K衛さん

 Kさんが受付の椅子に座った時、宇津木先輩はしばらく受付をしなかった。

 最初は座っていることに気が付かなかっただけなのだが、気が付いてからも冗談だろうとでも思ったのか、軽く笑って受付をすることは無かった。

 それでも五分程K衛さんが座りっぱなしでいると冗談でも何でも無いと判断したらしく、用紙を持ってK衛さんの前に座った。

 先輩にとって、それ位に意外な相手だったらしい。僕が――


 ――そんなに意外ですかね?


 と訊けば、苦虫を嚙み潰した様な顔をしながら――


「意外って言うよりも、な。ちょい辛い相手だわ」


 と言って用紙を手渡した。

 年齢は二十二歳、性別は女性、肩に届かない程度のショートボブを揺らしながら『①人生に疲れたから』に丸を付けた。

 本当は別の理由が在ったとしても話す気はない。そう言う意思表示だ。


「……本当の理由、書かねぇの?」


 心当たりでもあるのか、デカいアフロに手を突っ込んでバリバリやりながら宇津木パイセン。

 K衛さんはそれに答える様に、にっこりと笑った。

 言わなくても分かるでしょ? 或いは聞くなやボケェ。その辺りだ。何れにしても、音になっていない答えを投げられた宇津木先輩はとても嫌そうに受付処理をした。

 それだけだ。


■□■□■


 直が被らないので、普段は見ることの無い、別の直の人の利用者に対する対応。

 僕はソレを今回のケースで見ることになった。

 と、言っても見たのは後輩組、つまりは唐木さんと野村さんの二人だけだ。

 先ずは唐木さん。

 僕にソシャゲを薦めた小動物系女子である彼女の武器は案の定ソシャゲだった。どうやら武器としている、或いはガチャを回す為に働いていると言い切るだけあって、彼女はその他にも幾つものソシャゲをやっているらしい。


「面白いゲームってそれだけで楽しいじゃないですか! 次のイベントは何かな? とか、原作ありの、ほら、これ! 薦めた奴、アニメあるんですけど、知ってます? え、知らない? んじゃ、見て下さい! そこに出てる、キャラが未だ実装されてないんですけど、本当に良い娘で! 実装を楽しみにしてるんですよ! ほんっっっとにっ! アニメっ、良いんでっ! 見て下さい! もうっ、私、何回泣いたか……ッ!」


 思い出しながら、拳を握って唐木さん、まさかの男泣き。……女の子やぞ。


「そう言う小さいのが私が生きてる理由ですね。ほら、今の時代って働かなくても良いじゃないですか。もう何て言うか、人間、絶対に機械に勝てなーい、みたいに言われてるじゃないですか。でも! でもですよ! おい、ロボ、お前、私程このコンテンツ楽しめるのか、と! 萌えられるんか? と! それか燃えられるんか、この不燃物が! そう言う感じな訳ですよ!」


 K衛さんはそう言うの無いんですか? と熱血オタク系小動物女子。

 そんな属性もりもりの彼女に、K衛さんは申し訳なさそうに、何かを諦める様に、小さく首を振る。小さな楽しみなら、ある。それでもソレを待ち望むことが出来ない程度には大きな苦しみがあるから“おわり”を選んだのだ。

 横に振られた首に、


「……そうですか」


 と、少し悲しそうに唐木さん。それでも立ち去る時に「明日、アニメのデータもってくるんでっ!」と敬礼をして立ち去って行った。

 彼女のグレーゾーンへの踏み込み方はプラス方向だった。真性社会生物には“死ぬ役割”を持った個体がいるらしいが、基本的に動物の本能は死を恐れる。

 小さな言い訳でも人は生にしがみついてしまう。

 機械が人間の代わりに働いてくれる前。

 生きる為に働かなければならない時代。若しかしたらこういう小さな楽しみや、良いことを支えにして人は働いていたのかもしれない。

 僕はふと、そんなことを考えた。


■□■□■


 次に野村さん。

 眼鏡クール男子である彼を観察していて気が付いたのだが、どうやら彼は女子と目が合わない系男子らしい。とても挙動不審に、それでも確たる意志を持ってK衛さんに接していた。イケメンなのに自信を持てばよろしいのに……。


「貴女は優秀ですし、その、勿体なくないですか? ほら、人的資材的観点からみても……」


 意外なことに……と言ったら悪いのか、それとも悪くないのかすら分からないのだが、野村さんはK衛さんの“おわり”を止めようとしていた。

 勝手に変な仲間意識を持ち、僕寄り――つまり、あまり干渉しないタイプだと思っていたので、正直に言って意外だ。

 因みに、僕が干渉するのは相手が“生きたい”と思っていても、追い詰められてその選択肢を見失ってしまっているK田さんの様なパターンのみだ。

 まぁ、所詮は浅い僕の人生経験が判断基準なので、見誤ることも多い。それでも“生きたい”と思っている人に“おわり”を選ばせないのが僕が自殺屋として干渉するグレーゾーンの条件だった。

 だから僕はK衛さんには干渉しない。“生きたい”と思っていない以上、僕が干渉できるグレーゾーンに彼女は居ないのだから。

 さて、相手が悪かったせいか、残念ながら野村さんのグレーゾーンへの踏み込み方は今一分からないままで終わってしまった。

 それでも僕は彼が僕の想像よりも人情の男なのだと知ることができた。

 僕は両親がアレなので今一想像できないのだが“おわり”を選ぶのを止める際の理由に『家族』があるK田さんの様な人の家族はもしかしたら野村さんの様な人情の人なのかもしれない。

 だって良い人が何も悪いことをしていないのに悲しい思いをすると言うのは、余り気分が良くない。

 悲しませたくない人が居る。それで止まる人もいるのだろう。

 ……だがそれでも“おわり”を選ぶ人もいる。

 他人のことを考えられない人。そう言う言い方も出来てしまうが、他人のことを考えても、それでも選んでいる人もいる。

 そう言う人達の気持ちの方が僕にはまだ想像が付きやすいので、僕はやはり“おわり”を望む人を止めることは出来ないだろう。


■□■□■


 僕等は背中を押さない。

 僕等は引き止めない。

 それが自殺屋の理念だ。……理念、なのだが――

 K衛さんケースを見るに、どうやらこれに忠実なのは僕と宇津木先輩だけであり、他の人、唐木さんに、野村さんは勿論のこと、その先輩である桜庭さんと田畑さん、そして僕等の頂点に立つ男、つまりはボスである所長ですらコレを守っていないようだった。

 後輩ズほど露骨ではないモノの、引き留める様なことを言っていたのだ。

 着いた先輩が良かったのか、悪かったのか、宇津木先輩が一番ドライだった。

 先輩が“おわり”を選ぶ人を止めることは無い。突き落とすことは、ある。何と言うか、世間が持つ自殺屋の負の部分を集めた様な男、それが宇津木パイセンだった。

 態度で示すことはある。

 K衛さんにした様に、嫌な顔をしたり、態度で示すことはあるのだが、決して宇津木先輩は言葉で止めることはしない。

 それが凡そ三ヵ月に渡る観察から分かる宇津木朔日を言うアフロの人物評だった。


「……明日だが、良いのか?」


 そんな人が珍しくK衛さんにはそんなことを言う。

 何だ。魔性の女でも気取るつもりか? 僕はそんなことを思いつつ、先輩に


 ――少し干渉し過ぎじゃないっすか?


 と言った。

 それだけだ。


■□■□■


 近衛このえあきらと言う名の少女がソレを自覚したのは小学校の頃だった。

 ある日、ふと、気が付いた。

 自分は男性なのだ、と。

 性同一性障害。

 生まれた時に割り当てられた性と、自認する性が異なっていた。

 切っ掛けは初恋だった。

 それまでも、スカートを穿くのが何となく嫌だったりしたが、ある日、親友と思っている相手に対して自分が持つ感情が世間一般では“恋”と呼ばれるモノなのだと気が付いたのだ。

 時は久化。個人の時代だ。良いか悪いかは別として、理解が広がり、同性婚も条件を満たせば認められ、そう言う方向での差別も薄くはなっていた。

 それでもどうしたってマイノリティだ。

 打ち明けるのが素晴らしいことの様に言われ、打ち明けた人を差別することは恥ずかしいことだと言われては居るが、どうしたってマイノリティなのだ。

 私達の気持ちを分かってくれ! と自分と同じ様な人達がいう。

 それでも思うのだ。

 相手の気持ちも考えるべきでは? と。

 ある日、親友だと思っていた同性の友人に『自分はアナタを恋愛対象としてみています』と打ち明けられる。そして世間はこう続けるのだ『差別はいけないことだから、ソレを受け入れろ』『恋人は無理だったとしてもこれまで通り友人として付き合え』と。それは余りにも――自分勝手だ。

 自分達を受け入れてもらう権利があるのなら、相手にだって拒絶する権利はある。マイノリティが『こちらの価値観を受け入れろ!』と騒ぐのは弱者であることを使った単なる脅迫だ。

 そう言う考え方だったので、自分が性同一性障害であることは誰かに言うこと無く、生きていくことにした。恋人、或いは結婚。そう言うモノは諦めた。久化の時代は人との繋がりが薄いので、こちらの選択は、まぁ、良くあることだった。

 だが少し間違えた。

 ふと、両親に打ち明けてみたのだ。

 そこには少しの子供らしさ、両親ならきっと受け入れてくれる、と言う思いが有った。

 中学の頃だったと記憶している。

 まだ“大人”と言う人達を信頼していた頃だ。

 何年か後ならばきっとその選択肢を選ぶことは無かっただろう。

 大人は単なる人間で、動物だ。大人だから正しい何てことは無いし、大人だから優しいなんてことはない。……同様に、親だからと言う理由で無条件で子供を受け入れてくれるなんてことも無いし、少し悲しいが、受け入れる必要だって無い。親だって個人だ。

 大人で無く。

 両親で無く。

 個人。近衛健司と近衛留美子が受け入れてくれるかを考えるべきだったのだ。

 両親には泣かれた。責められた。

 異常だと自覚してはいても、他人に、それも自分の近くにいる場所に居る両親にその部分を刺されるのは、まぁ、流石に堪えた。


 ――やっぱり人には話さない方が良いことなんだなぁ


 そんな風に独り呟いて、人生の指針の一つを固めた。

 だが残念。

 人の口にはなんとやらだ。

 我が子の特異性。それは母親にとっては恰好のネタだったらしい。『ドラマティックな私』を演じる様に、悲劇のヒロインの様に、悲しそうに、泣きながら、それでも何故か多くの人に、どこか得意気に彼女は娘の特異性を嘆いてみせた。


「どうしてあんな風に……」

「ちゃんと育てたつもりだったのに……」

「私が悪かったのかしら……」


 悲し気に/楽し気に

 彼女は秘密をバラ撒いた。

 そうなってしまえば、折角固めた人生の指針も揺らぐと言うモノだ。

 隠す必要が無くなってしまったし、一々否定するのも馬鹿らしくなったので、自分の思う通りに振る舞うことにした。高校は私服の所を選び、制服を着ないで良いようにした。

 そしてこの頃から、両親に関わるのを止めた。

 産んでしまったのだから、その分の責任として成人するまでの生活は面倒を見て貰う。期待していない子供。或いは期待外れの子供。そんな自分に金を出して貰う。そのことは大変申し訳なく思うし、感謝もする。

 でも、もう甘えたり頼ることはしないと決めた。

 父親も見切りを付けたのだろう。工場に登録してある精子と卵子を使って弟を製造した。愛情と言う彼等が持ち得る、目に見えないリソースはそちらに行った。

 育児免許の剥奪は困るのか、特に虐待も、援助も打ち切られることは無かったので、特に困ることは無かった。

 稀に母親主演のドラマのキャストに指名されるのは正直、ウンザリしたが……それだけだ。

 中学から高校二年までの間は比較的平和に生きられた。

 両親と言う最も身近な他人が、他人への期待を打ち砕いてくれたのも大きい。

 好奇の、或いは嫌悪の視線はやり過ごせたし、自分が“そう言うモノ”だと理解した上で積み上げる友人関係は、成程。『打ち明けるのは素晴らしいことだ!』と言われるのが分かる程度には心地良かった。

 ふと、


 ――アレは成功者の言葉だったのだなぁ


 と腑に落ちた。

 打ち明けて、上手く行った。そんな強者の言葉だから弱者だった自分には響かなかったのだ。

 だが高校二年の時、イジメが始まった。

 能ある鷹は爪を隠すとは言うが、正しくは、悪意と能がある鷹は爪を隠すなのだろう。

 人間である前に犯罪者であるのならば、当然、未成年である前に犯罪者だ。

 未来ある若者だから、と以前なら許されていたことが許されない中、それでもイジメと言うモノを行うモノは爪を隠すことに長けている。

 暴行罪と、器物損壊罪。その辺りをやられた。恐喝罪に該当する行為をやられたら流石に通報しようと決めていた所、その一線だけは越えなかったのだから、本当に大したモノだと思う。

 まぁ、耐えられる範囲ではあった。

 悲しいが、他人にもっと酷い扱いを受けている経験が生きてしまった。

 そしてそれも終わった。

 大学と言う場は随分と過ごしやすかった。クラスメイトと言う概念が酷く薄い。もっと早めに、それこそ中学辺りからこの形態にして欲しかった、と言うのが素直な感想だ。

 そうして大学を卒業して、親の世間体を守る為、そして普通でない子供になってしまったお詫びも兼ねて、ベーシックインカムによるミニマムな生活では無く、就職をした。

 仕事は、意外なことに、楽しかった。

 選んだ職場が良かったのか、諦める前に思い描いていた“大人”が集まっていたからだ。

 異常性が受け入れられた。

 心地が良かった。

 だからより絶望した。

 ある日、同級生がやって来て。

 ある日、トラブルが起きて。

 ある日、ソレをネタに悲劇のヒロインと化した母親が再び異常性の部分を刺しに来た。

 独り立ち。曲りなりにもソレをしていても、追いすがってくる彼女がトドメを刺した。

 だから近衛晶は――







 ……あぁ、いや。もう良いや。止めた。






 だから僕は、、自殺屋の扉を潜った。









あとがき

微妙に匂わせてはいたのだけれど、気が付いた人はいるのだろうか?


一人称だとこういうことが出来て楽しいですね!

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