第34話


 息も乱れて、涙で前も見えない。響く嗚咽は凛と生きていた筈の私のものとは思えない、危うくも痛々しいものだった。


 バートン卿は剣を抜こうと暴れる私を抑え込もうと、力強く私を抱き締めたまま。


 どれだけの時間が経ったのか分からない。私はもう暴れるのを諦めてわんわん泣いた。こんな泣き方をする日が来るなんて思わなかった。

 この哀れな境遇に泣くのはもうやめようと思っていたのに、まるで駄々を捏ねる幼な子のようだ。


 バートン卿がテッドとノエルに事情を説明してくれている間、私はずっとノエルに背中を撫でられていた。‥やっぱり今の私は幼な子ね。


 でも今だけはそれに甘えさせて欲しい。しゃんとする気力は湧かなくて、テッドが渡してくれたハンカチを涙と鼻水で濡らしながら大人しく話が終わるのを待った。


「‥‥‥ひどい」


 ノエルの声まで泣き出しそうだ。


「‥‥私は魔女や魔女狩りについてより詳しく調べようと思う。魔女の狙いや、魔女に有効な攻撃方法が見つかるかもしれない」


 バートン卿が2人にそう話しているけど、私の心は絶望したままだから、どうしても希望なんて持てない。


 だってバートン卿は魔女を殺そうとしていたのに、それが叶わなかったのだから。今更有効な攻撃手段なんて見つからないと思う。


「‥‥もう魔女に好き勝手されるのは嫌だから、今ここで死にたい」


 ぽろりと言葉が落ちた。紛れもない本音。今考えられる限りの最善策。


「皇女様‥!!」


 バートン卿が必死な声を出している。

むしろどうしてバートン卿は気持ちを強く持っていられるんだろう。


 バートン卿は私を殺してはくれなそうだなぁ。テッドとノエルだったら‥ノエルの方が私の気持ちに共鳴して、私の命を終わらせてくれるかもしれない。


「ノエル、お願い。貴方なら理解してくれるよね‥?10年間も辛い思いをしたのに、それでも生きようと思ったのに、まだ希望を持ってはいけないなんてもう辛いだけなの」


 止まりかけていた涙がまたぽろぽろと溢れる。ノエルはその綺麗な顔を苦しそうに歪ませて、きらきらと輝く瞳に大粒の涙を溜めた。


 ノエルは私が魔女に体を乗っ取られていたことを知った時、私の痛みに心から共感してくれた。きっと剣を取ってくれる筈‥


「‥‥‥俺、苦しいけど、皇女様の苦しむ姿‥見たくない」


 ぽろりと涙を流したノエルは剣の柄に手を掛けた。


「ーーーおいやめろ!」


 バートン卿は半ば叫びながらノエルの腕を抑えようとした。必死な2人が動きを止めたのは、私の目の前でテッドが跪く姿を見た時だった。


「‥‥皇女様。‥‥今思えば、の話ではありますが‥。ひとつ気付いたことがあります」


「‥‥な、に‥?」


「‥‥皇女様が体を乗っ取られていた頃、私は夜に何回か皇女様‥いえ、魔女から誘いを受けておりました」


 え‥?テッドも‥?

私の意識が途切れたあとに、テッドも魔女に誑かされていたの‥?


「‥魔女は恐らく何らかの催眠か暗示を掛けて相手を虜にするのでしょう。“自分は流されない”と断言していた騎士たちが一瞬で落ちる様を近くで見ていたので、恐らく間違いないと思います」


 魔女に体を乗っ取られた時のことを思い出した。

あの時は魔女と目があったのがきっかけだったな‥。


 私の体を乗っ取るほどの魔法ではなくても、テッドが言うようにちょっとした催眠や暗示で自分の都合よく人を操ることは行っていたのかもしれない。


「‥‥テッドも催眠や暗示にかかったの?」


 もう泣き止んだけれど泣きすぎたせいか鼻が詰まったままだ。情け無い私の鼻声は力なく揺れに揺れていた。


「いえ。それが、私は一切かからなかったのです。‥ですから、魔女の思い通りになっている者達を冷ややかに見ていたのですが、私が特殊だったようです」


 テッドの言葉に、先程まで揉み合いをしていた筈のバートン卿とノエルが気まずそうに視線を落とした。


「‥‥‥‥魔女の魔法が効かないの‥?」


 でもそれなら、テッドにも猫同様にリセット魔法が効いてないんじゃ‥?そんな素振りは一切なかったけど‥


「‥‥‥全部が効かないのかは分かりません。でも、催眠や暗示が効かない私なら‥、もしもまた皇女様が魔女に乗っ取られてどうにもならなくなった時、私なら皇女様を斬ることができます」


 ーーーもし本当に効かないのなら。

それなら、最悪の事態に陥った際に終わりにしてもらえる。‥でも‥。


「それがいつ訪れる話かわからないし、本当に乗っ取られるのか、それとも別な方法で苦しめられるのかが分からないから‥‥。テッドをそれまでの間ずっと縛り続けていたくない」


 テッドはたぶん、魔女狩りで家族を亡くした被害者だから。いつまでも私の側に縛っておくことはできない。


「‥‥貴女は加害者ではなく、被害者ですよ。皇女様」


 丸眼鏡の奥のテッドの瞳がギラっと光った。あんたのせいじゃないだろ、と言ってくれているのだと思ったらほんの少しだけ、呼吸が楽になった気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る