ヤンデレ彼女に不老不死の薬を盛られた話
青水
ヤンデレ彼女に不老不死の薬を盛られた話
「ろっくんがいけないんだよ。浮気なんてするから……」
そう言って、ミオは僕に包丁を向けた。
「う、浮気!? 浮気なんてしてない!」僕は慌てて否定する。「な、何かの誤解だってっ!」
「私、見たもん」
「……見たって?」
「ろっくんが私以外の女と喋っているところ」
「え、それが?」
どうしたって言うんだ?
「『それが?』じゃない!」ミオは切れた。「私以外の女と喋るなんて浮気でしょ! ひどい! ひどいよ、ろっくん! 私、信じてたのに……裏切られたよぉ……」
「いや、浮気の定義というのはだね……」
「ろっくんや世間一般での浮気の定義なんて聞いてない! 私にとって、ろっくんが他の女と喋ったら、それはもう浮気なんだ。浮気した悪いろっくんには、お仕置きが必要だね。人間、痛みを味わわないと真に反省できないものね」
ゆらあり、とミオは包丁を脇の辺りで構えた。
本気だ。本気で僕を刺すつもりなんだ……。刺されるのは嫌だし、刺しどころが悪ければ僕は死ぬ。
どうして、僕はミオと付き合ってしまったんだろう? 答えは簡単。かわいいから。でも、まさか彼女にヤンデレ属性があっただなんて……。
「ろっくん、覚悟!」
「うわああああっ!」
避けようとしたけれど、失敗。
包丁を構えて突進してきたミオが、どんっと思い切りぶつかる。
「うぅ……」
腹からじんわりと血がにじみ出ている。
痛い。痛い痛い痛い痛い……。こんなの死ぬよ。死んじゃうよ。おかしいよ。痛すぎて頭がおかしくなりそうだった。
「どう? 痛い?」
ミオが耳元で囁いてきた。
「痛い……助けて……死んじゃうよ……」
「大丈夫。ろっくんは死なないよ。ずっとずっと永遠に私と生き続けるの」
痛くて痛くて、ミオの言っている内容が理解できない。
死なない? ……僕、死にかけてるんだけど……。
段々と痛みが引いてきた。これは意識が遠のいていき、その結果、痛覚が――五感が薄れていっているということなんじゃないか。
僕は死を覚悟した。
床に仰向けに倒れ、死が来るのをじっと待つ。
待つ。待つ。待った――けれど、いつまで経っても僕に死はやってこなかった。
「……あれ?」
「ろっくん。いつまで仰向けになってるの?」
「おかしい。どうして……」
上体を起こし、腹部を見る。
服に染みこんだ血が、一切なくなっていた。
「え。夢?」
「現実だよ」
屈んだミオの右手には、包丁が確かに握られている。
腹部に手を触れてみる。刺された傷は何事もなかったかのように消えていた。だけど、服は裂かれている。これは一体……?
「どういう、こと……?」
「じゃじゃーん」
ミオはポケットの中から白い粉が入った袋を取り出した。白い粉というと、小麦粉とか片栗粉とか……だけど、小さなビニール袋に入っているのを見ると、麻薬の類のように見えてしょうがない。
「それは……?」
「薬――といっても、麻薬とかじゃないから安心して」
「じゃあ一体――」
「不老不死」
「……え?」
明らかにおかしな単語が、ミオの口から発せられた。僕は目をパチパチさせた。聞き間違い――じゃない、よねぇ?
「これ、不老不死の薬」
そう言うと、ミオはカップに入ったお茶の中に、その粉をさらさらと入れた。そして、ごくごくと飲みほした。
「見てて、ね?」
包丁の刃先を自らの心臓に向けて、そして――。
「えいっ」
かわいらしい声で、自分の心臓に包丁を突き刺した。
軽くトラウマになりそうな映像だ。ぶっしゃー、と血があたりに飛び散る。スプラッタすぎる光景に、僕は唖然とした。
がしかし――。
すぐに異変が起こった。
時がぐるぐる巻き戻ったかのように、飛び散った血が流出元であるミオの心臓の中へと戻っていく。包丁によってざっくり開けられた縦長のグロテスクな穴が、次第に薄れてやがて消えた。
「な、な……」
「ね? 私たち、不老不死になったんだよ。これで一生――世界が終わるまで一緒にいられるね」
その笑みは純真無垢にも狂気満天にも見えた。
不老――老いがない。つまり、僕たちは一生、このままの――一六歳の姿のまま。
不死――死という概念がない。包丁で刺されようと、高層ビルの屋上から飛び降りようと、どんなに自分を傷つけようと、決して死は訪れない――。
そんなの。
そんなの、あんまりじゃないか。
不老不死は僕に希望ではなく、絶望をもたらした。
僕はその絶望に耐えきれず泣いた。ぼろぼろと大粒の涙を流す僕を見て、ミオは――。
「私とずっと一緒にいられるのが泣くほど嬉しいの? 嬉しいな」
僕の涙の理由を、自分にとって都合よく改変した。
ミオは僕のことが死ぬほど好きだ。一途で浮気なんてもちろんしない。誰かにここまで愛されるということはとても嬉しいのだけど、愛が……重すぎるよ。
結局のところ、ミオは僕のことなんてまるで考えていない。大事なのは自分が僕を愛することであって、僕がどう思おうとそんなことはどうでもいいのだ。
だから、僕に了承を得ずに不老不死の薬を盛ったんだ。
僕はミオに強い憎しみを抱いた。
コロシテヤル、と思った。
「う、うわあああっ!」
ミオの手から包丁を奪って、彼女の体の方々を何度も何度も刺した。傷はすぐに再生する。けれど、何度も何度もぐさぐさ刺した。
どうだ? 痛いだろ?
反省したか――と、僕はミオの顔を見た。
「嬉しい」
と、ミオは言った。
「私のこと、殺したいくらいに愛してくれてるんだね。うふふ。私もろっくんのこと、殺して食べちゃいたいほど好きだよ」
血だらけの、傷だらけの状態で、ミオはキッチンへと歩いていく。包丁を手に取ると、狂気的な笑みを浮かべたまま、僕に襲いかかってきた。
「一緒に、たくさんたくさん殺し合おう? 殺し愛ってやつだね。うふふっ。不老不死になってよかった。不死にならなければ、殺し愛できないものね」
「狂ってるよ、お前」
「狂ってる? 私が?」
僕の指摘に、ミオは心底不思議そうな表情をした。
「私は狂ってなんてないよ。確かに、いろんな人に『お前は狂ってる』って言われたけれど、私は狂ってなんていないよ。狂っているとしたら、それは私じゃなくて、私以外の――この世界を構築するすべての人のほうだよ。あ、ろっくんももちろん狂ってないから、正確には私とろっくん以外のすべての人間だね」
僕は悟った。
ミオに何を言っても駄目だ、と。
ミオは自分の内に世界を構築していて、すべての事象を自分にとって都合よく認識し、作り変える。僕がどれだけ罵倒しても、彼女には響かない。むしろ、逆転的に変換されて、罵倒が愛の囁きへと変わってしまうのだ。
「不老不死となったこの体を、元の体に戻す方法はないの?」
「あるよ」
「じゃあ――」
「やだ。教えない」
ミオに拒絶される。
僕はミオを地面に押し倒した。そして、馬乗りになって首を絞める。
「教えろ! 教えろよおおお!」
「あは。あはは。あははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
僕が何度ミオを殺そうとしても、彼女は笑い続ける。僕が向ける憎しみですら、彼女にとっては愛なのだ。
「私が生に満足するまで教えてあげない! ねえ、ろっくん。元の体に戻りたかったら、私のこと満足させて、ね?」
それから、僕とミオの長い長い旅が始まった。
一〇年経つと、友人たちは大人になった。二〇年経つと、結婚して子供をつくる友人もいた。一〇〇年経つと、みんなみんな死んだ。
世界の時は常に動いている。けれど、僕とミオのときはいつまでも止まったままだ。
やがて、何千年かすると人類が滅びた。僕とミオ以外の人間は滅び、様々な動物たちも滅び、新たな種が入れ替わるように誕生した。
「ねえ、まだなの?」
「まだだよ。私はまだ、ろっくんと一緒にいたい」
一万年以上の付き合いだ。ここまでくると、憎しみさえ抱かない。一緒にいることが、隣にいることが当たり前のように感じられる。
「ねえ、ミオ」
「なあに、ろっくん?」
「ミオは僕のどこに惚れたの?」
「すべて。好きじゃないところなんて、一つもないよ」
はあ、と僕はため息をついた。
「降参だよ。ミオが死にたくなるまで一緒にいよう」
「うん。ろっくん、愛してる」
「僕もだよ、ミオ」
隕石の大群が地球に降り注ぐ中、僕たちはキスをした。
地球が滅びようと、僕たちは死なない。僕たちの旅は果てしなく続く。いつ終わりを迎えるかは未定だ。宇宙が滅びるときだろうか? それとも、ミオが生に満足したときだろうか? はたまた、永遠の愛が冷めてしまったときだろうか?
今はただ、一途で健気なヤンデレ彼女を愛すだけだ。
不老不死の僕たちが老いて死ぬ、その日まで――。
ヤンデレ彼女に不老不死の薬を盛られた話 青水 @Aomizu
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