奴隷商

 その人は午前十時にやって来た。

 昨日やって来たK田さんの息子さんと同じ様に駆けこんで来た彼女は、化粧もしておらず、随分と慌てた様子だった。


「ちょ、ちょっと! 早く! 早く受付しなさいよッ!」


 訂正をしよう。『慌てた』と言うより『必死』『鬼気迫る』の方が近い。

 ここまで慌てて“おわり”に来ると言うのは中々に不思議なものだ。

 そんなことを思いながら僕は席を立ち、受付に向かおうとした。したら、クリームパンの様にデカい手に止められた。

 仕事を覚える為に暫くは僕が受付をすると言う話だったので、少し驚いた。そして驚く僕を後目しりめにデカい手の主、宇津木先輩は受付に向かってしまった。

 きーきー、と高い音が聞こえて来る。

 受付にやって来た先輩に女性が「早く!」とか「急いでっ!」とか怒鳴っている声だ。

 正直に言わせて貰えるのならば、余り好きな種類のではないので、パイセンが対応してくれるのは非常に有り難いと言うのが僕の本音だった。

 だが別に彼女に僕が関わらなくてもいいと言う話とは違うらしい。「おい、後輩」と何やらご指名を受けてしまったので宇津木先輩の下に行ってみれば「これの処理を頼む」と書類を渡された。

 今までにないパターンだ。

 特殊な事例だったから先輩が受付に立ってくれたのだろうか? そんな疑問と共に書類に視線を落とせば『被疑者案件』の文字。どうやら彼女、E藤さんには三歳になる娘さんがいるらしい。小さな影が傍らに無いことを先輩は疑問に思ったのだろう。そもそも三歳のお子さんが居るのなら自殺屋は利用できない。


「これで、私は死ねるのよねっ!?」


 慌てた様に死を望むE藤さん。

 宇津木先輩はなぜか一度、腕時計に視線を落とした後で――


「えぇ、大丈夫ですよ。受付は終わりましたので、部屋でゆっくりして下さい」


 笑顔でそんなことを言った。


■□■□■


 警察に連絡を入れて見れば、E藤さんの住むアパートから小さな死体が一つ見つかった。

 そうなってしまえばE藤さんの立場は根本から変わる。

 国民である前に、女性である前に、そもそも人間である前に――犯罪者だ。

 脳の構造解析が進み、記憶が映像として出力できるようになり、冤罪の生まれる余地が無くなった結果だろう。随分と前に人権の順番は変わった。


『犯罪者である前に人』


 から


『人である前に犯罪者』


 と考えられるようになった。

 労働力は足りている。消費もある。無理をしてまで“彼等”に更生して貰う必要も、極論を言ってしまえば生きていて貰う必要もない。

 そういうことだ。

 そしてこれはあまり一般に知られていないことだが……犯罪者には自殺屋の利用は許可されていない。

 特に今回の様に命を奪ってしまったのなら猶更だ。

 命が一つ。それならばその罪は過不足なく命一つで払わなければならない。

 つまり、既にE藤さんの命は彼女のモノでは無い。

 警察から連絡を受けたのだろう。昼休みに入る五分前。十時五十五分に『贖罪の義務』を履行させる為の組織である人的資材再利用局、蔑称・奴隷商の局員がやって来た。男女の二人ペア。彼等に宇津木先輩がE藤さんの部屋の鍵を渡す。

 突入から数秒でE藤さんは出て来た。抵抗はしない。当然だ。E藤さんは既に『人間』ではなく『犯罪者』。害獣と同じ区分だ。

 人の都合で良し悪しを決められ、狩猟の可否がおりる。そんな“命”と同じ様に扱われる。E藤さんが絶滅危惧種であれば対応も変わるが、生憎と何処にでもいる人間だ。

 つまり牙を剥けば射殺が許可されている。


「嘘吐きっっ! このっ、嘘吐きぃっ! 大丈夫っていったじゃない! なのにっ! それなのにっ! こんなっ! 私はっ! 躾で! それなのにっ! だから! 私はあの子のとこに行こうと! 悪くないっ! 私、悪くないぃぃぃぃぃぃぃ!」


 娘を殴り殺した一人の女は去り際に宇津木先輩を睨みつけ叫んでいた。

 興味が無いのか、欠伸をする宇津木先輩。女はそれを見て、更に叫ぼうとした所、公務執行妨害とでも判断されたのか、スタンガンで気絶をさせられ、運ばれて行った。

 最後まで殺した娘さんに対して詫び無かった彼女に同情をする気は無い。

 それでも流石に一人の人間――訂正。人間だった犯罪者モノの最後に対して欠伸をするのはどうかと思う。それに――


 ――先輩

「あ?」

 ――アレ、良いんですか?

「アレ?」


 どれ? と小首を傾げる宇津木先輩。


 ――受付の最後に嘘吐きましたよね? いえ、そもそもお子さんが居て利用権が無いんだから追い返すべきだったのでは?

「そしたらあの女は逃亡に切り替えて奴隷商と警察の皆さんのお仕事が増えちまうだろ? スピード解決、スピード解決、善良な市民のせめてもの協力って奴だ」

 ――それでも、受付の時点ではまだ犯罪者じゃありませんでした。自殺屋としてあの対応で良いんですか?

「アウトじゃない。セーフでもないがな。……グレーゾーンだ」


 考えてみろよ、とパイセンが一息。


「あの女が犯罪者じゃなければ、あとで『お子さんいることに気が付きませんでした、ごめんなさいー』って所長が頭下げて終了。そして犯罪者だったら既に人権は無い、、、、、。何したって良いんだから嘘を吐いて奴隷商に引き渡しても問題にはならんさ。だから、ほれ、グレーゾーンだ」


 にっこり笑顔でそんなことを言う。


 ――見習った方が、良いですか?

「いや、これに関しては好きにして良いぞ。でもな、どうして一般には『犯罪者は自殺屋を利用できない』ことが知らされていないかを考えてみると言い」


 もう良いか? そんなら俺は飯を食う、と給湯室に向かう宇津木朔日パイセン。その背中を見て、思わず、はぁ、と盛大な溜息が零れた。

 自分が立つ場所が害獣駆除の為の罠だったとは思わなかった。

 自殺屋は人が“おわり”を選ぶ場所だ。それは知っていた。だが、こう言う“おわり”方もあるのだな、と僕は学んだ。

 E藤さんは今後、思考を制御され、労働力として数えられる。逃げると言うことを考えられても、脳から許可が下りず、死にたいと思っても人権を失った彼女に『死ぬ権利』は無く、許されない。四時間の睡眠と三回の食事を含む一時間の休憩。それを糧に日に十九時間労働をし続ける。

 それが彼女の今後の人生の予定だ。

 辛いとは思える。止めたいとも思える。だが止めると言うことは許されない。

 今回であれば命を奪っているので、損害額の数倍の金額を納めれば解放と言うことも無く、それこそ本当に一生だ。

 躾で娘を殺した母親は、機械に場所を空けて貰い、やる必要が無く、ただ、ただ、苦しませる為だけにやらされる労働をこなす資源へと姿を変えてしまった。

 それだけの話だ。








あとがき

ディストピア度数があがってきましたー

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