第72話 窓から
私が勤めている会社のビルは住宅街の真ん中に建っている。
社内の私の席は四階の窓際で、そこからは道路を挟んで下町の風情を残した民家やアパートが軒を連ねているのが見下ろせた。
道路に面した側の窓であるため、どこもカーテンや鎧戸を常に締め切っている。
少なくともここ数年間の勤務でそれらが開かれたところを目撃したことはなく、不意に誰かと目を合わせるような心配もないため、小休止の折にはぼんやりと外を眺めるのが習慣になっていた。
ある日、いつもの風景の一角、年季の入った木造アパートの二階にある一室から老人が顔をのぞかせているのに気がついた。
窓を開けるわけでもなく、カーテンを押しのけるようにして四角い枠の片隅から頭部だけを出している。
ちょっとした風景の変化に少し驚きはしたものの、仕事に戻った次の瞬間には老人のことは意識から消えてしまった。
老人は翌日も、その翌日も窓から外を見ていた。
何か興味をひく物でもあるのか。それとも目的もなくただ眺めているだけなのか。
理由はわからないが、老人の行動はかれこれ一週間続き、新たな日常の風景になりつつあった。
だが、土日を挿んだ翌月曜日、老人はふっつりと顔を表さなくなった。
やはり何か目的があり、それが果たされたのだろうかとぼんやり考えていると、女性社員たちの噂話が耳に入った。
どうやら近所のアパートで死体が見つかったらしい。
独り暮らしのご老人で先週の頭頃に布団で寝たきりのまま亡くなり、昨日、異変に気づいた同じアパートの住人からの連絡でようやく発見されたのだとか。
偶然だろうとは思う。
噂ではどこのアパートかは特定されておらず、そもそもその亡くなったとされる日よりも後に、あの老人はその顔をのぞかせていたのだから。
私は今日も外を眺める。
件の窓からはカーテンが取り除かれ、がらんとした室内には真新しいフローリングが白々しく輝いている。
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