第92話


 ーーその日の夜のこと。


 この森の中にはフェリシテを慕う魔女が小さな集落を作っており、いつか魔女狩りが行われた際にも多くの魔女たちが避難生活を送れるよう、予め小屋が何棟か用意してあった。


 勿論設計図などは必要だが、他人を魔力で怪力にできる魔女が居る為、彼女たちだけでも簡単な建物を創ることは可能だったのだ。


 サマンサたちは過去に飛んできて初めて夜を迎えることになった。小屋が立ち並ぶ中、魔法で作られた大きな炎が辺りを照らしている。


 フェリシテとサマンサが木の椅子に腰を掛け、その炎を囲むようにして語り合う中、レオンとバートン卿は2人で夜道を歩いていた。


 フェリシテが魔光虫という魔力を含んだ虫を捕まえてこいと指示した為である。

 レオンとバートン卿はあまり言葉を発さないまま、黙々と水辺を探した。なんでも魔光虫は体全体が青白く光るらしく、割とすぐに捕れるらしい。

 フェリシテから渡された網を握り直したレオンは、チラッとバートン卿に視線をやった。


 月明かりと松明が頼りの暗い森の中。バートン卿の黒い髪はそのまま夜の闇に溶け込んでしまいそうだ。


「‥‥よく平然としていられますね」


 沈黙を破ったのはレオンだった。

レオンは月を見上げて目を細めた。今宵は、月が丸い。


 過去に戻ってからはコロコロと場面が変わるうえ、夜を迎えたのは今回が初めてのこと。またすぐに次の場面に移ってしまえば、いつ満月を迎えるのか正確には分からなくなってしまう。


 レオンが言いたいのは「満月かもしれないのに平気なんですか」という意味も勿論あるが、別な意味も含んでいた。


 バートン卿もその意図を察し、振り返ってレオンを見つめた。


「‥‥‥平然、というより、望んでいることだ」


「妬いたりしないんですか」


「妬いてどうする。せっかく皇女様に好きなお相手ができたのに」


「‥‥」


 レオンはバートン卿が胸の内に隠していた感情を見破っていた。


 離宮にいる時から、レオンはよくサマンサを盗み見ていた。そうすると、当然彼女の周りにも目がいく。


 ノエルはあからさまにサマンサを好いていたが、その一方でバートン卿が彼女を見つめる視線の優しさに、レオンはピンときていたのだ。


 もちろんサマンサはバートン卿の気持ちになど気付いていないが。


「‥‥その相手が俺で、不服じゃないんですか」


 自分は元々猫だったんだぞ、という意を込めてレオンは言う。


「それを含めてお前を好いているんだろ、皇女様は。それなら私が口を出すことじゃない」


「‥‥‥未来が変わったら、皇女様は相応しい相手と一緒になるって、こんな俺でもわかってます」


 サマンサが当たり前に幸せな皇女として日々を過ごしていたら。高貴な立場の男性の嫁として自分の元を離れていく。

 その時にサマンサとレオン自身が今の記憶を持っているかどうかすら分からない。


 想い合っていたことすら分からないまま、皇女の婚約を一般市民として祝っている可能性すらあるのだ。


 仮に記憶を持っていたとしても、サマンサがどこかの王子と結婚すると言われても、それを拒否する力なんて持っていない。


 むしろこんなにも頑張ってやっと手に入れた当たり前の幸せな日々を、「駆け落ちしてでも俺と幸せになろう」とぶち壊す図太い神経も持ち合わせていない。


 そもそも。

レオンは未来で存在しているかどうかすら分からないのだ。


 レオンは網で青白い光を追いながら、やるせない気持ちを抱えていた。


「だったらなんだ。期間限定だから遊び感覚で側にいるのだとでも言いたいのか」


「‥はい?そんなわけないじゃないですか」


「‥‥あの魔女ですら、誰がどうなるのかさっぱり予測できないんだぞ。だったらせめて間違いなく一緒にいられる間だけでも皇女様を精一杯幸せにしろ」


 バートン卿はそう言って2匹同時に魔光虫を捕らえ、「捕れたぞ!!」と一瞬嬉しそうに表情を明るくした。


「‥ありがとうございます」


 確かに誰にも分からない未来のことを考えて落ち込むくらいなら、いまこの瞬間を大切にしよう、とレオンは心の中で小さく誓った。


 拠点に戻るとサマンサが青い顔をして2人の元へ走ってきた。どうやらフェリシテから、今日が満月であることを聞いたらしい。


 長いまつ毛を何度も瞬かせて焦るサマンサを、2人は愛おしく感じていた。もちろんバートン卿は一切顔には出さないのだが。



「だ、大丈夫なんですか?!ぜんぜん吸血鬼になってませんね?!?!」


「ーーえぇ。何故でしょうね。過去だからかもしれません」


「そ、そうなんですか‥?とりあえず、よかったですね」


 バートン卿はいつのまにかサマンサを、心から愛していた。同情心や、過去に対する罪悪感で埋め尽くされていたはずだった彼の心は、いつしか純粋に彼女に惹かれていた。


 汚れたり折れたり腐ったりしてもおかしくなかった彼女は、いつもひた向きに運命と向き合おうと懸命だった。

 涙を流しても、周りを大切に思う気持ちを忘れなかった。


 バートン卿は彼女の幸せを強く願うようになり、気が付いたら気持ちは大きく膨れていたのだ。


 だがバートン卿は彼女を奪う気なんてさらさらない。

静かに、大樹のように、サマンサを見守っていたいのだ。

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