは木の周りを回りだした。
「それにしても太いわね」コンスタンは歳月の神秘に触れて、ずっと木を見上げていた。私が生まれるより遥か昔からある木。
しばらく歩いていると、突然、先を行くマルブランクが立ち止まった。
「どうしたの?」
「……」マルブランクは何も言わずにバックパックから皮袋を取り出した。
「あんた、また酒?」コンスタンは走って行ってマルブランクの手から、それを取り上げようとした。
「ま、まて。違う。これは水なんだ」
「あんた、いい加減にしなさい……なによ。そんな真顔になってもだめなんだから」
「しっ」
「その手には……」
「聞こえないか?」マルブランクは急いでどこかに走って行く。木をグングン離れ、灌木が生い茂る中へ消えた。
「ま、待ちなさい」コンスタンも走った。が、マルブランクを見失った。新しい手か?
「マル……あ、いた」マルブランクは草の生い茂る中に座り込んでいた。
コンスタンは恐る恐るマルブランクの向こうに回り込んで、視線の先を追う。彼が聞いたのは微かな水の音。それは指くらいに細く岩間から流れ出て、また岩間に流れ落ちる細々とした湧水だった。
「やっぱ水だな。この水おかしーよ」そう言うマルブランクはすでに酒をあおっていた。あなたもおかしい。
「どうおかしいの?」コンスタンには普通に見えた。
「よく見るとだな、この水、紫に濁っているんだ。少しだと透明で分かりにくいが。たくさん瓶にでも汲んだら分かると思う。それが木を紫に染めている原因だ。虫とかもな」
「紫……紫……。そう、" 紫の水 " よ」
「なんだ?」
「昔、高名な魔導士が魔道具の研究をして、その果てに強力な魔力を得る水、" 紫の水 " を作り出した。それを飲み干した魔導士は全身を紫に染めて死んだって」
「それ、なんの話?」
「小さい頃聞いたお話よ」
「寓話か……」マルブランクは真剣な面持ち。
「なによ。子供騙しって言いたいわけ?」コンスタンは少しむっとした。
「いやいや、寓話にもできた由来があろう。とにかくこの水の水源をたどってみようじゃないか。この水が蛙の村に流れ着いてないのが不幸中の幸いだな」
マルブランクは辺りを見回しながら立ち上がった。
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