第31話 理不尽


「なんでこんなことになったんだろぉ…意味が分からないよ」


授業テキストやタブレット、中履き用の靴、運動着、昨日出されたらしい課題、筆記用具を通学用リュックサックに詰め込み、新品できれいなブレザーを羽織り、身支度を済ませる。これで学校へ行く準備は整った。後はもともと持ち合わせていた黒のママチャリにまたがり、いつもと違った見方で同じ風景を目でたどる。


程なくして高等教育高の正門前まで着き、同じ制服に身を包んだ生徒さんがゴロゴロと大きな門を何食わぬ顔でくぐっていく。自分もあんな風に友達と分け隔てなく話し合い、自分という人間をそのまま受け入れてくるのかどうかと長々と考えてしまっている。


「……」


正門を通過し、自転車を駐輪所に止め、玄関先で靴を履き替える。慣れない環境に慣れない足運びで無駄に長い廊下を歩き、自分のクラスへと向かっていく。


「はぁ…」


無意識にため息をついてしまっていた。疲れやなまけからくるものではないのは自分でもわかっている。なぜどうしてこんな状況に陥ってしまったのかという

理不尽りふじんさを嘆くための息なのだと。



________



____



「はぁーい。みなさんおはようございます。朝のホームルームを始める前に…今日からこの一年四組に転校生がやってきます。みなさん仲良くしてあげてくださいね」


このセリフが発された後は、この一年四組の扉を勇気を振り絞って開けなければならず、40名の生徒からの注目を浴びた中で、公開処刑ならぬ公開自己紹介を強要される。


転校…もちろんこんな経験は初めてだ。確かにこのクラスで学校生活を共にする上ではお互いのことは知っておかないと、単に表面上だけの付き合いだけで過ごすことになるし、それは色んな見方からしてもつまらないものに感じるだろう。


「ねっ!転校生って男子かなぁ。女子かな」


「めっちゃ楽しみ!なんだか私緊張してきちゃった!」


期待されてるなぁ…ってか緊張しているのはこっちなんだけど。


「なぁ、この展開は美少女がくるっていうお決まりだろ!ワクワク」


「うわぁ男子たち、鼻の下伸ばして何想像してんだろ。気持ち悪い」


「おいっ!聞こえてんぞ!女子たち」


「聞こえるように言ってあげてんでしょ!変態!」


「こらぁ…そんな喧嘩している中で転校生を迎えるのはかわいそうですよ?」


「平野先生、ごめんなさい…って、先生今日はなんだか顔色悪そうですけど、体調すぐれないんじゃないですか?」


「いえっ!大丈夫ですよ!心配させてごめんなさい……で、では転校生さん入ってきてください」







_____ガラッ!___バンッ!___







「え?」





「あれ?」






「いやぁ!ソーリーソーリー!遅刻して申し訳ない」


「って!なんで理仁りひとが入ってくんだよ!お前転校生じゃねぇだろ」


「そうだよ!違う意味でびっくりしたじゃない!心臓に悪い!」


「テンコーセー? ハハッ!なんのことかさっぱりわからないねぇ~」


「もうぉ!あんたの遅刻癖どうにかなんないわけぇ?二週間もたって学校になじめてないのあんただけだよ。態度も口の利き方も偉そうでほんっとにイライラする!」


「ま、まぁ落ち着いて。先生の言うことを聞いてください。みなさん静かに…」


平野先生がドア越しからでもわかるほど困惑した状況なのは想像に難くない。


…てか入るタイミング横取りされてしまった。どうしよう。



「ワタシの態度や口の利き方にイライラねぇ…ヒトのアイデンティティを感情任せでクラッシュさせてはいけないよ?それにワタシが学校に通う大義名分は出席点を稼ぐことだけさ。ワタシが遅刻しようがキミがイライラしようがナンセンスなことなんだけどね」


外国人なのかな…あの人。体格や身長も態度もすべてがビッグな存在感がある。リヒトって呼ばれているし、口調は完全に日本語口調だ。ハーフかな…ってこんなこと考えている場合じゃない! どうしてくれるんだよぉ~クラスのみんなの期待値が最大になってた中でリヒトって人が完全にぶち壊して、クラスの雰囲気が一気に険悪になってるんだけどぉ…余計このクラスに入りにくくなっちゃったじゃん!


「え、えっと…みなさん!静かにしてください!喧嘩はやめてください!先生の言うことを聞いてください!」


「だからさぁ…他にもあんたのせいで、みんながっ……」



口論は止まないし、先生の言うこと誰も聞いてないじゃないか…本当に今日からこのクラスでやっていけるのかなぁ…不安しかない。




________



____



__




一年四組の喧騒は当然のように隣のクラスにも聞こえていたため、真面目で情に厚い三組の勝俣先生が怒鳴り込んで説教してくれ、ようやく落ち着きを取り戻した。


「いいですか? みなさんはもう高校生なんですから、落ち着きを持って行動するようつつしんでくださいね」


「はーい」


「もうほとんど時間がないですね。転校生さん!転校初日にこんなことになって本当に申し訳ございません。入ってきてもらっていいですか?」





_____ガララッ






張と焦りはどこかへ消えていき、何の考えもなしにドアを開け、理不尽さを嘆く気持ちだけが寂しく残る。






「え!」





「あれ?」







みんなして驚きの声を上げ、ややオーバーリアクションな対応を見せるが、すぐにしらける。




「は、初めまして。今日から一年四組でお世話になります。名前は…荻本優弥おぎもとゆうやといいます…これから、よ、よろしくお願いします」







_____シーん








え?何この空気。まぁ最初から予想していた通り、僕なんかが転校してきても誰も何もいい印象受けないよね!ってかリヒトっていう人のせいでよりマイナスな結果になっちゃったんだけど!あーっ、もう何でこんな運がないんだよ。…ううん。運がないと思ってはいけないな。一班隊のみんなに失礼極まりない!


「えっと…えー、みなさんこれから萩本くんと仲良くしてあげてくださいね」


いやいや先生!こんな空気の中でそれは言ってほしくなかった!それを言えば、後で僕に話しけて、自己紹介しあった後は「どう?仲良くしてあげたでしょ」みたいなことひけらかしたりして…より僕の立場が、なくなっていくというかボッチ生活になってしまう。






________シーん






あ、終わった。この反応はもうこれから全部だめになっていく予兆だ。みんな僕のことに一切興味ないし、仲良くする気さらさらないだろ。流石の僕もこんな反応されるといらっだっちゃうんだけど!?



「フーン!イイじゃないか!歓迎するよ、ユウヤオギモト!」



パァーン!パァーン____



いささか拍手にしては音が大きいなと思いながらも、リヒト君だけからこのクラスへの歓迎の拍手をもらう。まぁ無いより嬉しいけど、拍手をもらう相手が正直気に食わない…。


「…ありがとう。理仁くん。では…」


気遣いをしてくれた生徒がいて、先生はほっと胸をなで降ろした。


「ティーチャー!少々時間をもらうよ」


「チャイムもなりましたし、次の授業準備を……」


先生の言うことを聞かず、机に両足を乗せ、腕組みをして言う。


「ミスターオギモト。腕をまくってみてくれないか? あぁ、片腕だけで十分さ」


「え?」


突然何を言ってくるんだ。よくわからない人だけど悪気は一切感じられないし、変人なのは僕だけじゃなくこのクラス全員が思っていることだろう。まぁ腕を見せるくらい別にいいか。ヒョロヒョロだし、みんな見ても何も感じないだろうし。


身の丈にぴったりと合わせたブレザーを着たままだと上手く腕まくりできないし、脱いでワイシャツの袖をまくり上げ、右腕を見せる。






______え!!






「ホオォー。なるほどね」






途端に僕に対してのこのクラス全員の反応が逆転する。何が起きたのか僕にも全く分からない。改めてこのクラスになじむことができないだろうな、と強く思うしかできなかった。


「荻本くん…その腕すごいね!筋肉バキバキじゃん!部活何やってたの!?」


「細身だけどきっちり筋肉が集まってるというか…ちょっと触らせてもらってもいい?」


「え、いやちょっ!!」


「うわ、なんだよ!女子たちもやっぱ変態なんじゃねぇか!」


「はぁ!あんたたちと一緒にしないでくれる?第一あんたたちが考えることは色々と犯罪なのよ!」


感激と男子への怒りの声とともに女子たちは一斉に立ち上がり、捲り上げて見せた僕の右腕を物珍しそうに観察したり、軽く触ったりする。こんなの転校同様初めての経験であり、慌てふためくしかなかった。



同時に先ほどよりも激しい口論になり、三組だけにとどまらず一学年全クラスの教師や生徒が集まりだす結果になってしまった。







「ハハっ!なかなかイイ光景だねぇ~!」








_________





____






一年四組の騒動により、一学年全体で「転校初日にクラスの生徒と大喧嘩」という噂が広まり、僕の立場が即刻危うくなってしまっていた。

この噂の主語は無いけど、意味的に僕の名前が当てはまることは言うまでもないだろう。あれだけ「変に目立たないようにしろ」とか「お前は中学通っていたのだから、この仕事は余裕のはずだ」とか言われても、僕に友達はいなかったし、第一こんな事態になるとは思いもしなかったよ。


やや落ち着きを取り戻した四組だけど、まだピリついた空気があるのは転校初日の僕ですら感じ取れる。そんな中一限目の体育では校庭で二組との合同授業が行われようとしていた。


そう。僕の悪い癖「死にたい」と思わんばかりの衝動が今また目覚めようとしているのである。


禁句であることは重々承知しているけど、この場合僕は完全無罪だと訴えたい。


なぜなら僕の噂は確実に二組の人の耳にも行き届いているし、なんてったってあの人にまで聞き及んでいるはずだからね。


「…まずいことになった…」


二組の女子三人が四組の人達のことをまじまじと見てくる。


「四組との合同授業かぁ~今朝問題を起こしてた人たちと一緒に体育なんてして大丈夫なのかなぁ!」


小西花恋こにしかれんさん、大っぴらにそんなこと言うものじゃありませんよ。無神経です」


「だってホントのことじゃん!四組から二組までに騒ぎ声がフツーに届くなんて異常だよ。毎日センセーたちから聞くけど、一番手を焼くクラスは四組だってみんな口をそろえて言うんだよ?」


背が小さく、どこかあどけないかわいらしさがある女子生徒が大っぴらに文句を言った。


「小西さん。確かに人様に迷惑をかけたり、マナーがなってないところが目立つクラスだと私もそう思いますわ。ですがそのことは当事者がいないところでぜひお話しくださいませ。きちんと黒沢さんのことを見習ってくださいね」


苦情を発した女子生徒を制す、気高い女王様……多分学級委員長の人かな。


「ムキぃー!宮ちゃんのそのイジり、ウチ嫌い~!もうぉ~なんでいつもいつも同じ『かれん』って名前だけでクロちゃんとウチが比べられないといけないのさぁ!それもこれも怜央のせいで…」


「悪いな。小西…」


「え…ちょっ!れ、怜央…」


三人の前を通り過ぎる男子二人組。まるで肉親を亡くした辛さが顔に出ているようだった。


「小西さんっ…今は放っておきましょう。あんなことを知らされて私たちも動揺していますわ。…なら影山さんと親しかった怜央さんと武士さんの今の心情は、私たちにとって想像しえないほどのものですわ」


「…そっか、そうだよね。ごめん!ウチ、ものすごく無神経だった!謝りに行ってくる!」


「えっ!小西さん!なにか誤解を…」


「きっと彼女は誤解はしていないと思いますよ、宮田さん。怜央さんや武士さんたちの気持ちは時間が解決してくれる。そう彼女はみじんも考えていないだけですよ。明るくて腕白な小西花恋さんだからこそ、今の自分に何ができるのか必死に考えているんですよ」


「そうですわね。黒沢さんの言う通りですわ。なら私が先ほど小西さんに言った発言は訂正しなければなりませんね」


「宮田さんは何もまちがったこと…」


「いえ!『黒沢さんのことを見習ってください』と大口を叩いた自分に『私は小西さんのことを見習なければなりません』と付け足さなければなりません」


「そうですか。本当にあなたは生真面目な人ですね」





____





授業開始のチャイムが鳴り響き、クラス別かつ男女別に整列した僕たちは体育教員の三組の勝俣先生から今日から体力測定を行うと知らされる。体力測定とは国のスポーツ協会から定められた方式で50メートル走や長距離走、シャトルランなどの記録を取り、一個人の運動能力がどの程度か。また定期的にこの測定を行うことで、僕たちの体力変化を知る目的のために体育の授業の場に設けられているものだ。


「今日と来週、再来週の授業、この三日間で全項目の記録を測る。今日は50メートル走と長距離走のタイムを計るので、各自準備運動をしっかりしてからのぞむように!」


そう言って勝俣先生は50メートルのゴールラインのところまで行き、測定準備にとりかかる。その間僕たちは適当に準備運動をしたり、記録用紙に必要事項を記入する。


「…転校初日に記録測定かぁ~ツイてないなぁ」


思わず口に出してしまい「やばい!」と思い、何食わぬ顔してやり過ごそうとしたが、時すでに遅く、記録用紙を取りに、近くに来ていた二組の生徒さんに聞かれてしまっていた。


「心の声漏れてんぞ、転校生さん。俺は二組の永野雄也ながのゆうやだ。よろしくな。で、隣にいるこいつは柏木智かしわぎさとし。ただのアンポンタンだ」


「バカって言うなよ!永野!…おっとはじめまして。キミ、細身で身長もあまり高くないし、ぱっと見普通の人に見えるわりにいい筋肉してるねぇ。何かやってたの?」


な、なんなんだ。この人…


「お前初対面相手にズバズバ言いすぎだ。それに俺はさっきバカじゃなくて、アンポンタンって言ったんだ。バカ」


「ほら今バカって言った!第一永野の日本語はおかしいんだよ。理解できない部分が多い!」


「はぁ!?どこがだよっ!お前の脳みそがうまく機能してねぇだけだろ!」


えぇー…また喧嘩始まっちゃうのぉ。僕何も関係ないからね!よそでやってよぉ…。


「まぁまぁ落ち着けよ、二人とも。永野は目つき鋭いし、柏木は毒舌だから転校生もおびえてるぜ?」


こちらにもう一人の二組の男子生徒がやってきて、二人の仲を仲介した。


「あの…」


「悪かったな!転校生。うちの二人が迷惑かけた。俺は生天目喜一なまためきいち!こいつらと同じ中学で、やや腐れ縁みたいなもんだからよくつるむんだ。これからよろしくな!」


「う、うん。よろしく」


「ほら!記録用紙取りに行くぞ、お前ら」


「指図すんなよ!俺は毎日バカになっていく柏木のことが心配なんだ」


「あーうざ!そういう永野の要らない気づかいホントいやだわぁ!」


あの二人はいつも喧嘩しているのかどうか分からないけど、生天目君が来てくれて良かった。彼が来なければ二人の口喧嘩はさらにヒートアップしていたに違いない。


それにしてもさっきから陸人さんのことを目で探してはいるんだけど、一向に見当たらない。今日は登校していると聞いているし、何か理由があって授業を休んでいるのかな。


「よしっ!お前ら準備運動はやったな?記録用紙を俺の方に渡してくれ」


記録用紙を集めに勝俣先生が戻ってくる。



陸人さん…何やっているんだろう。もう記録測定始まっちゃうよ?




________



___




「二組島村孝至しまむらたかと!8秒3! 四組直江新太なおえしんた!6秒30! 次!」


二つのラインに二組と四組一人ずつ一緒に走っていき、出席番号順(苗字のあいうえお順)にタイムが計測されていく。二組は島村君まで順番が回ってきていて、「佐渡」である陸人さんは来なかった。こうなってしまった以上陸人さんは補習として、放課後居残りで計測されることが確定してしまった。



______ピッ! ピッ



はっとした顔で勝俣先生はストップウォッチを覗く。


「二組永野雄也!おっー!すごいな!5秒56! 四組……」


「五秒台とか全国レベルじゃないか?あんな早いやつ二組にいたなんて思いもしなかったぜ」


五秒台の生徒を見て、両方のクラスから驚きの声が上がる。


「ちっくしょー!永野に負けるとか屈辱くつじょくだわぁー!」


「はぁ…ふぅ。あ? そういや柏木は6ジャスだよな?6秒台じゃ話になんねーぞ」


「くっそぉ!勝俣先生もう一回俺のタイムとってくださぁーい!」


「ダメに決まってるだろ。こっちは公平に記録とんなきゃいけないんだよ」


「あぁー悔しい!なぁお前もそう思うだろ。生天目ぇ~」


「…あ、あぁそうだな。てか俺はお前に僅差きんさで負けた方が悔しいっつの!このやろぉ」


「いててっ!やめろ、くりゅしいっつーの!なんだよぉ、さっきから涼しい顔してると思ったら、お前も悔しかったんだな」


ほんと仲いいな、あの三人。でも生天目君はほかの二人と比べて何か悩んでいるように…


っと、次は僕の出番だった。スタートラインに着き、ラインぎりぎりまでに靴先を向ける。


久しぶりに走るドキドキ感で胸が高まる。


隣には二組の…


「やっ!はじめまして、お互いベストを尽くそうぜ。俺、新潟武士にいがたたけしってもんだ。よろしくな」


「は、はじめまして!荻本優弥といいます。よろしく」


そう言って走る前に握手を交わす。…そうだ。陸人さんから渡された名簿で確認した二組の新潟武士君。後は山田怜央君って人と…亡くなってしまった影山彰敏君と仲が良かった、陸人さんの友人。


友人を亡くした辛さの証として昨晩まともに寝れなかったのか、目が充血しており、青ざめた顔をしている。


…あの場に僕がいれば助けられたんだろうか。いやっ、そんなこと考えるな!みんな影山君を救うために必死だったんだ。僕なんかがそこに介入するなんておこがましい。


お互い短く自己紹介を済ませ、やや緊張した面持ちでスタート態勢に入る。



そうだった。スターティングブロックないんだっけ…忘れてた。



「頑張れよぉ~!転校生っ!」


「転ぶんじゃあねぇぞぉ~!」


「喧嘩おっぱじめんなよぉ~!」



最後の何っ!それ噂だし、みんながいる前でそんなこと言わないでくれるかなぁ…




「よーい!」




この合図を聞いた後、条件反射で一番最初に踏み込む右足に力が入り込み、






_____ピッー!







甲高い笛の音の合図でスタートが切りだされる。英語でのスタート合図じゃないし、トラックではなくほぼ砂地での慣れない環境。

タイムは気にせず、本気で走りきることだけを考えよう。


スタートの笛と同時に体全体の重心が前へ傾く。それも絶好の角度。ベストな足の力の入れ具合。腕を前に振り出し、体全体をねじらせ、適切なフォームで走り出すことができた。


よしっ!うまい具合にスタートダッシュできたぞ。後は、いつも通りの走り方で駆け抜けるだけだ!


スタートの出だしで、かなりの差をつけた武士君は僕の後ろに隠れてしまっている。ゴールラインへと顔の向きが固定された僕の目には、すでに視認できないほど。後ろから歓声かブーイングかどっちか分からない声が風を切り抜ける音で相殺され、ただの音として耳に入ってくる。


気持ちいいなぁ。


ただ目の前のゴールだけを見て思いっきり走るのは。


複雑なことばかり考えてしまう僕に必要なのは単純に考えること。


それこそ走ることが僕に必要な癒しなのかもしれない。



30メートル後半あたりまで進んだかな。こんな短時間で悩みや痛みが一時的に消し飛ぶほど、没頭して走っていた。勢いは止まらない。徐々に加速していっているのが、素早く適切に稼働している全身で体感している。


もうすぐでゴールだ。










______え、なんで











ゴールラインだけをとらえていたはずの僕の目がやや上の方に傾く。


本校舎A棟の建物の横から見えた、制服姿の意外な二人が並んで歩いている。



その光景に焦点が向けられた。




走ることだけに集中していた体の動きが乱れ、一瞬にして力が抜けきり、余りある勢いに体がついていけず盛大にこけだすようにしてギリギリゴールラインに触れてタイムが計測される。ゴール手前だったのに最後の最後で出し惜しんでしまうなんて、








_____ピッ!  ピッ








「二組新潟武士、7秒2。四組荻本優弥…これまたすごいっ!5秒57!」


走り終わってすぐに、さきほどのあの光景がフラッシュバックし、僕の毛穴から変に脂汗が滲みだし、本来体が温まっているはずの体に寒気が生じる。




どうしてあの二人が一緒に行動しているのか。ただその疑問一つだけで僕の頭が思考停止する理由には十分すぎた。 




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