第2話 新しい秘書


 ヴァルスタイン王国は北に大きな冬山と、南に広い貿易港を構える大陸きっての大国の一つである。作物もよくとれる豊かな土地があり、都市部には流行りの服飾店でひしめき合っている。その都心のどこか。馬車の中に青年、エドガー・ランベルトはいた。翡翠色の瞳に、薄茶色の髪の毛。文学青年のような穏やかそうな見目をしているが、彼はこれでも騎士団の下部組織であるヴァルスタイン王立学校の卒業生で、体術と剣術を一通り叩き込まれている。

「座学はもちろん、実技試験でも負け知らず。優男にしか見えんが、どうやらそなたの評判は本物らしい」

 エドガーの向かいには、目元に朱色の紅をつけた妖艶な子供がいた。十二歳くらいの少女だが、身にまとっている衣服は古典風なもので、笑い方も大人びている。それもそのはず、彼女の実年齢はおそらく八十歳を超えている。

「ありがとうございます。シニフィスさま」

 エドガーがにこりと微笑むと、シニフィス・アストライアは王立学校の成績表を鞄にしまった。

「だが、なぜ騎士団に入らなかった? そなたの成績ならば、騎士団長も夢ではあるまい」

 王立学校はヴァルスタイン王国唯一のエリート養成学校であり、体術に優れた卒業生は騎士団に、賢く家柄もよい者は政治家に、たとえどちらにも属さずとも、卒業後は貿易会社や弁護士と引く手あまただ。エドガーは家柄こそよくはなかったが、優秀な成績を収め、在学中から騎士団にも注目されていた。

「自分も初めは騎士団に入るつもりでした。ですが、人間一人でできることなど、たかが知れています」

「魔術師は違う、と?」

「ないものねだりかもしれませんが、私はそのような力が欲しかったのかもしれません。人ならざる力があれば、多くの人を守れるかもしれない。自分もそんな手助けがしたい。ですから、騎士にはならず魔術師に助力できる秘書官を志望したのです」

 ヴァルスタイン王国には、百人を超える国家魔術師たちがいる。彼らは国からの依頼を受け、国防に携わる仕事をこなしていた。そんな多忙な彼らの日程を調整するのが秘書官の仕事だ。王立学校から秘書官を志す人間は少ないが、成績優秀なエドガーは教師陣の反対を押し切り秘書官となった。

「立派な夢じゃな、ランベルト。若者の愛国心は低いものとばかり思っていたが、感心した。わしもこの国を愛している。共に頑張ろうではないか」

「はい」

「それで、そなたに担当してもらうローラン・ハリウェルという魔術師についてだが、そなたはあやつについてどれだけ知っている?」

 現在、この馬車はローランのいる所に向かっている最中だ。おそらく家に行くのだろうとエドガーは考えている。

「えっと、シニフィスさまのお弟子さんで、偉大なる〈十二人の大魔術師〉に最年少で名を連ねたとだけ……」

 百人の国家魔術師の中から更に上位の十二人はその名の通り〈十二人の大魔術師〉と呼ばれている。それぞれの魔術分野の天才たちが集まっているということだが、詳しいことを民衆は知らない。目立ちたがり屋の魔術師は名が通ったりもしているが、基本的に自分たちの生活にはあまり縁のない存在だからだ。

「やつの専門は死霊術だ」

「死霊術……? 死人を蘇らせる魔術ですが?」

「半分正解だが、半分は外れじゃな。まあ、詳しいことは本人から聞きくといい。ハリウェル家は代々、死霊術師を輩出し、国家魔術師に名を連ねている。中でもあやつは歴代の中でも優秀で、稀代の死霊術師と呼ばれている。腕は確か。問題は性格じゃ」

 エドガーは想像してみる。とんでもなく気が弱いだとか、引っ込み思案だとか、そういうことだろうか。

「あやつは怠惰なのじゃよ」

 怠惰……。

 その言葉の意味を飲み込むのにしばらく時間がかかった。

エドガーは何の苦も無く王立学校の首席であり続けたわけではない。それこそ毎日毎日、血のにじむような努力を繰り返してきた。そんな努力の結晶でできているエドガーにとって怠惰が欠点といわれる天才のことを理解するのは難しかった。だが、これは自分で選んだ仕事だ。途中で投げ出すわけにもいかない。

「ここじゃな」

 シニフィスが黒曜石でできた烏頭のついた杖で壁を叩くと馬車が止まる。降りた先はなんと酒場だった。

「ハリウェル先生がここに? まだ昼間ですよ」

「残念ながら、わが不肖の弟子は昼間から酒を飲むようなダメ人間なのじゃ」

 もう慣れているのか、さして残念そうでもなくシニフィスは扉を開けて酒場の中に入る。独特の麦酒の匂いと軽快な音楽。昼間から飲んでいる人間たちもそれなりにいた。店の奥、少し暗がりになっているところに一人机に突っ伏して眠っている男がいる。金糸の髪は背中まで伸び、白色のローブのような衣装を着ている。幼子ならば天使にでも見えたかもしれないが、見たところ体格はそれなりによく、背丈もエドガーより高そうだ。

「これ、起きぬか、ローラン」

 シニフィスが杖の先でぽかぽかと頭を叩く。するとむくりと体が起き上がった。

「んー? なんだよ、師匠か? なんでこんなとこに……」

 酒臭い。

 エドガーのローランへの第一印象は最悪だった。

「しゃきっとせぬか、うつけ。ほれ」

 シニフィスがとんと杖で床を叩くと、淡い水色の魔法陣が一瞬辺りに浮かび上がった。たちまちにローランから酒臭さが抜けていく。

「せっかく気分よく酔ってたのに……」

 どうやらシニフィスは魔術でローランの酒を抜いてしまったらしい。さすがは〈十二人の大魔術師〉の中でも古株なだけはある。難しそうな魔術も容易く行えるようだ。

「そなたに紹介しよう。新しい秘書官のエドガー・ランベルトじゃ」

「エドガーです」

 微笑みながら手を出すが、ローランは頬杖をついたまま、その手を握り返さなかった。

「そう」

「態度が悪いのう」

 ぐりぐりと杖で額を押され、ローランは迷惑そうに顔を歪める。

「どうせまたすぐ辞めていくんだろう。名前を覚えるだけ無駄だ」

 すぐ辞めていくという言葉に、エドガーは苦笑いを浮かべた。その噂なら知っている。ローランのもとについた秘書官はどういうわけだか次々と辞めていっているのだ。エドガーはその理由など知る由もなかったが、今ならわかる。みなこの怠惰な男を御しきれず辞めていったに違いない。

「原因が己にあるとは考えないあたり、わしは育て方を間違えたらしい」シニフィスはため息を吐く。「まあよい。相性というものもある。しばらくは様子見じゃ」

「それで、何の用だよ。ただ新しい秘書官を紹介するためだけに、お忙しいあんたが来るはずないだろう」

「勘が良くて助かるのう。わしからそなたに命令──依頼がある」

「今、命令って……」

「フィラルント家を知っているかの? この国でもかなり有力な貴族じゃ」

 庶民育ちのエドガーはもちろん知らないが、ローランは頷いた。

「子供の頃、何度か親に連れられて挨拶に行ったよ。うちも一応はお貴族様だからな」

「そこの当主・ハルベルトが死んでしもうた。じゃが、困ったことに宝物庫の鍵をどこかに隠したまま死んだらしいのじゃ。そこでじゃ、ローラン。言わずともわかるとは思うが、お前はハルベルトに死霊術をかけ、鍵をどこに隠したのか訊きだすのじゃ。よいな」

「どうせ嫌だって言っても無理やりやらせるんだろう。あんたは」

「フィラルント家は魔術師に対して排他的じゃ。恩を売っておいて損はない」

「俺は政治に興味はないよ」

「お前になくとも、わしにはある。ゆけ」

 さほど圧のある言い方ではなかったが、師弟の絆、もとい師弟の力関係なのか、ローランは渋々と立ち上がった。

「行くぞ、新人」

「はい」

 エドガーはローランの後を追った。シニフィスがにこにこと笑いながら手を振っていた。


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