宇津木朔日
先輩。パイセン。即ち
僕の職場先輩である所の彼と出会ったのは、自殺屋新人向けに県単位で行われる簡単な講習を終えた後、今の職場に僕が配属された日だった。
未だ着なれないグレーのスーツに身を包んだ僕の前に所長と共に立った彼は、長身アフロと言う、ただでさえ印象に残りそうな容姿にも関わらず、ネクタイを緩め、じるじると音を立てて豆乳飲料を啜っており、正直に言わせて貰えるなら、うわぁ、と思った。
暇になった人間の暇潰しは他人叩きだ。
曲がりなりにも自殺屋が公務員である以上、市民団体がこの姿を見たら喚き出すだろう。只でさえこの仕事は叩かれやすいのだ。もう少し、しっかりした格好をして欲しい。
幸いにも先輩は『話し易い先輩』にカテゴライズされるタイプだったので、冗談交じりにそのことを言ってみた。
「無駄だよ。アイツ等な、俺が昼飯にうどん食っただけで騒ぎ出すぞ」
その返事には苦笑いが添えられていた。
――そんな馬鹿な
僕はその言葉に半笑いで答えた後、十一時になるのを待って昼休憩に入った。自殺屋に人が来る時間帯は、出勤する早朝が多い。だから――という訳ではないが、僕等には昼休憩が与えられて居た。
うどんの話を聞いたからだろうか? 何とは無しに、近くで営業しているうどんのチェーン店に向かった。
記念すべき社会人一日目の昼食。もしかしたら所長や先輩が奢ってくれるのでは? いや、奢ってくれるまでは行かなくとも一緒に摂ることになるのでは? そんなことを思った僕は、取り敢えず今日の分のドローン配送の昼食はキャンセルして電子マネーを受け取るようにしておいた。入るとAI搭載型のウェイターロボが「いらっしゃいませ」と言って来た。
音声合成ソフトだと分かっていても美少女ボイスは良いものだ。そんなことを考えながら僕はうどん――ではなく、かつ丼を頼んた。
冷たい樹脂テーブルのカウンターに座り、スマホを弄りまわす。ニュースサイトを見ていたら、ソーシャルゲームの広告が出て来た。そう言えばガチャを回す為に働く人が居るらしい。僕には良く分からない感覚だ。
ふと、隣に気配が寄って来た。
ウェイターだろうか? 普通はカウンター越しに渡されるのに珍しい店だな。そんなことを考えながら横を向くと、厚化粧の女性が立っていた。不思議な物で、目で認識したら匂いが来た。香水の匂いがキツイ。だがそれ以上に彼女の眼付がキツイ。まるで――いや、まるで、では無く、思い切り僕を睨んでいた。
「あなた、自殺屋よね? 命を奪う仕事をしているあなたが命を繋ぐ為の食事を摂るのはおかしくないかしら?」
僕が自殺屋だと断定していると言うことは、事務所から出てくるのを見て後をつけて来たのだろうか? 正直に――いや、正直に言わなくても怖い。
大体、言ってることも少し変だ。『命を奪う仕事をしているあなたが命を繋ぐ為の食事を摂るのはおかしくないかしら?』と、言われても食事自体が大なり小なり命を奪う行為だ。もしかしてヴィーガンと言う人種だろうか? 『動物は貴方のご飯じゃありません!』に『いや、植物だって僕等のご飯になる為に生えて来てるんじゃないからな?』と返したい派の僕だが――
多分『そう』ですらないのだろう。彼女の
こういう種類の人間は感情で動いて居るので話し合いは無駄になる。
僕はそのことを僕の母親から凡そ二十二年をかけて学んでいた。
さて、どうしたものか?
そんなことを考える。憲法で認められている死ぬ権利の行使の補助をしている僕は別に犯罪者ではない。それでも何故かこうして自殺屋を犯罪者の様に扱う人が居る。迷惑な話だ。
うるせぇババァ。
それが本音だ。言葉にしたい日本語と言う奴だ。残念ながら美しくはない。ただ今の僕の気分には即している。だが、僕は言葉をオブラートで包むことが出来る大人だ。そんな訳でかなりの枚数のオブラートで先程の言葉を包むと――
――すいません。かつ丼、持ち帰りに変更で
と、なる。
素晴らしき哉、
奥ゆかしさここに極まれり、と言うわけだ。僕はウエイターロボが差し出す持ち帰り用の袋を引っ掴み、さっさと事務所に戻ることにした。
■□■□■
縦にデカくて、横にもデカいと言うか分厚い、ついでのおまけにアフロなので頭もデカい。ソレが僕の職場先輩であるところの宇津木朔日と言う人間だ。
「配給の食糧だけでは足りないから働くことにした」
それが宇津木パイセンの働く理由だと言う。僕はこれを聞いて、彼にそれなり程度の好感を持った。三大欲求の一つに忠実な良い答えだと思う。
そしてからあげ弁当のご飯大盛では無く、ごはんのパック自体を追加している所を見ると、その言葉が本当なのだと良く分かる。
「お? 早かったな」
もっとゆっくり食べてくりゃ良かったのに。
漬け物をコリコリと齧りながら先輩はそんなことを言って来た。時計を確認して欲しい。流石に早過ぎるだろう。そんな気持ちで僕がテイクアウトしたかつ丼を軽く掲げると「お茶あるぞ」と先輩は給湯室を指差してから机の上の湯飲みをずらしてきた。『ついでに』。そんな省略された言葉を読み取ってしまったのは僕が文系だからだろうか? 多分違う。
抗議する様に、それでも後輩らしく、僕は無言でその湯飲みを手に取る。ひらがなで『ないき』と書かれていた。流石にお揃いは嫌だが、シリーズがあるのなら欲しいな。そう思わせる素敵デザインだった。
急須に茶葉と湯を入れ、一分。茶葉が開いたのを確認して五回、回す。
――さて。
注ごう。そう思った時、そこで漸く僕は自分の湯飲みが無いことに気が付いた。
当然だ。
職場一日目でマイ湯飲みを持ち込める程のタフネスは僕の心には無い。
ここの湯飲みは使っても良いのだろうか? そんな気分で給湯室の水切りカゴに鎮座する湯飲みを眺めてみる。
多分駄目だ。
そんな結論が出た。統一性が無さすぎる。個性の見本市の様なこの有様を見れば、全てに持ち主がいるであろうことが容易く想像出来てしまった。勝手に使うのは拙いだろう。基本的に、空気読める。所謂KYである僕はそう思った。
「紙コップ、ここな」
どうしたもんか? そんなことを考える僕の後ろから声。
僕がゴルゴならその声の主は死んでいた。
僕はゴルゴでは無かったので、声の主は死ぬことなく、生存を許された。
感謝して欲しいものだな。
眉毛太目にそんなことを考える僕の背後に立つ先輩が、その無駄な高さを生かして棚から紙コップを取り出していた。
――どもです。
お礼は言うが、そう言う動作をされると僕の身長の低さが際立つので止めて欲しい。
それでもまぁ、態々来てくれたのは僕の湯飲みが無いことに気が付いてくれたからだろう。そう判断したので、素直にお礼を言っておく。
「なに、気にすんな」
――そうですね、気にしません。
僕をパシったの、先輩ですし。
そう云いながら『ないき』を差し出せば「言うじゃねぇか、後輩」と、先輩は笑って湯飲みに口を付けた。そして猫舌らしく「あちっ」とダメージを受けていた。
席に戻る気が無いのだろうか? そんな僕の疑問に答える様に先輩が冷蔵庫を漁る。『ウツギ』と書かれたタケノコのアレが出て来た。「食うか?」と勧められる。キノコの民である僕は一瞬の逡巡の後、手を伸ばした。すまぬ、すまぬ、我が輩(ともがら)よ。君達を裏切り、この時この瞬間だけタケノコの民となる僕の罪をどうか許しておくれ。
こりこり齧る。サクサクのクッキー生地とは違うが、別にこれも美味しい。
かつ丼の前にデザートを食しつつ、お茶を飲んで、雑談をする。
お互いに相手のことを良く知らない一日目だ。自己紹介の延長に近い柔らかいプロフィール交換が行われた。
――あ、先輩の言ってたこと、本当でした。
そんな中、僕は『そう言えば』と話しをふる。
「? 何が?」
特に思い当たることが無いのか、先輩は疑問符を浮かべていた。
――ほら『うどん食べただけで文句言われる』って奴です
午前中に言ってたアレですよ、と僕。
――まぁ、僕はかつ丼食べようと思ったら文句言われましたけどね。
言って、笑う僕。
先輩に期待したのは『そうだろ? がははー』と言う同意と笑い。だが――
「えー……」
何故か宇津木先輩は『うっそだぁー』と言いたげな声を出していた。
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