第13話 首吊り桜

 私がかつて通っていた小学校の廃校が決まった。

 田舎ゆえに顕著だった少子化の結果、開校から五十年という節目にあたって母校は幕を下ろすことになったらしい。


 私はお盆の連休を利用して母校の姿をおさめておこうと、実家に帰ることにした。


 数時間かけて実家の門をくぐり腰を落ちつけていたら、母からリールを渡された。

 同時にヘッヘッと荒い息遣いがすぐ脇から聞こえてきて、そちらへ顔を向ければ一歳になったばかりのヨークシャーテリアが期待に満ちた瞳で私を見上げている。


 ハイハイ。

 無言の催促に私はのっそりと返事をして家を出た。

 せっかくなら、と私はそのまま母校の方へ足を向ける。


 昼頃に帰ってきてほんの一息ついただけのつもりでいたのだが、太陽は山の端に顔を引っ込めてしまっていた。

 夏場の十八時前だったが、私の実家は山間部の盆地に位置していることもあり、日照時間は平野部に比べて長くない。

 とはいえ日没にはまだ時間があるため空は明るさを保っている。

 蚊帳を通して見るような薄ぼんやりとした景色の中、カエルや夏虫の声を聴きながら歩を進めていれば、見覚えのある校門と校舎が現れた。

 校門の向こうには一本の大きな桜の木があり、枝が大きく外へせり出して塀から地面にかけて濃い影を作っている。


「よう」


 突然声をかけられて、私は足を止めた。

 きょろきょろと声の主を探していると、校門に落ちた木陰からひょっこりと男が姿を現した。


「ん、キヨヒコか」


 一目で思い出すまでもなく私は幼馴染である男の名前を呼んだ。

 もう何年も連絡すら取っていなかったが、不思議と懐かしいという気は起らなかった。

 それは相手も同じらしく「ひさしぶり」の言葉もなく、お互い昨日も顔を合わせたばかりのような簡単なあいさつを交わす。


 私とキヨヒコは他愛のない会話をしながら暗くなり始めた田舎道を連れ立って歩いた。

 やがて散歩の終着地点である高台の公園にたどり着く。

 そこからは小学校の敷地が一望できた。


 すっかり夜の気配が強くなった校庭は、校舎も遊具もそこに佇むすべてが暗い薄布にくるまって眠り、そのまま最後の時を待っているように思える。

 なんとも言えない寂寥感を抱えていると、校門の桜の木が目に入った。

 そういえば、あの桜も小学校の設立時に植えたものだと聞いたことがある。

 やはり校舎と共に伐られてしまうのだろうか、とキヨヒコに訊いてみればなんとも煮え切らない反応が返ってきた。


「あれなあ……。伐るのかなぁ。


 胡乱な言い回しにどういう意味かと尋ねると、彼は幼少期に遭遇した桜にまつわる体験を話し始めた。



   * * *



 ところで、あの桜で曰くとか噂とか聞いたことあるか?


……まあ、そうだよな。

 いや、これを知ってるのは年寄りや俺みたいな目にあったヤツだけらしいから、ただの確認だよ。


 アレ、首吊り桜って呼ばれてるらしい。


 別にあそこで首吊りが頻繁に起こるってわけじゃないよ。

 それだったらもっと噂になってるだろ?


 俺がアレを初めて意識したのは小学校一年の時だ。

 うん? ああ……まあ皆そうか。

 あんな大きな桜だし。入学式で嫌でも目に入るもんな。


 でも、気にしたのはせいぜい一か月くらいじゃないか?

 花もすぐに散るし、夏になれば毛虫だらけで近づきもしないだろ。

 そうなったらただの背景だよ。


 ああ、違う違う。少し脱線した。


 俺が言ってるのは卒業式なんだ。

 俺たちが一年の時。つまり当時の六年生の卒業式。


 式が終わって卒業生を送り出した後、在校生はそのまま式場だった体育館の後片付けをしたろ。

 それが全部終わって体育館を出たら、グラウンドとか校門のところにはちらほらと何組かの六年や親の姿があった。

 親どうしで話が盛り上がったんだろうな。帰らないで立ち話をしてる大人のグループがいくつもあってさ。

 子供は子供で何人かずつあつまって時間をつぶしてた。


 俺、体育館から校舎への渡り廊下を歩きながらその様子をぼんやりと見てたんだよ。

 そしたら桜の下に女の人が立ってるのに気づいたんだ。

 距離があったから表情はわからないけれど、頭から足までぴっしりと姿勢を伸ばした背の高い女だった。


 周りが固まってる中たった一人でいるその女をなんとなく見てたら、こっちに気づいた女がフラフラと手を振ってきたんだ。

 こっちも手を振り返そうか迷ったけど、女の人に手を振られてるっていうのがちょっと気恥ずかしくって、何もしないで校舎に入っていった。


 卒業生の親が子供を待ってただけだろうって?

 うん、俺もその時はそう思った。


 でも、その女は次の卒業式の時もいたんだ。

 前の年と同じように桜の木の下に一人で立って、卒業生たちを眺めてた。

 だから俺は「この女の人は卒業式が好きで見に来てるんだ」って思ったんだ。

 運動会と同じだよな。実際、家族じゃないのに校門の外で見物してる年寄りもいたしさ。


 その時も女は俺に気がついて手を振ってきたけど、俺は振り返さなかった。


 次の卒業式、その次、そのまた次も、女は欠かさずやって来て桜の木の下にいた。

 そしていつも俺に手を振ってきた。


 いよいよ俺たちの卒業だ。

 やっぱり女はいた。


 お袋が来てたけど、校舎の玄関先で親同士で話し込んでて俺は暇だった。

 女が俺に向かって桜の木の下から手を振ってるのが見えた。

 いい機会だから女にも挨拶をしておこうと思った。

 これまで手を振ってきてたのを無視し続けてた負い目もちょっとだけあったしな。


 校舎の玄関から小走りでグラウンドを横切る。

 桜と女の姿が少しづつ近づいてくる。

 その間も女はずっと俺に向けて手を振っている。


 ゆらゆら、ゆらゆらと。


 走っているうちに俺は違和感を覚え始めていた。


 いつの間にか女は俺に向かって手招きをしている。

 いままで小さく左右に手を振っていたはずなのに。

 いや、初めから手招きをしていたのかもしれない。

 遠目だったから手を振っているように見えただけで。

 だって今も女は左右に揺れているんだもの。


 ゆらゆら、ゆらゆらと。


 だけど少しおかしい。

 普通は上半身が大きく揺れるものじゃないだろうか。

 なのに女は足下がゆらゆらと揺れている。

 ずっと俺を見ていると思った顔は、気がつけば大きく斜め上を向けられていた。


 ぐんにょりと異様に伸びた首には、ザラザラとしたロープが喉に食い込むようにして巻きついている。

 ロープは木の枝からまっすぐ伸びて、女の身体はそれと一体化したように上下にピンと張っていた。

 春の強い風がふくたびに、地面から浮いた両足がゆらゆらと振れる。


 慌てて立ち止まった時にはもう、俺は桜が大きく広げた枝の下に入っていた。

 女は目と鼻の先で揺れている。


 詰まった水道管のような嫌な音が女の半開きの口から漏れて、濁った眼玉がぐるりとこっちを見た。


 俺は悲鳴をあげて逃げ出した。

 女の目の前から、同じ桜の木の下から抜け出そうと、がむしゃらに走って、走って、走って――車に轢かれた。


 俺はさ、振り向いて校舎の方へ走ったつもりだったんだよ。

 でも実際はそばの校門から道路に全速力で飛び出したらしい。


 親も警察も信じてくれなかったよ。

 でも、ウチの婆様は知ってたみたいでさ、教えてくれた。


 昔、あの木で女が首を吊ったんだと。

 自分の息子の卒業式の日、他の親と話をしているうちにしびれを切らした息子が校門周りで遊んでて事故にあったんだ。

 それが原因で母親は精神をやられて自殺したらしい。


 それから何年かに一度、卒業式の日に校門の外で事故にあう生徒が出るんだ。

 例の母親のことを知ってる年寄りたちは、その事件とたまに起こる事故を結びつけてるってわけさ。



   * * *



 キヨヒコが話を終えると、ほどなくして私たちは別れた。

 再会した時と同様、なんともあっさりとしたものだった。


 家に戻り手を洗いつつ彼の話を反芻する。

 なかなか興味深い話だった。

 確かに卒業式の日にキヨヒコは事故にあった。

 思い返せば、まじめで、不用意に飛び出しをするような奴じゃなかったから、当時不思議だった記憶がある。


 まさかおおよそ二十年越しにその理由を知るとは思わなかった。

 しかもその原因には曰くつきの桜が関わっている。

 キヨヒコ含め実際の事故のことを考えると不謹慎だが、どこかホラーや推理物めいたフィクションのような流れにどうにも興奮が抑えられない。


 無粋だが因縁を予想するなら、自殺した母親が今も亡くなった我が子を探している、といったところだろうか。

 頻繁に事故が起こらないのは、息子と似た人物が対象になるから、とか。


 そんなことを考えていたら、テーブルに食器を並べる音に交じって「そうそう」と母の声が聞こえてきた。


「せっかくだから明日お墓参りに行ってきんさいな。アンタら仲良かったけん、久しぶりに顔を見せてあげたらええわ」


 頭をハンマーで殴られたようだった。

 湧き上がっていた興奮が急速に冷えていく。


 そうだ。キヨヒコは半年前に亡くなっていたのではなかったか。

 ご両親もすでに他界して、独り身だった。

  私は忙しくて立ち会えなかったが、親族のいない、友人知人ばかりのひっそりとした葬儀だったそうだ。


 彼は自殺した。

 遺書もなく、理由は誰にもわからない。


 彼が発見されたのは、あの“首吊り桜”だった。

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