第99話


 ーーーこんな筈ではなかったのに。

カマルは叩かれた頬を抑えながら、自分の頬を叩いた張本人を見た。


 サマンサの凛とした真っ直ぐな瞳と目が合うと、カマルはまるで自身の弱い心まで見透かされているような気になった。



 遡ること数分前。‥梟の声が響く静かな夜。

カマルたちは魔女たちが眠る小屋を一軒一軒回っていた。


 フェリシテを脅すための材料とはいえ、心を許し合いながら10年以上も共に過ごしてきた仲間たち。

 心を鬼にしきれなかったカマルは、シワシワになっていく魔女たちを複雑な表情で見つめていた。


 交渉が無事成功して魔法を手に入れたら、その時は元に戻してやるから‥と心の中で何度も繰り返した。

 彼はのちに「目標の為なら手段を選ばない男だった」と伝えられているが、決して非情な男ではなかったのだ。



 ーー残るは拠点の最奥で眠るサマンサたち。

魔女たちの中にも武力に長けた者はいるが、サマンサの護衛たちはやはり別格である。


 特にレオン。彼には10年以上前のあの日に返り討ちにされた苦い過去がある。


 時の流れによりあの時の屈辱は昇華されてはいたが、やはりレオンの顔を見ればあの時の悔しさは蘇った。


 日中再会した時にはなんてことのないふりをしてレオンの存在を気にしないようにしていたが、カマルの心は苦い思い出に埋め尽くされていた。



 あの時は何も手に入れられない非力な存在だと打ちのめされたが、今の俺は違う‥!ーーその思いを胸に、レオンたちの小屋の戸を開ける。


 


 カマルは10年以上前のあのトラブルの際、自身がレオンに魔法を掛けられたことに気が付いていなかった。あの時はカマルも気が動転していて正常な判断ができていなかったのだ。


 レオンにやられた従者たちの話から、レオンはフェリシテと同様に精神的な魔法を操ると聞いていた。




 カマルはごくりと息を飲んだ後に従者たちに合図を送る。

従者たちは一斉に小屋の中に入り、眠りにつく3人に襲いかかった。



『あのレオンという男は、魔法を使う際に何やらぶつぶつと呟いておりました!』



 レオンは言葉として唱えることで魔法を使えるのだろう。誰もがそう信じ込んでいた。だから体を縛る際に優先して“口元”を縛ったのだ。


 ぱちっと目を開けたレオンと従者の目が合う。従者は一瞬怯んだが、言葉を話せないよう処置はしてある。


 3人がかりでとっとと体を縛ってしまおう、と機敏に動いていたはずの従者のうちの1人が突如動きを止めた。


 レオンと目を合わせていたその従者は突如として目の色を変え、ぼうっと立ち尽くしたのだ。


「‥おい、どうした?」


 異変に気付いた他の従者が声をかけるものの、突然剣を鞘から抜いた仲間に狼狽えて距離を取る。


「まさか、お前‥魔法に掛かったのか‥?!」


 その言葉を最後に、声を掛けた従者は血を吹き出して倒れた。残る従者もレオンと目が合うたびにレオンの操り人形と化していく。


 もはや縄で縛るどころの騒ぎではない。バートン卿やサマンサのことすらまともに縛ることができぬまま、小屋の中には従者たちの阿鼻叫喚が響いた。


 このままではマズイ、とカマルは右の手のひらをレオンの背中に押し付けようとした。

 カマルは手のひらで触れることで魔法を使うことができるのだ。


 だがその大きな背にもう少しで指先が届く、というタイミングでレオンは振り返った。


 ハッ、としてレオンと目を合わせてしまったカマルは、当然レオンの操り人形である。



 仲間同士で争わせている間に、サマンサがレオンに駆け寄った。


「レオン!大丈夫?!」


 サマンサが彼の口元に巻かれた布を外すと、レオンは「ありがとうございます」と優しい声で言う。サマンサに怪我がないことを確認したレオンはホッと安堵の表情を浮かべた。


「‥外の様子を見に行きましょう」

 

 レオンの言葉をきっかけに3人は小屋の外へ出て、魔女たちの惨状を知ったのだった。





*サマンサ視点





 魔女たちはまるで枯れ果てた草木のように皆横たわっていた。カマル殿下や彼の従者たちが正気に戻ると、仲間同士で斬り合ったことによるダメージから完全に意気消沈していた。



 カマル殿下は腕に切り傷を負っているようだけど、運良く軽傷で済んだようだった。



「カマル殿下、一体どういうことですか」


「‥‥フェリシテとの交渉の為に必要なことだった」


 そう言ってカマル殿下はギリッと歯を食いしばるような表情を見せている。


 ーー王座を目指すには、時には犠牲もつきものでしょう。交渉というのはきっと魔法に関してでしょうね。


 フェリシテ様の力は確かに王座を奪う上で喉から手が出るほどに欲しいでしょう。


 けど‥


「‥カマル殿下にとっての魔女たちの価値がよく分かりました」


「っ」


 何年も同じ拠点で過ごしていたら、情が湧くものなんじゃないの?


「帝国をより良いものにするために王座を狙うわけではなく、貴方はただ自分を満たすためだけに王座を狙っているんですね。‥だから平気でこんなことができるんです」


「‥‥‥お前に何がわかるっ!!!‥‥‥っ、綺麗事をほざくだけでは何も手に入れられない!!何のために何年も費やしたと思ってるんだ!!!‥‥このくらいで力を得られるならいくらでもやってやる!!!!」



 カマル殿下は何かに取り憑かれたように叫んでいた。そう強く思い込むことで雑念を消そうとしているようにも見えた。


 一体‥何にそこまで追い込まれているんだろう‥。




 ぎゅっと唇を強く結んで彼の頬を叩いた。

辺りにパァン!と乾いた音が響く。



「カマル殿下!!!」



 彼の従者であるジャンヌの声が聞こえたけど、私はその声に反応しないまま口を開いた。


 頬を叩いた手のひらがジンジンと痛む。思えば誰かを叩いたのは初めてのことだ。



「貴方が目指しているのは民を犠牲にできる愚かな皇帝なのですか。それとも、民を大切にする素晴らしき皇帝ですか。‥‥魔女たちを元に戻してください。‥今すぐに」



 カマル殿下の瞳は揺れていた。

彼は何も言わないまま魔女たちを元に戻したあと、従者たちの傷も癒していった。


 目隠しを取ったフェリシテ様はカマル殿下を見ながらボソッと「前回レオンにやられた時は泣き喚くだけで何もできなかったのにな」と呟いていた。


 ジャンヌはカマル殿下の側に行き、呆然としながらも彼が従者たちを癒す作業を手伝っていた。



 私たち3人はその光景を眺めている最中にピリピリとした刺激に襲われ、その場から飛ばされることになった。だからこのあとに拠点がどうなったのかを、私たちは知らない。



 それでもきっとこの件をきっかけにカマル殿下と魔女たちの関係にヒビが入ったに違いない。


 私たちがここに飛ばされた理由は、“カマル殿下に新たな力を授けない”為だったのかもしれない。




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