第49話 彼女ほしい

「心霊スポットを教えてくれ」


 大久保くんは紙魚しみさんの顔を見るなりそう言いました。


「なんで?」


 放課後の校舎裏に呼び出されて開口一番の唐突な懇願に、紙魚さんは眉をしかめます。


「そりゃあ、彼女が欲しいからに決まってるだろ」

「つまり、それは、あれかな? 心霊スポットに女の子を連れて行って、吊り橋効果を狙おうってことかな?」


 怖さからくるドキドキを恋愛のドキドキと勘違いしてしまうという、アレです。

 低い位置にまとめたポニーテールを揺らして紙魚さんは首をかたむけます。


「そういうのは女の子を誘えるようになってから言うもんじゃない?」

「わかってるよそんなことはっ。だからお前に頼んでるんだろ!?」


 大久保くんの言葉に「えー」と露骨に嫌そうな紙魚さん。


「いや、いや、勘違いするな。別に女子を紹介してくれって話じゃないんだ」

「……私、キミにはいちpgピコグラムも興味ないんだけど」

「容赦ないな!? 別に幼馴染おまえを狙おうとも思ってないよっ。あっ、あれだな?『友達に噂されると恥ずかしいし』ってやつだろ?」

「友達に幼馴染って知られたら死にたくなるので、半径一キロ以内に近づかないでくれますか?」

「僕のこと嫌いすぎないか!? お前、ぜったい、映画で吸血鬼に狙われても、お約束も雰囲気も無視して相手の寝込みとか狙って心臓にパイルバンカーでクイ打ち込むタイプだよな!」

「え、自分を吸血鬼イケメンに例えてんの? 自惚うぬぼれるのはカリスマか魅力値をカンストさせてから言ってくれるかな?」

「やめろぉぉぉぉぉっ!!」


 ついに大久保くんが泣き出してしまったので、ため息をつきつつ事情を尋ねる紙魚さん。

 どうやら、生まれてこの方一度も彼女ができないことを心底嘆いた大久保くん。告白してもダメ、ナンパをしても失敗、女の子あちらから声をかけてもらうなんてもってのほか。行き詰った大久保くんは思いつきました。『人間じゃなければもしかしたら』と。心霊スポットには女性の幽霊の目撃談が数多くあります。もちろん『憑いて来た』なんて話も。


「これなら僕にだってどうにかなるんじゃなかな!?」

「そんなことを考える時点でキミはもうどうにかなってるだろ……」


 紙魚さんはこめかみを押さえます。

 結局、大久保くんの必死さに圧されて、心霊スポットを巡ることになったのでした。


 それから一週間、二人は数々のスポットを訪ねました。


 女性の霊が出ると噂の古ぼけたトンネル。

 見知らぬ女性の姿がうつる山奥のカーブミラー。

 二階の窓から女性が顔を出す廃屋。

 もとハッテン場の喫茶店跡。

 夕方に幼女の霊がブランコをこぐ公園。

 深夜に通ると女性に追いかけられる坂道。

 おかまバー跡地。

 夜な夜な声が聞こえてくる廃工場。

 写真を撮ると背後に女性が写りこむ湖。

 などなど。


「途中、変な場所混じってなかった?」

「……これだけ回ったのにひとっつも遭遇しないなんて」


 大久保くんの指摘を無視して、紙魚さんはため息をつきました。

 夏休みの貴重な一週間を消費して、心霊写真はおろかラップ音にすら遭遇しなかったのです。


「全部ガセだったんじゃないのか?」

「そんなわけないでしょ。最後に君一人で行かせた川辺のプレハブ小屋なんて、立ち寄った人がもれなく不気味な影を見て寝込んでるっていうのに……」

「とんでもないところに案内してんなよ!」


 しかし、紙魚さんは逆に大久保さんを睨みつけます。


「そもそもキミ、“圧”が強い。そんなに『彼女ほしい』だの『幽霊視たい』だのって煩悩振りまいてるから、陰気な幽霊がみんなみんな隠れちゃってるじゃないか」


 霊障起こすレベルの幽霊すら引かせる煩悩って、どうなんでしょうか。


「心霊スポット行く前に、お寺で修行して煩悩落とした方がいいんじゃない?」

「そうなったら本末転倒じゃねぇか」


 彼女が欲しい一念でここまで来ているのです。

 煩悩を捨てては動機もなくなってしまいます。


「僕は、彼女が、ほしいんだ」


 大久保くんの一歩も譲らない気迫に、紙魚さんは大きな大きな息を吐いて「仕方がない」と彼の袖を引っ張りました。


 連れてこられたのはアパートの一室。


「ここは?」

「今日から一週間、ここに泊まってもらう。家具は一通りそろってるし、電気も水道も大丈夫」


 紙魚さんの発言に、ぎょっと大久保くんは振り向きます。


「まさか、同棲――」

「は? 寝言ねごといいたいんなら今すぐ意識刈り取ってやろうか?」


 違うようです。

 何故かとことん大久保くんおさななじみに当たりの強い紙魚さんです。


「ここ、ウチの親戚が貸し出してるアパートなんだけど、この部屋に女の人の霊が出る」

「今までのもそんなとこばっかりだったじゃん」


 それで結局全部空振りだったのです。今回も同じことになるんじゃないかと懐疑的な大久保くんに、けれど紙魚さんは首を振ります。


「ここは絶対」


 なんと住むどころか内覧の段階でトラブルが起こるのだとか。

 霊感のある人は扉の前に来ただけで体調を崩す。中に入ったら『第三者の気配や足音がする』『勝手に戸が開閉される』『動画や写真を撮ると、いなかったはずの女性が写り込む』などなど霊現象のオンパレード。当然値段は格安で、好奇心に任せて住んではみたものの一週間どころか三日以上過ごせた人はいないのだとか。


「しかも住んだ人全員が体調不良や、何かの形で怪我をしてる。それでも、やる?」


 さすがの大久保くんも息を飲みます。しかし――


「その幽霊は、美人なのか――?」

「…………見た人の話によれば、そうらしいよ」


 そうか、と大久保くんは天を仰ぎます。


「…………この一週間、大変だったよな」

「まあね。時間帯に縛りがあったから、深夜に外でなきゃいけなかったりしたし」

「ほんとに感謝してるんだ。今じゃ学校でも外でもほとんど話すことなんてないけど、小三くらいまでは結構一緒にいてさ」

「うん」

「俺が勘違いしてお前のこと彼女だって教室で言ったら、全力で机で殴ってきたよな。あの時のゴミを見るような視線、いまだに夢に見るよ」

「あー……うん。なんか、ごめん」

「いや、それからいっきに疎遠になったけど、何かあった時はこんな風に協力してくれるじゃん。今回だって一週間もこんな面倒くさくてくだらない事につきあってくれてさ。本当にありがたいって思ってる」


 大久保くんは夕日を背に、まっすぐに紙魚さんを見つめました。


「ここで逃げたら今までの苦労も、お前の協力も無駄になっちまう。だから、俺はやるよ」

「――わかった」


 紙魚さんは握りこんでいた鍵を差し出します。

 それを受け取った大久保くんは、ニッと笑いました。

「うん、なかなかに格好いい」と紙魚さんは声に出さず頷きます。

 ただし、その動機が最高に格好悪いわけですが。


「本当に、いいんだね?」

「ああ――僕はね…………彼女が欲しいんだ」


 とてもさわやかな笑顔で本当にどうしようもない台詞を吐いて、大久保くんはアパートの一室に消えていったのでした。



   * * *



【DAY1】

 この部屋に泊まっている間は日記をつけることにした。

 紙魚あいつの言うには、意識をすればするほど霊は存在感を増すらしい。

 起こったこと、感じたことを書いていこうと思う。


 部屋の中に入った第一印象は『肌寒い』だった。

 八月なのに早朝の川辺みたいに湿って冷え冷えとしている。

 鍵を閉めて薄暗い廊下を一歩踏み出すと、後ろから「カン」と小さな音がした。

 振り返るとドアガードが掛かっていた。

 僕はサムターンを降ろしただけで、ドアガードには触ってない。なのにU字のフックは受け用の突起へかっちりとはまっている。

 まるで逃がさないとでも言うように。


 初めて心霊現象に遭遇した。

 これはもしかしたら、期待できるかもしれない。



【DAY2】

 人の気配がする。

 廊下から足音が響く。風もないのに開けていた戸が閉まったり、逆に閉めたはずなのにほんの少しだけ開いていることが何度もあった。


 確かに、ここにはだれかがいるようだ。



【DAY3】

 ガラス戸の向こうに頻繁に人影を見る。

 洗面所にいる時など、曇りガラスを隔てて廊下を歩く影をはっきりと目撃した。

 緊張のせいでほとんど眠れない。


「引き返すなら今だよ」


 そんな幼馴染の声が聞こえた気がした。



【DAY4】

 いよいよ心霊現象が激しくなってきた。

 隙間から覗く目。

 背後から感じる息遣いと幽かな音。

 頻繁に物の配置が変わる。


 眠れない、眠れない。



【DAY5】

 出た。

 見た、見た、見てしまった。

 洗面所の鏡に映っていた。

 長い黒髪、青白い肌。

 慌てて振り返ったが、誰も居なかった。


 夜。

 視界の端に、彼女の姿が入る。

 目を向けると何もない。

 そんなことが一晩中続いている。


 紙魚あいつに電話をしようか。

 いいやダメだ。これ以上迷惑をかけられない。

 それに、女性を部屋に入れたり、連絡を取るだけでも、その相手にまで霊障が起こるらしい。


――一人でどうにかするしかない。



【DAY6】

 彼女がいる。

 部屋の隅からじっとこちらを見ている。


 近づいて来る。

 時間が経つごとに、少しずつ。

 このままだと、きっと夜になれば――



 ああ、彼女が、手を――



   * * *



 

「――どうしてこんなことになったのか説明してほしい」

「…………それはこちらの台詞だ」


 日記の最後の記述から二日後、大久保くんと紙魚さんは例の一室で顔をつきあわせていました。


「まったく。『とんでもないことになった』なんて連絡をよこすから来てみたら――」


 紙魚さんは言葉を切って、複雑そうな表情で室内を見渡します。

 大久保くんに課していた期日の七日目、これまで一切の連絡がないことに心配をしていた紙魚さんへ、彼から連絡が入りました。

 おっとり刀で駆けつけた彼女がアパートで見たのは、憔悴し打ちひしがれた様子の大久保くんと、信じられないほどした室内でした。


「で、落ち着くまで一晩待ったわけだけど、何があったの?」


 紙魚さんはノートを大久保くんの前に放ります。

 それは彼がつけていた日記でした。

 日記というにはメモ書き程度の分量ですが、内容は日ごと強くなる怪異に追い詰められる人の《 《ソレ》》です。

 だからこそ、どうして精神的に追い詰められていたとはいえ彼が無事で、霊が部屋からいなくなっているのか、紙魚さんは問いかけます。


「いや、別に僕、追い詰められてはないけど」

「え?」


 あっけらかんとした大久保くんの言葉に、紙魚さんは思わず呆けた声を出してしまいました。


「で、でも、この日記に……」

「まあ、確かに、途中までは緊張してたよ。姿がはっきり見えないからさ。だって、目撃談では女の人って言ってるけど、みんな怖がってる状態でそう判断してるわけじゃん? だから、もしかしたらただの見間違いで男の可能性もあるって気づいちゃったんだよ。そう考えたら、もう落ち着かなくて。だって、男と同棲したいわけじゃないんだよ? で不安になってさ、三日目の夜に『もう相手の様子がわかんなかったら止めた方がいいんじゃないかって』思ってたの。でもね!? 次の日ですよ!」

「……う、うん」

「戸の隙間からね、目が見えたの。その瞬間悟ったね。あ、これ女子だって。もうそれっから舞い上がっちゃってさぁ。小物とかが勝手に動くたびに『ああ、女子と同棲してるんだなぁ』って感動したよね。しかもね、ほんの小さくだけど声もするの。それが可憐で可愛らしい声でさぁ。もう、後ろで衣擦れの音なんかした時には…………寝れないよね!」


 初めて見る幼馴染の気持ちの悪いテンションに、さすがの紙魚さんもドン引きです。

 よくもまあ、ここに棲み憑いていた霊はこの男を呪い殺さなかったもんだと感心してしまいます。


「時間が経つと、どんどん姿を見せるようになってきてくれるし――」

「……じゃあ、私に連絡しようかって考えてたのは、除霊とかの相談じゃなくて……」

「女子との付き合い方に決まってるだろ。でもこういうのは自分で考えなきゃって。いろいろ考えたんだぜ? ご飯は二人分用意したりとか――」

「ああ、うん。もう大体分かった」


 紙魚さんは頭痛をこらえるようにこめかみを押さえました。

 大久保くんが憔悴してたのは、初めての幽霊女子との同棲に舞い上がって眠ってなかったせいだったのです。

 幽霊もこんな男のどこが気に入ったのかはわかりませんが、少しずつ距離を縮めていったのでしょう。

 そして、大久保くんは彼女の差し出した手を取って――


「結論から言うとね――は成仏しました」

「は?」


 この部屋にいた霊は、その強さから訪れた人に霊障を与えていましたが、特に女性を敵視する傾向がありました。それは、室内で女性に連絡を取っただけで、その相手に影響を及ぼすことからも明らかです。

 紙魚さんはそれを“嫉妬”ではないのかと考えていました。

 おそらく男性に対する何らかの感情が、この場に彼女を縛りつけていたのでしょう。まさか大久保くんと同じで『彼氏ほしい』などという理由だとは思ってはいませんが。


(というか、さすがにそんな理由であってほしくはないなぁ)


 とどのつまり、大久保くんが幽霊かのじょを人間の女性として扱い、数日間を過ごしたことで、成仏したのでした。


「マジか……」

「それも私の台詞だわね。長年誰にも祓えなかった地縛霊を祓うとか、どんな煩悩抱えてるのさ」


 崩れ落ちる大久保くんを尻目に、紙魚さんはため息をつきます。

 なんだかどっと疲れました。

 とんでもない反則を見た気分です。

 あの女性の霊がいなくなってすっきりしたのは空気だけではありません。家具の大半が荼毘に付された副葬品のように灰になって消滅していたのです。


(これって多分、遺品をそのまま使ってたってことだよねぇ)


 あとで管理者には厳重に注意をしなきゃ、と心に決めつつ、当面の問題は……と諦めの悪い幼馴染に目を向けます。


「くっそぅ――まだだ、まだ終わらんよ! まだ夏休みは残ってる!」


 ほらきた、と紙魚さんは宙を仰ぎます。


「また別の場所を紹介しろって?」

「そう!!」

「別に構わないけど、宿題やった?」

「え”」

「もう八月半ばだけど」

「…………そ、そっちは……」

「終わってなきゃ、こんなことにつきあってないでしょ」


 大久保くんはしばらくぐるぐると視線を回していましたが、


「写させ――」

だ」


 食い気味に断られて、大久保くんは「くっそおおおおおおお、まじかぁぁぁあああああ!」と頭を抱えて悶え始めました。

 やれやれと紙魚さんは帰り支度を始めます。

 どうせこのバイタリティの塊のような幼馴染は数日で宿題を終わらせるでしょう。

 それまでに心霊スポットを見繕わなくてはいけません。


(どうせなら一際厄介なところをさがしてみようか)


 夏休みの計画を立てながら、紙魚さんは口の端を少しだけ上げます。

 しかし、まさかこれが残りの休日を使い潰すほど壮大な心霊ツアーになるなど、この時点では誰も想像していなかったのでした。



<続かない>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る