額の傷痕は僕の勲章

月之影心

額の傷痕は僕の勲章

 皆さんは『虐められた事』がありますか?

 それとも『虐めた事』、或いは、クラスメートが虐められているのに助ける事無く知らん顔して『虐めに加わった事』はありますか?




**********




 僕は神岡かみおか征太せいた

 高校2年生。

 幼い頃に額に怪我をしてしまい、その酷い傷痕が今も残っていて人前に出るのは極端に苦手だが、前髪を伸ばして隠すようにして多少は人と話せるようになっていた。

 だが、その傷を隠す為に必要以上に伸ばした前髪で額どころか常に目元まで隠しているのが他の人から見ると『気持ち悪い』『怖い』と映るようだ。


 それは、好奇心溢れる子供たちには格好の的だった。


 『キモイ』『ウザイ』と言葉の暴力から始まったイジメは日増しにエスカレートしていき、その内『物を隠す』『壊す』『汚す』等の物理的なイジメへと変わり、そして『クラス全員で無視』という精神的なイジメとなっていった。


 でも僕にとってこの酷い傷痕は勲章みたいなものだと思っているので、別にこの傷をどうこう言われても気にはしていなかった。

 だからと言ってイジメの手が緩むなんて事は無かったのだけれど。




**********




 その日は何となく教室がざわざわと落ち着かない空気になっていた。

 何かあったようだが、それを教えてくれる友達も居なければ、訊いてみる友達も居ない僕は、そのまま自分の席へと座った。

 だがその騒めきは、何となく僕に向けられているようで、前髪に隠れた視線を泳がせてみると、チラチラと僕の方を見ながら話している女子や、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら僕を見ている男子があちこちにあった。

 今度は何をされるのだろう……と思った時、一人の女子が僕の机に近付いて来た。


「ねぇ神岡君、これ、どういう事かしら?」


 目の前に来たのは清見きよみ智佳ちか

 クラスの女子の中心的存在で、少しキツめの美人という感じの子だ。

 その清見が僕の所へ来てそう言いながら僕の机の上に一通の白い封筒を置いた。

 お世辞にも綺麗とは言えない黒い字で『清見智佳様』と書かれてある。


「どう……って……これは?」


 封筒を手に取って裏返すと、そこには明らかに僕の字ではない黒い字で僕の名前が書かれてあった。


「え?」


 と、清見は僕の手から封筒を取り上げると、既に開かれた封筒の中から一枚の便箋を取り出して広げた。


「清見智佳様 僕はあなたを一目見た時からあなたの事が好きで好きでたまらなくなりました。よろしければ僕とお付き合いしてください。 神岡征太」


 清見が手紙に書かれている事を教室中に聞こえるような声で朗読した。


「えぇ?」

「何この昭和初期みたいなは?ダサすぎでしょ?」

「いや……それは僕が書いたんじゃ……」

「自分の名前書いてあんでしょ?」

「でもそれは僕の字じゃない……」

「あんたの字なんか知らないわよ。そんな事より……」


 清見は僕の顔を覗き込むようにして言葉を続けた。


「あんたの分際で私に告白?ふざけんじゃないわよ!」

「だからそれは……」

「皆の前でハッキリ言ってあげるわ。私は!あんたみたいなキモい奴と付き合うなんて!例え男があんただけになっても!オ!コ!ト!ワ!リ!よっ!」


 それはもうこの教室どころか2つくらい離れた教室まで聞こえるんじゃないかと思うような大声で吐き捨てるように言うと、その封筒と便箋をびりびりに引き破いて僕の机の上にばら撒いた。

 そして一瞬僕の方を睨んだかと思うと、すぐに踵を返して女子の輪の方へと去って行った。

 清見が女子の輪の中へ入ると同時に、教室全体からまさしく『爆笑』が沸き上がった。


「あっはっはっ!フラレてやんの!」

「何考えてんだアイツ!身の程を知れっての!」

「公開処刑じゃん!」


 暫く僕は何が起こったのか理解が追い付かない状態だったが、少し落ち着くと机の上に散らばった手紙の残骸を手で集めゴミ箱に捨てにいった。




**********




(よくまぁ毎回色んな手を思い付くものだ……)


 結局、休み時間になるたびに僕はクラスの中で笑われていた気がする。

 これならまだ無視されている方がマシだと思いながら、昼休みは自分の席ではなく普通誰も来ない屋上でとる事にした。


(何だってんだ……)


 屋上の給水塔に昇る階段に腰を下ろして空を見上げていた。


「暗いな少年!」


 突然視界の外から声を掛けられてびくっと肩を竦めてしまったが、どこかで聞き覚えのある声だと思って声の方を向いてみた。

 そこには、僕の幼馴染の河合かわい千景ちかげが腰に手を当て、肩幅よりも足を開いて立っていた。

 千景は背中の真ん中くらいまである艶々の黒髪をポニーテールに結っていて、パッチリ二重と長い睫毛に少し低いと本人が気にしている鼻と薄いが柔らかそうな唇の可愛らしい子だ。

 そして、学校で唯一、気安く僕に話し掛けてくれる相手でもある。


「千景か……そりゃ暗くもなるよ。あんなでっち上げのラブレターで笑い者にされたんだから。」


 千景が僕の座っているコンクリートの階段の隣に来て座り、僕の方を見てきた。


「盛大に笑われてたね。」


 千景は他人事とばかりにコロコロと可愛らしく笑っていた。


 以前、僕が虐めのターゲットになり始めた頃、千景には『私は何があっても征太くんの味方だよ』と言われた事があった。

 だが、僕が虐められている時に千景が割って入りでもしたら、それこそ千景も一緒になって虐められてしまう恐れがあるので、僕は千景に『学校では極力話し掛けない方がいい』とか『虐められている時でも正義感は出すな』とか言ってあったので、今回も千景が関知しなかった事は正しいと思っている。

 こうして笑ってくれる事が何よりの救いだ。


「一つ訊くんだけど……」


 少しトーンを落とした千景の声が耳に入る。

 あまり聞かない声だと思って千景を見ると、先程までの笑顔ではなく真剣な眼差しで僕を見ていた。


「清見さんに渡した手紙……あれ本当に征太くんが書いたんじゃないのね?」

「当たり前だろ。」


 僕は即答する。


「もしも……もしもよ?災い転じてじゃないけど、清見さんがあの手紙を真に受けて征太くんに『付き合ってもいい』って言ってたらどうする?」

「はぁ?そんな事あるわけないだろ。大体清見さんとなんか話をした事すら無いのに。」

「だから『もしも』よ。」

「断るよ。」


 同じく即答する。


「どうして?清見さん綺麗だよ?美人の彼女欲しくないの?」

「いくら綺麗でも美人でも話した事も無いような子とは付き合えない。」

「そっかぁ。」


 心なしか千景の表情が緩んだ気がした。


「さぁ、もうする昼休み終わるぞ。先に教室戻りなよ。僕と一緒に居る所を見られるのは良くない。」


 僕が顎で屋上の出入口を示すと、千景はぱっと立ち上がった。


「そんな事言うのは今日限りにしようね。」

「え?」


 階段を降りて僕の正面に来た千景が、少し僕を見下ろす高さに目線を置いて真剣な顔をして言った。


「私は虐める側には勿論ならないし、自分の大事な人が虐められているのを黙って見過ごして間接的に虐めに加わってるって思うのももう限界。征太くんに言われた通り征太くんが虐められてても今まで黙ってたんだから誉めて欲しいわ。だからと言って口出しして簡単に虐められるつもりも無いけどね。」


 千景は一気にまくしたてるように言うと、大きくふぅっと息を吐いた。


「だ、大事な人って……千景……」

「任せてよ。」


 千景は軽い感じでそう言うと、僕に背を向けて出入口の方へと駆けて行った。

 暫く千景の去って行った方を眺めていたが、下手をすれば千景まで虐められてしまうと思い慌てて千景の後を追った。

 だが千景は既に階段を見下ろした範囲から姿が見えなくなっていた。

 仕方なく僕も教室へ戻る事にして、重い足取りで階段を降りて行った。




**********




 教室に入ると、今朝とはまた雰囲気の違う異様な空気に包まれていた。

 教室に居た多くの生徒の視線が、窓際中ほどの席に居る座った男子とその前に立っている女子に注がれていた。

 男子はクラスのムードメーカー的な存在だがいつも僕を虐めているメンバーの筆頭とも言える金山かなやま

 そして金山の席の前に立っているのは、さっきまで僕と一緒に居た千景だ。


「放課後は用事があって無理だから、聞くって言ってんの。話って何?」


 千景のよく通る声は今朝の清見ほどの音量では無いが、少なくとも教室全体には聞こえているだろう。

 その千景の顔は何だか楽しそうだった。


「だ、だからここじゃ言えないんだって。」

「でもなんでしょ?」


 千景はそう言うとポケットから少し皺になった手紙を取り出すと……


「千景ちゃんへ 大事な話があります。放課後、中庭に来て下さい。 金山より」


 と手紙に書かれた内容を読み上げた。


「ばっ!何読んでんだよ!」


 教室に居る生徒たちからは『あらぁ~』だとか『意外ぃ~』だとか、明らかに僕の時とは違う反応がこそこそと聞こえていた。

 その内、いつも金山と一緒になって僕を虐めている連中から『告白かぁ?』『言っちゃえよ!』みたいな声が出てきた。

 千景は僕の方をちらっと見てすぐ金山に視線を戻すと、それこそ『恋を恥じらう乙女』のように手紙を両手で持ち少し俯いてもじもじとしはじめた。

 それを見た周りの連中は『金山イケルぞ!』『こ~くはくっ!こ~くはくっ!』と煽るような声を投げ掛けだした。


「うっ……うるせぇぞお前らっ!」


 見ると金山は顔を赤くして満更でも無い表情になっていた。

 千景は相変わらず恥ずかしそうな顔で俯いている。


「わ、わわ分かったから!」


 金山がそう言うと同時に教室がしんっと静まる。

 『こほん』と咳払いをした金山は席を立って千景と正対した。


「ち、千景ちゃん!お、俺と付き合ってくださいっ!」




 ほんの一瞬の静寂。

 何故か金山の顔はドヤ顔になっている。

 目線は周りで囃し立てていたギャラリーの中を行ったり来たり。




 俯いて手紙を両手で持ってもじもじしていた千景の動きがぴたっと止まる。




 ビリビリビリッ!




 千景が両手で持っていた手紙が真っ二つに引き裂かれる。




「は?」




 唖然とする金山を、不敵な笑みを浮かべた千景が見上げていた。




「オコトワリよ。」




 周囲で眺めていた連中の多くも、何も言えずに二人を眺めるだけだった。

 不敵な笑みを浮かべていた千景は、次の瞬間には金山を睨むような表情に変わっていた。


「何で私があんたなんかと付き合う必要があるのよ?」

「え……」

「まさかOKしてくれるなんて思ってたんじゃないでしょうね?」

「あ、いや……」


 しどろもどろになって目線を泳がせている金山だが、千景は一寸たりとも視線を外さず金山を睨んだままだ。

 周りは助け船を出すどころか、千景の迫力に押されてか微動だにせず状況をじっと見つめている。


「本気でOKすると思ってたの?頭沸いてんじゃないの?私があんたを好きになる理由なんか微粒子レベルでも無いわね。」


 千景はまるで氷のように冷たく言い放った

 ようやく落ち着いた周りからはヒソヒソとどちらの肩を持つとも分からない声が広がっていた。

 と、千景はポケットから別の手紙を何通か取り出した。


「河合千景さんへ 放課後に体育館裏で待ってます。 宮地浩行」


 一枚目の手紙を読み上げると、その差出人の宮地が目を真ん丸にしてオドオドとしだした。


「河合千景様 今日の放課後、中庭まで来て下さい。待っています。 飯島武志」


 二枚目の手紙を読むと、飯島は頭を抱えて机に突っ伏した。


 千景はそれぞれに視線を泳がせた後、二通の手紙を両手に持つと、金山の手紙と同じように『ビリビリビリ』と細かく破いて金山の机の上にばら撒いた。


「同じ日に別々の場所に呼び出して、私が誰の所に行くか、そして告白して誰がOK貰えるか……そういうゲームお遊びかしら?」


 金山も宮地も飯島もじっと俯いたままだ。

 周りから聞こえて来る声……特に女子からは『ひどぉい』『サイテー』といった声が少しずつ増えていた。


「今朝、清見さんに神岡君が書いたっていう手紙の筆跡ね……ゴミ箱にあったのを拾って見たんだけどこれ、私の下駄箱に入れたに書かれてるのと似てるわね。」


 見る見る金山の顔が赤く染まっていく。

 教室のあちこちから『あれ悪戯?』『マジで?』みたいな声も聞こえてくる。

 当の清見は金山の方をじっと睨んでいた。

 恐らく清見も金山たちの悪戯だったなんて知らなかったのだろう。

 教室の騒めきが大きくなってきたが、それも千景の一声で再び静寂に包まれる。


「人の心を弄ぶ事を喜ぶなんて……あんたら人としてサイテーだね。」


 千景は教室で様子を伺って周りを取り巻いている面々を一人ずつ睨み付けながら言った。

 それは千景に手紙を送った三人だけでなく、僕の虐めに加担した者と、直接加担はしていないけど何も言わずに自分は関係無い素振りをして間接的に僕を虐めていた全ての者に言い聞かせるような口調だった。

 それに気付いた面々は恥ずかしそうに俯き、気付かなかった面々はぽかーんとした顔で成り行きを見守っていた。


 千景は手に残った手紙の残骸を金山の机の上にぱらっと捨てると、僕の方に笑顔とウィンクを送って自分の席に戻った。


 僕は一連の行動と教室の様子をただ茫然と眺めるだけしか出来ず、午後からの授業もあまり頭に入らないまま放課後を迎えた。




**********




「はぁ~!スッキリした!」


 いつも一人で下校するのだが、今日は珍しく隣には千景が居た。

 千景はニコニコと笑顔を浮かべながらさっぱりした表情だった。


「いいのか?あんな事言って。」

「事実なんだからいいに決まってるじゃないの。」

「だからってあの言い方じゃあクラス全員敵に回ってもおかしくないぞ。」


 千景は僕の前に立ち塞がるようにこちら側を向いて止まった。

 その表情は柔らかく……そして何故か悲しげだった。


「征太くんが痛くなければそれでいい。」

「何それ?」


 千景がゆっくり僕の方に近寄って来る。


「言ったでしょ?征太くんは私の大事な人なんだから。」

「お昼にも言ってたけど……それって……」


 千景が僕の目まで隠れた前髪に指を添えて髪を持ち上げ、酷い傷痕のある額を晒すと、その傷痕を優しい目で見て言った。


「昔、私が虐められてた時、虐めっ子が投げた石……私を庇って私の代わりに征太くんのここに当たっちゃったね……」


 千景は僕の額の傷痕を指で撫でていた。


「私の代わりに痛い目に遭っちゃった征太くん……怪我以上に痛い思いをさせちゃってごめんなさい……」


 千景の目が一気に潤み、ポロポロと涙が零れる。


「だから私は……少しでも征太くんの痛みを和らげたいの……」


 僕は額の傷痕を撫でる千景の手を取り、そっと下に降ろした。


「ありがとう千景。でもこの傷痕は、僕が千景を守る事の出来た証拠……『勲章』だと思ってるんだから、悲しむんじゃなくて誇りに思って欲しいな。」

「でも……」

「僕は大丈夫だよ。それに今日は千景がみんなにあんな事言ってくれたんだ。僕が気分爽快なのに千景が泣いてるなんておかしいだろ?」

「うん……」

「ほら、笑ってよ。」


 僕は少し腰を屈めて千景の顔を覗き込み、笑顔を見せた。

 千景は涙顔ながらも、小さく微笑んでくれた。


「さ、帰ろう。」


 僕は千景の頭をぽんぽんと撫でた後、家に向かって歩きだした。

 少しだけ、いつもより背筋を伸ばして、少しだけ、いつもより明るい気持ちで。

 すぐにイジメが無くなる事は無いだろうけど、少しでも明日が平和に過ごせるようにと願いながら。

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