エコーは言葉を返せない~采女 静佳の復讐奇譚~

佐倉島こみかん

Side Echo 1

 女子にとって恋バナは、いわば平凡な日常の中に香るシナモンやバニラエッセンスのようなものだ。お菓子におけるアクセントと同じように、それが無ければ、毎日は味気ないものになってしまう。

 この手の話は私――児玉 智恵子こだま ちえこの独壇場だ。校内のゴシップネタは、私に聞けばまず間違いなく最新情報を得られると評判で、学校きっての情報通を自負している。

 今、話題になっているのは、モデルのSYOUこと我が校一のイケメン鳴海 祥介なるみ しょうすけくんが、また女子を振ったという話だ。

「鳴海くんが振ったのって今月これで四人目でしょ?」

 私と一番仲のいい美由が言う。

 鳴海くんは有名な美人女優の息子で、母親そっくりの美しい顔立ちと一八八センチある高身長で今引っ張りだこのモデルなのである。それなのに、というか、そのせいで、というか、学校では誰ともつるまないクールな男子なのだった。でも、そういう塩対応なところがいいと女子の人気はかえって高まっている。

「ううん、実は振った人、これで六人目」

 私は昨日手に入れた特ダネを、満を持して投下する。

「え、ウソ! 一組の岡崎さん、四組の田原さん、五組の雪野辺ゆきのべさんに今回の刈谷さんで四人でしょ? 他にもいたの?」

 小牧さんが指折り数えて言ったので、しめた、と内心舌なめずりする。ゆっくりと二、三度首を振ると声を落とした。

「昨日分かったんだけど、五組の雪野辺さん、先週、お姉さんと妹も振られてるの」

 もったいぶって言えば、周りの子は揃って『ええー!』と、楽しげな黄色い声を上げた。この反応がたまらない。

「じゃあ三姉妹揃って同じ人好きになってたってこと?」

「でも全員振られてるんじゃねぇ」

「てか、三人とも相手考えなよって思うよね」

「いくら雪野辺さんがお金持ちで美人も、あの性格じゃちょっとねぇ」

「姉と妹はどうなの?」

「もっと酷いらしいよ」

「じゃあ、なおさらじゃん!」

 皆、口々に好き勝手言う。雪野辺さんは有名な製薬会社のご令嬢でプライドが高く、お金持ちを鼻にかけてかなり性格が悪いから無理もない。

「貴女達、ちょっと言い過ぎじゃない?」

 不意に、茶化したような口調の涼やかなアルトの声が割って入った。

采女うねめさん、聞いてたの?」

「聞こえちゃったの」

 驚いて振り向けば、声の主がふわりと微笑んで答えた。

 いつのまにかそこに居たのは、ゴシップネタから一番遠い場所にいる采女 静佳うねめ しずかさんだ。

 すらりとした長身に緩く波打った長い黒髪、透けるような白い肌、切れ長の目、左目のすぐ下に二つ並んだ涙黒子がミステリアスな印象を与える美人である。こんな美人なのに、恋の話題どころか個人的な情報の一つも入手できない謎の多い女子だ。

「ほら、児玉さんの斜め前の席の池田くん。彼のお兄さんが雪野辺さんのお姉さんと仲がいいんだから、そこから今の話が雪野辺姉妹の耳に入ったら大変よ?」

 やんわりと諌められ、そんな初歩的なことも忘れていたことに内心しまったと思う。

「あんまり噂話が過ぎると、恨みを買うわよ――ギリシャ神話の、エコーみたいに」

 采女さんは身をかがめて私の耳元に唇を寄せると、謎めいた笑みを浮かべて囁いた。

 思わず見とれるほど妖艶な仕草での忠告に、私を含めて全員が決まり悪くなって口をつぐむ。

「ふふ、貶めるようなことを言わなければ何も問題ないのだから、そんな固くならなくてもいいのに」

 采女さんはそう言ってにこりと微笑むと、私を案じるような目配せをして自分の席へ戻っていった。そんな采女さんの背中を見送ってから、思い出したように息をつく。

 そのタイミングで次の授業のチャイムが鳴ったので、私達は名残惜しく解散した。


 その二日後には、雪野辺三姉妹が鳴海くんに振られたという話は高等部中に広まった。各学年に一人ずつ振られた張本人が居るのだから、広がるのも早い。三姉妹のピリピリした態度が何よりもその噂が事実だということを物語っていた。普段の彼女達の態度が態度だけに、全体的に『ざまあみろ』といった雰囲気があり、陰口を叩く人も大勢いる。さぞかし三人は居心地が悪いことだろう。

 それに反比例するように、噂を広めた私と、三人を振った鳴海くんの評判は高まっていた。私はこのスクープの件で、よくぞあの雪野辺姉妹の鼻を開かしたと喜ばれていたし、鳴海くんはよくあの三人を振ったものだと感心されていた。鳴海くんは普段通りのことをしただけだと言わんばかりに、相変わらずのクールさだけど、私は、この展開に震えるほどの興奮を味わっていた。

 誰もが私に様々な情報を求め、あの雪野辺姉妹にさえも一泡吹かせることが出来た。特に、私をずっと蔑んできた雪野辺 羅々ゆきのべ ららの高い鼻をへし折ってやったことには愉悦さえ感じている。


 私は、自分になんの取り柄もないことを小学校の頃から十分に理解していた。顔も、成績も、運動神経も普通。生まれながらの特別な才能もない。それでも、皆の中心になることを熱望していた。特別な存在になりたかった。学年が上がるにつれ、その思いはどんどん強くなっていった。

 だから考えた。どうすれば、普通極まりない自分でも、周りに必要とされる中心人物になれるかと。何か一つでいい、魅力となるものが欲しいと。

 勉強は頑張っても並、いくら服装やメイクに気を使ったところで、元々の美人には敵わない。運動だって才能のある人には及ばない。何か、もっと違う部分で皆に必要とされなければならない――そう考えた時に、頭に真っ先に思い浮かんだのが情報というものだった。

 情報――特に、恋愛関係の話題が望ましい、と。

 小学校高学年といえば、女子の間では恋の話が盛り上がり始める頃だ。そこを押さえれば、きっと周りから必要とされる――そんな安直な考えからだった。

 それでも、当時の私にとってそれは自分のアイデンティティに関わる重要事項だった。だから必死になって情報を集めた。人脈を広げ、常に周りの噂話に聞き耳をたて、放課後に人気のない告白スポットなどをそれとなく見回る。人気のある男女には、さりげなく好きな人がいないかを聞き、靴箱や机にラブレターが入れられていないかひっそりと探る。

 そんなプライバシーの侵害のラインに踏み込んでまで情報を集めた。だって、提供する情報は最も新しく、最も詳しいものでなければならないから。既存の情報に女子は食いつかない。それは最も傷みやすいなまものだった。

 集めた色々な恋愛事情は、周りの女子に流していった。そうするうちに段々と効果的な話し方や、教え方も覚えていった。そして少しずつ、『恋の話なら児玉智恵子』という印象を周りに与えていくことに成功したのだ。中等部を卒業する頃には、既にそのイメージは浸透し、中高一貫教育のため、高等部での自分の位置付けにはなんの心配もないと信じていた。確実な居場所を既に手にしたと満足していた。

 そうして周りから一目置かれるようになったのに、一度だけ、その行為を否定されたことがある。その否定をしてきたのが同学年の雪野辺 羅々だった。

『何も才能がないと、話す中身は下品になるのね。可哀想に』

 と、一言、私を嘲笑ったのだった。

 それは私にとって最大の侮辱だった。自分の普通さを見透かされ、ようやく手に入れたアイデンティティまでけなされた。腸が煮えくりかえって、でも、頭が真っ白になって、その時は何も言い返せなかった。あの時、何も言えなかったことを、今でも後悔している。

 ――恋の噂は下品なんかじゃない。私が情報を教えることで、皆は楽しい毎日を送れる。教えた情報のおかげでカップルになった人達も居る。悪いことなんて何もない。私は可哀想なんかじゃない!

 後からようやく自分にそう言い聞かせて平静を保ったけれども、羅々に対しての強烈な怒りは、いつも心の奥底で燻っていた。

 だから、羅々が鳴海くんに振られる現場を目撃し、姉の沙羅さらと妹の由羅ゆらも振られたという情報を手にした時は、喜びのあまり笑いを堪えることが出来なかった。

 この話を広めれば、あの雪野辺羅々のプライドを傷つけられる。その考えは、それまで燻っていた羅々への怒りや自分への劣等感を、堪らない愉悦へと変えていった。

噂話を笑う奴は、噂話によって笑い者になればいい。

そうして、私の復讐は見事に花を咲かせたのだった。


 そしてその復讐は、上手く行き過ぎている程だった。元々、雪野辺姉妹はお金持ちとして有名なうえ、周りからの評判が良くなかっただけに、噂が広まるのも早かった。自分が『下品』と言った話の種になっていく羅々の屈辱を思うと愉快にならずにはいられない。人の噂も七十五日というけれど、高校生活の二ヶ月半は長い。せいぜいその間、苦しめばいい。

 噂も広まってしばらく経ったある日、私が友達と話しながら廊下を歩いていると、一人の女子とすれ違った。

「自分のしたこと、分かってる?」

 すれ違いざまに耳元でぼそりと呟かれた声に驚いて振り返れば、そこには羅々の後姿がある。わずかに顔だけこちらを向いていた羅々とちらりと目が合った。羅々の目に宿った暗い憎悪の影に、思わず立ちすくむ。

「どうしたの智恵ちゃん?」

「あ、ううん。なんでもない」

 怪訝そうな友達の声にハッとしてまた歩き始めるけど、羅々の抑えた声と視線に滲む悪意に、背筋がぞくりとしたまま治まらない。

 情報さえあれば私に怖いものなんてない、今更、羅々に噂を消すことなんて出来ないんだからと自分に言い聞かせても、胸に凝った不安は、簡単には消えなかった。

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