第11話 ぬいぐるみ

 これは美容師のAさんから聞いた話だ。


「ちょっと個人的には後味が悪いというか、もやもやしてる話なんだけど……」


 Aさんはそう前置きをして話してくれた。



   * * *



 美容師の専門学校に通っていた時のことです。

 二年生の後半で同期の友達はみんな就活でバタバタしている時期でした。


 私は親戚が美容室開いてて、卒業したらそこで面倒を見てもらうことになってたんでそういうのとは関係なかったんですけど、自分だけ蚊帳の外にいるみたいで、嬉しさ半分、寂しさ半分って感じでしたよ。


 コネで楽しやがって、とかそんな風に見てくる子もいましたし。

 仕方ないんですけど、ちょっとしんどかったです。


 そんな時、たまたま立ち寄ったリサイクルショップでクマのぬいぐるみを見つけたんです。

 ブランドものじゃありません。

 年季が入って、少しくたびれたぬいぐるみでした。


 一目惚れってわけでもないけど、なんとなく気になっちゃって。

 安かったし、そのまま買って帰っちゃいました。


 ぬいぐるみは他の子たちと同じように枕元に置きました。

 そこがぬいぐるみの定位置なんです。

 

 それから一週間がたったくらいからですかね、変なことが起こるようになったんですよ。


 急に寝つきが悪くなって、ようやく寝てもすぐに目が覚めたり、ぬいぐるみの向きがいつの間にか変わってたり……。

 どっちも気のせいって思うかもしれませんけど、今までそんなことなかったんですよ。

 小さいころから布団に入れば五分もかからないで眠って朝まで起きないんです。

 夜中に目が覚めるなんて初めてで、すごくびっくりしたんですから。


 買ったばかりのぬいぐるみが頭のそばにあるから、慣れてなくて起きるんじゃないかって? 


 んー……でもそれなら買ったその日から起きちゃうはずでしょ?

 一週間もたってからっていうのはやっぱり変ですよ。

 ぬいぐるみの向きについては、寝ぼけて触っちゃったかもしれないし、勘違いの可能性もあるから、強く反論できないんですけど……。


 でも、だんだん夜中にうなされるようになったんです。

 どんな夢を見たとかは全然覚えてないんですけど、起きるといつも汗まみれになってて……。


 ただまあ、その時はちょっと精神的にもまいってたから、そのせいかなとも思ってました。


 私、コネで就職が決まってるから、就活うまくいってない友達と距離ができちゃってて。一番仲の良かった子ともひどい喧嘩をしちゃいました。

 その子は行く面接行く面接全部散々だったり、ちょっといろんなことが裏目に出てる時期でした。

 だからずっとイライラしてて、感情の波も極端になってて。

 原因はなんだったんでしょうね。

 私が慰めようとしたら、コネ持ちで苦労も知らないくせに無責任なこと言うな、とか返されてカチンときて……そんな感じだったかもしれません。


 その日はひどかったですよ。

 家で大泣きして、吐きそうになって。

 食事もとれないまま、いつのまにか寝てしまいました。


 夜中の二時頃だったと思います。

 目が覚めました。

 でも、はっきり起きたわけじゃなくって、半分以上寝てるような状態で。


 寂しかったんでしょうね。

 夢うつつで、こう、手だけ動かして触れるものを探したんです。

 自分では枕元のぬいぐるみを抱こうとしたんだと思います。


 で、ぬいぐるみの一体に手が当たって、ぎゅって握りました。


 でもそれが思ったよりも太くてごつごつしてて……。

 まるで男の人の手首みたいで。


 その瞬間、枕元に人の気配を感じました。

 誰かがいる!

 眠気が一気にとんでいって、私は悲鳴をあげながら握っていた手を払いのけると、柔らかい何かが床に落ちたかすかな音がしました。


 慌てて枕元の明かりをつけて辺りを見渡します。

 けれど室内には誰もいません。

 狭い部屋だと言っても、さっきの一瞬で外に出たり隠れたりするのは不可能です。


 寝ぼけて勘違いしたにしては、手のひらに感触がはっきりと残っています。


 そういえば手を払った際に、音がしたのを思い出しました。

 確か、ベッドのすぐわきです。


 恐る恐るベッドから下をのぞくと、そこにはあのクマのぬいぐるみがころがっていました。

 こちらを見つめ返す焦げ茶色のプラスチックの目玉が妙に生々しく光っています。

 言いようのない気味の悪さを感じ、私はぬいぐるみを部屋の外に出しました。

 すると今度はドアの向こうで人の気配がするんです。

 歩き回ったり、物音が聞こえたりするわけじゃありません。

 ただ、扉越しにじっと息をひそめてこちらの様子をうかがっている、一晩中そんな気配をずっと感じていました。


 夜が明けて、私はすぐにそのぬいぐるみを手放すことにしました。


 それで……その……どうしたと思います?


……私ね、喧嘩した子にあげちゃったんですよ。

 プレゼントだって言って。


 仲直りしましたよ。


 その子はそれから……何かあったんでしょうね。

 今までの躁鬱状態だったのが、一転して明るくなって。

 彼氏でもできたんじゃないかって周りは噂してましたけど、本人は否定してました。

 面接もトントン拍子にうまくいって、あっという間に就職も決まりましたよ。


 でもね、少しずつだけど身体が細くなっていってるんです。

 ダイエットしてるなんて言ってましたけど、それにしては痩せたというよりやつれている感じで。


 卒業した後は、就職先が離れてることもあって会うことはなくなりました。

 連絡は取りあっていたけど、だんだんそれも少なくなって。


 

  * * *



 Aさんはそう言うと、スマホを向けてメールの文面を見せてくれた。

 そこには短く一文だけ書かれていた。


――しあわせだよ


 このメールを最後に、友人とは連絡が取れなくなったということだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る