A Persona

田原 あすか

ビー玉とアボガドロ定数

「で、そこですっごくおっきなビー玉が転がってきた、ってわけ」


 教室のドアに手をかけながら、おれは制服のスカートと 上に羽織った淡い水色のパーカーをふわと翻して武勇伝を語っていた。


「まぁ、それは大変ですね。ところで、そのビー玉は何色でしたの?」


『信心深い女の子』は、おれの話に真剣に聞き入りながらそう尋ねる。


「んー、赤だったかな」

「何ということでしょう。それは滅さなければ」

「でしょ。だからおれはこう、こんな風に避けて あいたっ」


 ひらりと軽く宙を舞ってみせようとして、腰を机にぶつけてしまった。シンプルに痛い。


「ちょっと。手元が狂ったじゃないですか」

「げ。委員長」


 振り返れば、『勉強の出来る女の子』がいつも通り渋い顔で椅子に座って、おれのことを見上げていた。その手元にはこれまたいつも通りノートが広げられ、几帳面そうな細やかな字が整然と並んでいる。アボガドロ定数が結構な割合で式に登場しているところを見ると化学基礎だろうか。あーやだやだ。計算式なんて虫唾が走る。言葉遊びみたいな遊び心の1つもないじゃないか。


「『まな』さん、おはようございます」


 おれの後ろからひょこりと顔を出して、『信心深い女の子』は律儀に頭を下げる。


「『こころ』さん、おはようございます。それから、その委員長って呼び方やめてくださいって言ってるじゃないですか、『きよ』さん」

「へーへー、まなちゃん。さーせんしたー。てかそれ言ったらおれだってその呼び方やめて欲しいんだけど」

「なんでです? 折角『あい』さんがつけてくれた名前なのに」


 おれが口を尖らせて言えば、決められた名前に一切の疑問を抱いていない声色で『まな』こと『勉強の出来る女の子』は言う。これだから優等生は。決められたことにちったぁ疑問くらい挟まないかな。別にバイクで走り出せとは言わないからさ。


「もう少し可愛くなんなかったのとはマジで思うけど。大体『虚言症』だから『きよ』とか安直すぎ」


 口をすぼめて、おれはガムを噛んだ。果汁なんて入っていないのに、オレンジの甘ったるい香りがした。


「人が折角……、いや、その前にそう、『虚言症』の話ですよ」


『勉強の出来る女の子』は片眉を吊り上げる。全く器用なもんだ。よくそんなに怒るネタが尽きないね、疲れない?みたいな嫌味をたち消えるほど綺麗な片眉の吊り上げ方で、今度ぜひ教えていただきたいものだな、とおれはぼんやりと思う。


「きよさん、貴女またくだらない『虚言』をこころさんに話しながら学校に来たんです? 善良な人を騙くらかすのも大概にして下さいよ」

「くだらなくなんかないかもじゃん? まなちゃんろくに聞いたこともないのにさ。それに、あんたにとっちゃ『虚言』でも俺にしてみれば真実かもしんないよ?」

「……まぁたそうやって詭弁で人を……」

「まぁまぁ、良いんじゃないですか? きよちゃんのお話は面白いですし」


 わたしの為に怒ってくれてありがとうございますね、と泥沼化しそうだった話を、先程までにこにこと聞いていた『信心深い女の子』がいつもの通りに救ってくれる。彼女は本当にいい子だ。この子に関してだけは性善説が全面的に適用されて然るべきだと思う。


「それで、きよちゃん。赤いビー玉はどうなりましたの?」

「え? あぁ、えっと、そのまま海にぼっちゃん。蒸発して消滅したよ」

「あぁ、それなら良かったです。赤いビー玉の存在など許せませんから」


 彼女は心底ほっとしたように胸に手を当て言うのだった。


「こころちゃんは本当に青いビー玉以外のビー玉は嫌いだよね……」


 はは、と乾いた笑いを立てて、おれは『勉強の出来る女の子』に水を向ける。


「他の子達は?」

「『くる』さんは多分【主様ぬしさま】の所じゃないですかね、この時間帯は。後の2人はもうすぐ来るんじゃないですか? まぁ別に、学校に来る必要はないんですけど」


 彼女はその化粧をしなくても元から大きな目をぱちぱちとさせて言った。なるほど確かに学校に来ることは強制されていない。何せこの【島】には自分達を含め6人の少女達しかいないのたから。でもきっと残りの2人も、どんなに遅くなっても来るだろう。【島】には長く時間を潰せるような場所などない。【主様】に呼ばれて船で【島】の外に出ない限り、取り留めもないお喋り以外には娯楽は無いのだ。


「今日はいつ頃【主様】にお呼ばれするんでしょうねぇ」


『信心深い女の子』の声に、おれらは何となく教室の窓から海の向こうを眺めやる。


 一艘の船が、ちょうど港を出るところだった。

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