第3話 側溝の目

 小学校の頃である。

 通学路の途中、一か所だけ側溝のフタがない場所があった。

 家から学校までの道中、道端の溝にはコンクリートのフタがずらっと張られているのだが、そこにだけ一枚分の空間が開いているのだ。

 

 先生や他の大人がその場所を指して「危ないから近づかないように」なんて言うくせに、新しいフタをしたり板を一枚渡すなどの対策をとる様子もない。

 そうすると誰が言い出したものか、自然と変な噂が立つようになった。

 フタをしてもすぐに壊れてしまう、とか、開いている場所をまたぐと足をつかまれて溝に引きずり込まれる、とか。


 当時、私はいじめにあっていた。

 直接的な暴力や嫌がらせを受けていたわけではないけれど、クラス中から無視されていた。

 どんな理由があったかなんてわからない。今さら知りたくもない。


 そんな訳で、私は毎日トボトボと独り学校から帰っていた。

 家からこっそりポケットに忍ばせた飴玉を帰る途中で口に放り込んで舐めながら帰るのが、ささやかすぎるストレス解消だった。


 ずっと地面ばかり見て歩いていたからだろう。

 ある日、それに気がついた。

 例の側溝のそばを通りかかった時だ。

 側溝のフタとフタの隙間から、目が覗いていた。

 フタ同士のツナギ目の雨水を逃がすための穴から、片目だけがぱっちりと。


 私は小袋から取り出した飴玉をつまんだまま、ジッとその目を見つめた。

 目も私を見ている。


 どれくらいにらめっこをしただろう、私はなんとなく飴玉を差し出して「食べる?」と聞いてみた。

 目は答えるようにパチクリと瞬きをすると、見えなくなった。

 側溝の穴は真っ暗だ。


 私は飴玉を穴に落とした。

 暗闇にストロベリー色をしたまん丸の飴が消えると、パクッと口を閉じるような音がした。

 続いてガリガリとかみ砕く音が響く。

 やがて静かになると、再び目が現れてパチリと瞬きをしてまた消えてしまった。

 今度はいくら待っても目は出てこなかった。


 その日から、下校する時に目が現れるようになった。

 私は見かけるたびに、穴に飴玉を放り込む。

 目は飴玉をガリガリとかじると一つ瞬きをしては姿を消す。

 私はポケットに飴玉を二つ忍ばせるようになった。


 ある日、私が飴玉を穴に入れようとしたところを男子に見つかってしまった。

 クラスのガキ大将と、その取り巻きの四人組だ。

 男子たちは私がお菓子を持ち歩いているのを見咎めて、散々にはやし立ててきた。

 それに飽きると今度は「その溝はお化けが出る」だの「呪われる」だのと脅かそうとしてくる。

 私は、彼らがさっさと満足して立ち去ればいいと、目も合わさずに真っ暗な側溝の穴を見つめていた。


 どうにもそれがいけなかったらしい。

 私が側溝のお化けを怖がらないことが、ガキ大将を刺激してしまったのだ。


 その子はズカズカとわざとらしく足音を立てて近づいてくると、私の手から飴玉を奪い取って自分の口に放り込んでしまった。

 そして、今まで私が目を向けていた側溝の穴めがけて足を振り下ろした。

 ガンガンと力いっぱい何度も踏みつける。

 コンクリートのフタが耳障りな悲鳴を上げるたびに、靴についていた土や周囲の小石がパラパラと穴の暗闇へ吸い込まれていく。

 やがて満足したのか、得意げな顔を遠巻きに見ている男子たちへ向けて側溝から離れようとした瞬間、フタのない部分に足を踏み外して落ちてしまった。

 深い溝ではない。落ちたとしても膝までが溝にはまる程度だ。

 なのにその子は、溝に片足を突っ込んで道に倒れたまま「助けて、助けて」と、ジタバタと虫のようにもがいている。


 他の男子たちが慌てて、自分たちのリーダーを助け起こした。

 その子の足にはひどい擦り傷ができていて、抱えられて立ち去っていく間ずっと「足を引っ張られた」と泣きじゃくっていた。


 私は茫然と一連の様子を見守っていた。

 気がつけば、側溝の穴から目が覗いていた。

 もう一つ飴玉を持っていたことを思い出して、ポケットから取り出す。

 しかし飴玉は手からすっぽ抜けて、穴の中の目を直撃してしまった。

「ギャッ」という悲鳴を上げると、目は何度も何度も瞬きをしながら奥へ引っ込むように消えていった。


 私は慌ててフタの開いたところに顔を突っ込んで中を見る。

 そこには真っ青な飴玉が転がっているだけだった。


 その日から側溝のお化けの噂は一気に有名になったけれど、誰からも「目を見た」という話は出なかった。

 私もあれ以来『あの目』を見ていない。


 だけど今も私のポケットには飴玉が二つ入っている。

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