第90話 ねこのまよいみち
ねえ、転校生ちゃん。
この辺りの道はもう覚えた?
よかったら一緒に帰らない?
* * * * * * * * *
* * * * * * * * * *
「――ところで、このあたり“まよいみち”って言われてるんだけど、知ってる?」
そう言って、その女子はまるまるとした瞳を向けてきた。
同じクラスらしいが、転校初日では名前も顔も覚えていられない。
ようく思い返せば、教室の隅の方の席に座っていた……ような気がする。そんな程度だ。
「正確には“ねこのまよいみち”っていうんだけどね」
猫、という単語に思わず反応してしまう。
ふうん、その呼ばれ方からするとこの辺りは猫が多いのだろうか。
「変な名前。猫が道に迷うの?」
「ちがうちがう。道に迷うのは人間。猫は迷わせる方なの」
「なにそれ」
生意気な……と口をつきそうになるのをぐっとこらえる。
すると、その女子は私の反応をどう受け取ったのか、わざわざもったいぶった言い回しで『ねこのまよいみち』の由来を話し始めた。
「むかしむかし、このあたりにとある夫婦が暮らしていました。
夫は酒癖が悪く、いつまでたっても子供ができないのを理由に、酔っぱらっては毎日のように妻に暴力をふるいます。
ある時、妻はせめてもの慰みになるのでは、と一匹の猫を拾ってきました。
猫はすくすくと育ち、妻の後をついて離れません。
妻もいつしか本当の子供のように猫を愛おしむようになりました。
けれどどうしたことでしょう。猫は夫にまったく懐きません。どころか目を合わせるだけで威嚇をする始末です。
夫の猫に対する苛立ちは日増しに募っていったのでした。
そして妻が留守の昼下がり、夫は無理に猫を触ろうとしたところをひっかかれ、怒りにまかせて打ち殺してしまったのです。
妻には猫は急にいなくなった、どうせ逃げてしまったのだろうと誤魔化しました。
ですが我が子同然の猫がいなくなったことで、妻は体調を崩し寝込んでしまいます。
満足に動けなくなった妻を置いて、夫は頻繁に家を空けるようになっていきました。
妻の具合がいよいよ悪くなったその夜も、夫は友人とお酒を飲んでいました。
場がお開きになった帰り、夫はずいぶんと酔っぱらって足元もおぼつきません。
分かれ道まで来たところで心配した友人から家まで送ろうかと言われますが、夫はふと道の先を見るなり『いらねぇいらねぇ。おう、ほれ、うちの猫が迎えに来てらぁ』と言うと、よろけながら歩いて行ってしまったのでした。
夫はそのまま行方不明となり、数日たって山の奥で見つかりました。
獣にでも襲われたのか、体中傷まみれでそれはそれは無残な姿だったそうです。
……それ以来、ここは“ねこのまよいみち”って呼ばれるようになって、化かされるから見かけてもついて行っちゃダメって言われてるのでした。特に、猫を虐待するような人はひどい目にあうから気をつけなきゃいけないんだって。それこそ話の中の夫みたいにねー」
長々と語った割に内容は典型的な怪談だった。
新鮮味もない味気なさに私が「ふうん」と浅い相づちを打つと、その子は小首を傾げた。
「あれ、つまんなかった?」
「べつに、あんまりその手の話が好きじゃないだけ」
「あー、そっか。ごめんね」
「いいよ」
我ながら白々しい反応だが、相手も本気で悪いとは思っていないだろう。
その証拠に「でも、怖いと思わない?」なんて話を引っ込めることもなく、感想を聞いてきたのだから。
ならこちらも気を遣ってやる必要はない。
私は「ぜんぜん」と返す。
「えー、そう?」
「だって最後のは全部旦那が酔っぱらってたのが原因でしょ。泥酔してわけわかんなくなって道に迷っちゃって。その話がどれくらい古いのか知んないけど、昔なら山の中も危ない野生動物とかいただろうし。ただの事故にむりやり猫をからませてるだけじゃない」
こういった話は、強引な関連付けで「祟り」だとか「呪い」に仕立てて、そこから「生き物は大事に」なんて教訓めいた結論に持っていくのが常だ。
なんて陳腐で胡散臭いったらありゃしない。
「でも、猫にひどいことしたオヤジ自業自得でザマァ、ってならない?」
「ならない」
むしろ押しつけがましい訓話もどきな風味が鼻につく。
「ふうん。そうかぁ」
「ねえ、ところで」
「うん?」
「ここ、さっきから何回も通ってる」
「そう?」
「なんとなく流れでついてっちゃってたけど、三回目になったら気づくわよ。そこの分かれ道で左に曲がったらぐるっと回ってここに戻るようになってるんでしょ」
「バレたか」
「手の込んだ
「おもしろかったでしょ?」
「ぜんぜん。無駄に歩かされただけ」
「ありゃ、少しくらい怖がってくれればそれでよかったんだけど……」
「ふん。もういいや、ぶっちゃけるけど、猫嫌いなの。次があったらそういう話はやめてね」
猫は大嫌い。
あの尊大でもったいぶった態度と表情に腹が立つ。
あの自分が可愛らしいとわかっているような行動がどうしようもないほど鼻につく。
腹をすかせた野良猫の、物欲しそうに近寄っては来る癖に絶対に触らせようとしない図々しさが本当にイラつく。
毛の中はダニとノミの巣窟。牙と爪は雑菌まみれで引っかかれようものなら大惨事だ。
汚くて不潔で危険な害獣。
それが猫。
ああ、でも、そんな猫を許せることがあるとしたら。
惨めったらしいあの鳴き声は……とても――。
「あれぇ、そっちの道に行っちゃうの?」
怪訝な声を背中で受け流して歩を進める。
どんなつもりがあるのか知らないが、これ以上つきあうつもりはない。
「引っ越したばかりでも自分ちの帰り道なんてさすがに覚えてるわよ。じゃ、ばいばい」
* * * * * * * * *
* * * * * * * * * *
「おかえりー」
「え…………?」
「どうしたの、猫につままれたような顔して」
「なんでここに戻ってきてるの……私、ちゃんと…………」
「だからいったじゃない。気をつけなきゃいけないって」
「なに……」
いや、やめよう。
どうせコイツの悪戯だ。
私は何やら言いたげにニヤニヤと嗤う鼻先を素通りして家路を進む。
きっとうっかり間違っただけ――
「はい、おかえり」
「……………………っ」
今度は間違ってなかったはずだ。
なのに戻ってきてしまった。
「ほらほら、どうする~?」
みぃ、と細い鳴き声が聞こえた気がする。
どこかに隠れているのだろうか。
腹いせに石でも投げてやろうかという衝動を抑え、道の先を確認する。
道端の古ぼけて茶色くなった消火栓。動物病院の広告の貼られた電柱。
間違いないこっちが帰り道だ。
けれど――
「いったでしょ、ここは“まよいみち”だって」
「…………」
また戻ってきた。
迷わないように覚えていた目印を辿って行ったはずなのに。
いや、そんなはずはない。
きっとどこかで道を間違ったのだ。
もう一度――
「あたしとしては、こわがってくれれば、よかったのよ?」
もう一度、もう一度――
「ねこに手をだすとひどい目にあうんだって、やっちゃダメだったんだって少しでもはんせいしてくれれば」
けれどぜんぜん家に帰れない。
何度も何度も同じ場所に戻ってきてしまう。
「そうすれば、あたしたちもみのがしてあげてもよかったんだけどねぇ」
みぃ、みぃ、と癇に障る鳴き声が頭に響く。
どこにいてもアイツの甘ったるい舌ったらずな声が耳に入ってくる。
「でも、しかたないよね」
アイツが瞳を爛々と輝かせて私の前に立ち塞がった。
いや、アイツの前にまた私が戻ってきたのか。
「このみちでねこについてっちゃったじてんで、もうだめなんだからさ」
みぃ、みぃ、みぃ、みぃ。
ああ、うるさい。耳障りだ。
そんなに私を不快にさせるなら、お望みどおりに相手をしてやる。
チキチキチキチキ――私は手の中の刃を伸ばす。
ソイツは怯えるどころかにんまりと三日月のように口を曲げた。
それはまさに、獲物を前にした猫の
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