第70話


 魔女の母はやっぱり私なんかじゃ想像もつかない力を持ってる。お父様とロジェを守りたいと息巻いていたけれど、結局私はこのまま何もできないの‥?


「皇女様!!お逃げ下さい!!!どこか遠くに!」


 ロジェの剣をいなしながらバートン卿が叫んだ。制御不能だった心臓が、その途端に更に大きく音を立てる。


 ーーーこんな状況で逃げられるわけないじゃない‥。みんながここにいるのに‥‥外は敵だらけなのに‥‥。


 胸の前でぎゅうっと自分の手を握り締めていた私は、いつのまにかすっかり希望を失っていた。しゃがみ込みながら、倒れたままのお父様を呆然と見つめる。


「行くよ!!」


 突如グイッと左腕を持ち上げられて半ば強引に体を引き上げられた。

 よろけながらも何とかバランスを保って立ち上がる。私の腕を掴み上げたのはノエル。説明をしなくても状況を飲み込むことができたらしい。


「‥ノエル‥‥」


「逃げるよ!!」


 そう言ってノエルは歩き出す。歩くペースが早くて、足がもつれそうになる。魔女の母がニヤニヤ笑いながらこちらを見ているのが分かって背中が凍りそうになった。


「待って‥ノエル‥‥駄目よ‥」


「いいから!」


 きっと、今この場から逃げたら‥


「ーー駄目‥‥お父様とロジェが殺されてしまう‥‥」


 私が力なく言い切ると、魔女の母は何とも楽しそうにケタケタと笑った。

 ノエルがチッと舌打ちをして魔女の母を睨み上げると、魔女の母はわざとらしく眉を下げて悲しそうなふりをしている。


「なんだいノエル。あんなに可愛がってやったのに。もう忘れちゃったのかい?散々甘い夜を過ごしたじゃないか」


「‥あんた本当趣味悪いよ」


 ノエルがそう呟いた時、テッドが魔女の母に斬りかかった。魔女の母はノエルを見ていたから、今がチャンスだと判断したのだと思う。


「皇女様をこれ以上苦しめるな!!」


 テッドがそう叫んだ途端、テッドの体はピタッと動きを止めた。振り返った魔女の母と目があったようだ。

 ーーーーやっぱり、テッドにも魔法が効いてしまうの‥?


 私が絶望した顔を見て、魔女の母はなんとも楽しげだ。また直ぐに動き出したテッドは私とノエルの方へと歩き出した。


「おいおいおいおい、テッド!!」


 片手に剣を持ったまま無表情で私たちの元へ向かってくるテッドを見て、ノエルもすぐに剣を構えた。


「っ、皇女様、早く扉の方に走って!レオン!皇女様を任せたよ!!」


 ノエルはそう言ってテッドの剣を受け止めた。

ーーーーノエルは猫がレオンなのだと知らないから‥。


 部屋の中にはバートン卿とロジェ、そしてテッドとノエルが剣と剣をぶつけ合う音が響いている。もう誰が怪我をしてしまってもおかしくはない。


「‥‥もう、いや‥‥」


 溢れでた消え入りそうな本音。

いっそのこと、ここで全員で死んでしまった方が楽なのでは‥?


「レオン!!!皇女様を守って!!!」


 ノエルが叫ぶと、魔女の母は高らかに笑い声を上げた。


「ーー守るわけないじゃないか、なぁ‥猫?」


「はあ?!」



 動揺して動きが鈍ったノエルは、その隙をついたテッドに吹き飛ばされてしまった。テッドは無表情のまま地面に倒れ込んだノエルに剣先を向けている。


「おい!!!レオン!!!!どういうことだよ!!!」


 絶対絶命のノエルの口から出た言葉はそんな台詞だった。



 私は風前の灯のような残りわずかな気力を振り絞って、後ろからテッドに抱きついた。

 ノエルが体制を整える時間を作りたかった。だけど相手は騎士。普段から鍛えている彼らと私とじゃ体の作りは比べ物にならない。案の定テッドが少し肘を後ろに引いただけで私は吹き飛ばされるようにして尻もちをついた。その勢いのまま後頭部も勢いよく床に打ちつけそうになったけど、寸前のところで何かが私の頭をキャッチした。


 それが何だったのかは直ぐ目の前に入ってきた。



「‥‥‥ひとつだけ、方法があります」


 

 床ギリギリのところで支えられた私の目の前に、私を覗き込むレオンの姿があった。その大きな両手で私の頭を守ってくれたらしい。


 一体なぜ‥?


 そっと体を起こされて目と目が合う。

アーモンド型の形の良い双眼は、真剣に私を見つめていた。


 ノエルとテッドは再び剣と剣をぶつけ合い始めたけど、ノエルはそれどころじゃ無さそうだ。牙を剥き出した肉食獣のような目付きでレオンを睨んでいる。


「おいお前ふざけるなよまじで!ぶっ殺してやるから待っとけ!!」


 ノエルが腹を立てて叫ぶ中、レオンは小さく言葉を落とした。


「‥‥私が魔女から力を貰った時、その力と引き換えに魔女とある契約を結びました」


 レオンは自身が猫であることを認めたうえで説明を始めた。魔女の母がこちらに向かって歩き出しているものの、レオンは言葉を止めようとしない。


 レオンは魔女の母のことを魔女と呼んでいるみたい。

魔女の母にはちゃんとした名前がないのか、はたまたレオンですらその名を知らないのか。


「その契約により、私は魔女をこの手で殺めることはできません」


「‥‥」


 レオンはいま一体なんの立場で話をしているの‥?


「だから、この場を切り抜ける方法はひとつ。‥皇女様、貴女の魔法だけです」


「‥どういうこと?」


 私がそう言葉を落とした途端、魔女の母の冷たい声が響いた。


「ーーーーーーーーーーー猫、あんた‥私を裏切るのか」


 ぞくりと肝が凍るような、冷たい声だった。

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