コーヒー
――今日はご新規、居なさそうですね。
午前中の業務の終わりに、伸びをしながら僕が言うと――
「C直で二人来たからなぁ」
いっっッ! と、鼻毛を引き抜きながら宇津木先輩が応じた。
死神が一日に死ぬ人数の上限を定めているわけでもないのに、何故か一つの直に利用者が集中すると他の直には利用者が来なくなるらしい。
「ま、自殺屋あるあるって奴だ」
ブラック度数が高いので合コン等では披露出来ない種類のあるあるネタだった。と、言うか自殺屋である以上、職業あるあるで笑いを取るのは諦めた方が良いだろう。
「今日は何を食いに行くんだ?」
――この辺でオススメってあります?
配達された弁当を取り出しながらの先輩に、うどんは飽きました、と僕。
ブラック気味なネタを話していたにも関わらず、直ぐにこう言う会話に切り替えることが出来ると言うのもある意味で自殺屋職員あるあるだろう。倫理的なことに鈍い僕等はそれでもしっかりと三大欲求に縛られている。
「ここがオススメだ」
先輩はお米屋さんがやっているカフェとやらの場所データを僕に送り付けると、更にスマホを弄って四百円分の電子マネーを送って来た。
――あざーっす!
と九十度になる僕。
「違うからな? お使いだからな? 日替わりおにぎり、二個頼む」
ただのパシリだった。まぁ、別に構わないが。
「あ、おつりは好きにして良いぞ」
――あざーっす!
お駄賃が貰えるのなら少し張り切ってしまうのが人情と言うものだ。
僕はさっきよりも気持ち強めに声を張りながら九十度になったのだった。
■□■□■
教えて貰ったのは、和カフェと言うか、おにぎりカフェとでも言うべきお店だった。
機械ではなく、夫婦がこじんまりとやっているお店だ。食事が配給されるご時世に何を……と言いたいが、こう言った個人経営の小さな飲食店は意外に多い。
ベーシックインカムは僕の様なダメ人間も生み出すが、夢を追うことを人に許してくれるという側面もあった。衣食住が保証されて居れば多少のギャンブルをするのに抵抗が無くなる。最悪の場合でも食うには困らないのだ。
開店資金の為だけにサラリーマンをやって居たと言う旦那さんが、持ち帰りも出来ると教えてくれたので僕はスープ付きのランチパックを片手に仕事場に戻って来た。
そして席に戻ることなく、自販機スペースのソファーに腰を下ろした。
先輩に頼まれた日替わりおにぎりは一つ百八十円。二つで三百六十円。貰った四百円からソレを引いてみれば残るのは四十円。今日日、小学生でもこの金額では動かない。
そんな訳で僕は小さいながらも意趣返しをしてみることに。ほかほかのおにぎりには申し訳ないが、僕の昼食時間分くらいは冷めて貰うことにした。
自販機でお茶を買い、右隣りにランチを広げる。
そうしてから僕は行儀悪く左手でスマホを弄りながら食事を開始した。
立ち上げたゲームアプリの中のキャラクターが僕の雑な指示で訓練を進めていく。音声をオンにしているので、声優さんが吹き込んだ声が聞こえてくるのだが……あまり聞く気が無いので、適当にタップしながらセリフを送り、食事を進めて行く。
「こんにちは」
そんな感じで声優さんの仕事を意味のないモノにする僕に声が掛けられた。
K田さんが居た。
――こんにちは、ゲーム、少し進めてみましたよ
軽く頭を下げて、齧り掛けのおにぎりを二口で呑み込む。残ったからあげを指でつまんで放り込み、お茶で流し込んで、ごちそうさま。
右隣りに展開していたランチ軍団を畳んでスペースを造った。
「ミルクに砂糖、両方入ってますが、良ければ……」
そのスペースに座ったK田さんがコーヒーを差し入れてくれた。
――いえ、ありがとうございます
ブラック飲めない民です、言いながら受け取る。ついでに行ってしまえば温め愛好家なので、軽く息を吹きかけて冷ます。コーヒーの香りが広がり、鼻孔をくすぐった。自販機の安いモノであってもコーヒーの香りは心地良い。
ちら、と横を見ればK田さんはブラックコーヒー。にみえるものを飲んでいた。僕はアレにたっぷりと砂糖が入っていることを知っている。
一口。言葉なく、僕とK田さんがコーヒーを啜る、ず、と言う音だけが響いた。
「……そう言えば、何時からコーヒーを飲めるように成ったかって、覚えてますか?」
――うーん? 高校生の時の朝食で飲んでいた覚えがありますので、その辺りですかね
「ははぁ、やはりその辺りですよね。いえ、家だとコーヒーを飲むのは私と息子なのですが、家を出るのが私の方が早いので、何時も私が朝は二人分用意していたんです……」
消える言葉尻。それっきり、K田さんは黙ってしまった。
口が動く。音は無い。吐き出された伽藍洞に、『息子さんは、今日、コーヒーを飲んだんだろうか?』と僕は天井を見た。
そのまま時間が過ぎる。
K田さんは今日も何も言わない。ちくたくちくたく、止まらない時間を音で表現する悪魔の発明品、時計の針が、何かを急かす様に響いていた。
昼休憩の終わりが五分後に迫ったことを知らせるチャイムが鳴る。時計が示すのは十一時五十五分。
「……そのゲーム、フレンドがログインした時間が分かるんですよ」
ぽつり、とK田さんが言った。
――えぇー、ちょっとK田さん、そう言うの、早く行ってくれないと困りますよ!
サボってるのがバレちゃうじゃないですかー、と笑いながら僕。
「ははは、いや、これは失礼。ですが、ご安心を。告げ口はしませんよ」
同じ様に笑いながらK田さん。
それでK田さんは紙コップをゴミ箱に捨てて「では」と部屋に戻って行った。
息子さんがコーヒーを飲んだかは僕にもK田さんにも分からない。
だがログインしたかどうかはK田さんには分かっている。
――……
ログインをしたのか、していないのか、それを見てK田さんが何を思ったのか。
この世には僕が分からないことが溢れているな。
そんなことを思いながら席へと戻り――
――遅くなりました、先輩。頼まれてたブツです
僕は宇津木パイセンにおにぎりを献上した。
「……冷めてんじゃねぇかよぅ……」
アフロが、しゅんと。悲しそう。
――急いだんですが……すいません
くっ、僕の力が及ばないばかりに、おにぎりが冷めて、先輩を悲しませてしまったゼ! と、口惜しそうに僕。
「……ゲームやる時間は有るのにぃ?」
恨めしそうな声に、おぅ、とアシカの様な呻きが漏れる。K田さんが告げ口をしなくても、フレンド登録している先輩には僕の不誠実さが筒抜けだった。
――先輩のフレンド、解除しても良いですか?
「駄目だ。許さん」
大口を開けておにぎりにかぶりつきながら先輩。
これが噂のパワハラと言う奴だろうか?
どうやら平成に置いて来たと言う謳い文句は嘘だったらしい。
■□■□■
十三時五十五分。
僕の業務は残り一時間と五分。
そんな時間帯にB直の田畑さんと野村さんが出社してきた。出来る女、キャリアウーマンと言った体の田畑さんがベテランで、野村さんの方が二年目の若手なので、宇津木パイセンが田畑さんに、僕が野村さんに引き継ぎをすることになる。なる、のだが――
細い銀縁眼鏡の出来る男系の野村さんは人と目が合わない系の男子だった。
人同士のコミュニケーションが極論不要な仕事も選べるこのご時世。それでも人と接するこの仕事を選んだ野村さん。
選んでおいて、コミュニケーション拒絶気味とはいったい……?
まぁ、それ以外は極めて優秀なのが野村さんだ。それ所か訪れる人に対しては目線を合わせて親身になって話をしてくれるらしい。
苦手なことをやると消耗する。消耗してまで僕と目を合わせても仕方がない。合わない視線はそう言うことなのだろう。
昨日の時点で大まかに彼の人物像を把握した気分になっていた僕は合わない視線を気にしない様に、引き継ぎ用に纏めておいたA4資料に視線を落としながら話を進めて行った。
自動ドアが開いたのはそんな時だった。
入って来たのは若い男性だった。
走って来たのか、膝に手を付いて息を切らし、頬を伝う汗を手の甲で拭っている。
何となく、他の利用者とは雰囲気が違う。自殺屋二日目の僕でもそれが分かった。いや、雰囲気と言うか行動が違っていた。ここは自殺屋。息を切らして駆けこんで来ると言うのは聊か不釣り合いだろう。間違っても駆け込んでくる様な場所ではない。その行動は“おわり”を選ぶ人からは遠い気がした。
「……あぁ」
と、何かに納得した様にA4資料から顔を上げて、野村さん。
何となく周囲を見渡した僕は、おや? と小首を傾げる羽目になった。
どうやら不思議に思って居るのは僕だけらしい。何故だか宇津木パイセンも、田畑さんも所長もこの場にそぐわない青年がここにいることの理由が分かっている様だった。
悲しいことに僕には分からない。
……いや、別に悲しくはないな。
取り敢えず一番のシタッパーである僕は彼に対応するべく、窓口に向かうことにした。
その際に受け付け用に用意された説明文を手に取ることも忘れない。忘れなかった。だが野村さんが「あなたには未だ早いです」とストップをかけて自分が行ってしまった。
まぁ、引き継ぎを終えて帰るだけの僕よりも野村さんの方が適任だろう。
僕はそんなことを思った。
だが、ソレは五秒後に否定された。
「あのっ! 俺、K田です! ここに、父が! あのっ! あっ、合わせて下さいっ!」
受付の青年のそんな声が聞こえて来たからだ。
成程。
確かに、コレに対応するのは僕には未だ少し難しい。
■□■□■
心因性終末ケアセンターでの受付から二十四時間後に二親等以内の親族には連絡が入る。
老若男女、人生悲喜こもごもで十人十色。
つまりは“おわり”の為にやってくる人も様々なので、そのメッセージを受け取る親族の対応だって様々だ。
国民IDに紐づけられた緊急用のメールアドレスに届いたそのメッセージを見て、普段使いのメールに届くセールスメールと同じ様に扱う人もいれば、K田さんの息子さんの様に息を切らせてやって来る場合もある。
やって来た人も、やはり様々だ。
“おわり”を止めようとする人もいるし、死ぬ前に一発殴らせろ! と叫ぶ人もいる。
社会人二日目の僕の対応力では不十分だと野村さんは判断したのだろう。
僕もそう思う。
書類整理のついでに立ち上げたK田さんのカルテ。そこには面談Cの記述があった。
Aは職員の立ち合い無しで場所も自由。時間制限も無し。
Bは職員立ち合いの下、自殺屋内で三時間の面談が可能。
Cは職員立ち合いの下、アクリル板を間に挟んだ面談室で一時間の面談が可能。
そうなっている。Dは無い。残される遺族への最低限の配慮として、面談拒否という答えは用意されていない。
だからCが最低だ。
K田さんは話し合いの場を望んでいない。そう言う意思表示をしている。だが、息子さんの方はそうではない。彼は――
“おわり”を止める為にやって来た息子と、彼との会話を極力避けようとする父親。宇津木先輩に言わせればコレも良くある自殺屋の日常だ。
時計の長針が真上を指してチャイムが鳴る。
これで僕の今日の業務はお終い。
窓口で息子さんと話している野村さんの机に引き継ぎの資料を置いて帰ることにした。
■□■□■
次の日。
少しだけ早く僕が出勤すると、K田さんの息子さんがいた。
入り口横の来客ベンチに座り、腕時計をしきりに確認している。
何となく、僕は察した。
恐らくは二回目の面談をするつもりなのだろう。
一回目の面談から十二時間が経てば、利用者の家族は次の面談の申し込みができる。
野村さんは受付の後、一度落ち着いて貰ってから親子を引き合わせたのだろう。諸々の手続きを含め、三時間。僕が帰ってから行われたその面談が終わったのは十八時か、十九時。その辺りだったのだろう。
服装は昨日、僕が見たモノと変わっていない。寝ていないのだろう。ギラギラと充血した眼の周りには隈が出来ており、うっすらと生えた髭も相まって随分とやつれて見えた。
何とは無しに僕も時計を確認する。
五時三十分。
業務開始までまだ時間はあった。僕は荷物を置き、施設の中に入ると二人分の珈琲を買って来客ベンチに向かった。
一つには砂糖とミルクを。
もう一つには砂糖だけを。
――良ければどうぞ、K田さん
言葉と共に両手を前に。
緊張からか。寝不足からか。もう既に息子さんは頭が働いていない様だった。どこかぼんやりとした目で僕の手からコーヒーを受け取った。ミルクの入っていない方だ。
――あ、ソレ砂糖、入ってますよ
「大丈夫、です……じゃなくて、ありがとございます」
一口飲んで、脳に糖を送った結果、少しだけ復活したらしく、お礼を言われる。
それに、いえいえ、と笑いながら言って、彼の横、それでも彼の座っているのとは別の来客ベンチに腰を下ろした。
ず、と僕と彼が同時にコーヒーに口を付けた。
「……職員さん、ですか?」
彼の問い掛けに、はいそうです、と僕。
「あの……参考に聞きたい、んですけど……ここに来てから止める人ってどれ位いるんですかね?」
――そうですね。経験則で語りたい所ですが……
生憎、僕は新人なので、と断る。
――半々だと、聞いてます
正確には初日に止めることを決める人が多く、二日目に止める人が一番少ない。そして三日目。最終日は――それなりに止めることを選ぶ人が多い。
人は簡単に死ぬと言う人も居れば、存外、死に難いと言う人も居る。
どちらも真理であるのだろう。
自殺を選んだ人であっても、人は『存外』死に難いモノらしい。
僕は淡々と数字を言った。
「……そう、ですか」
息子さんが僕が並べた数字から何を感じたのか。それは僕には分からない。
それだけだ。
■□■□■
紙コップを握り潰して、ゴミ箱に入れる。
出社した宇津木先輩が大欠伸をしながら後ろを通った。
ピッ、と電子音。宇津木先輩のスマホからコーヒー代が差し引かれる。かこ、と紙コップが落ちる音の後、ごぽごぽと苦しそうに自販機が呻き出した。
「……あぁ言うことを言うのは、止めとけ」
その呻きに紛れ込ませる様な、小さな声。
誰にと無く言われたその言葉には誰も返事をしなかった。
■□■□■
時間が来たので、K田さんとK田さんの息子さんの面談が行われた。
中で行われているのが親子の最後の会話になるのかどうかは生憎、僕には分からない。分からないし、分かってはいけない部分なのだろうと思う。
僕は自殺屋だ。
機械でも出来る仕事に態々席を空けて貰って座っている以上、機械の様な対応は望まれていない。統計から見ての予測、経験からの予測、どちらも僕がやるよりも僕等を越えた人工知能がやる方が精度が高い以上、僕にソレは求められていない。
そうである以上、僕がK田さんの息子さんに話した内容は最悪だ。
僕もそう思う。ただの数字。それを並べただけだと嘯いても、機械とは違う人間はその数字を感情で見てしまう。
二日目よりも、考え直す人が多い三日目。
個性個人ではなく、単なる統計のその数字に息子さんが何を見たのかは僕には分からない――そう嘯きたい所だが、まぁ、無理だ。この状況で、その数字なら、彼が希望を見たこと位は僕にだって分かる。
初めて受付から対応した相手だからだろうか? 僕は少し、K田さんに対してフラットに成れていない気がする。
そしてソレは自殺屋に求められることではない。
手を差し伸べない、背中も押さない。それが僕等だ。
だから僕はK田さん親子のことを意識しないことにした。
唐木さんから引き継いだ資料を整理する。
どうやらC直で一人、利用者が来たらしい。年齢は二十歳。十八歳で『死ぬ権利』が認められるこの時代、二十歳と言うのは『若い』と言うよりも『珍しい』。
高校三年。普通にしていれば十八歳を迎える者が大半なその年、クラスメイトが減ったことを僕は覚えている。
もう一度言おう。
人は簡単に死ぬと言う人も居れば、存外、死に難いと言う人も居る。
だから簡単に死ぬ奴は簡単に死ぬのだ。
十八歳の誕生日を待ち望む人の何人かは既に人生に見切りをつけている。宗教で自殺者は地獄に行くなどと言われても、小学校で見せられる自殺の暗黒面、残された家族の涙を映した教育映像も、彼等には既に響かない。
この世に生を受けたのと同じ日付に自殺屋を訪れる彼等は、何年も前からこの日を待って居た人だ。そして、残った僕等はそうではない。
つまり若くして自殺を選ぶのは十八歳が一番多いのだ。
まぁそうは言っても人間万事塞翁が馬だ。良いことも、嫌なことも、そこら辺にころころと転がって居る。二十歳の彼女も何か嫌なことがあったのだろう。
彼女がやって来たのは午前三時。疲れていた様子だったらしいので、今は眠っているはずだ。
死ぬ為にやって来た二十歳と、死なせない為にやってきた二十歳。
彼等が居るのが僕の職場だ。
少しだけ、世界が歪んで見えた。
それだけだ。
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