第三十章 ラーマーヤナと現代の魔女レーナ

  第三十章 ラーマーヤナと現代の魔女レーナ


 目覚まし時計のアラームおんで目が覚めると、隣で寝ていたはずのけいの姿はなかった。一緒に朝食をと思っていたのに。私は残念に思った。


 私は熱いシャワーをびて、昨日のあせを流した。かがみうつる自分の体のあちこちにけいがつけたキスマークがあとになって残っていた。首筋くびすじにもいくつも残っていて、本当に何も気にしない自由な男だと思った。まあ私も人の目なんて気にしない人間だが。


 シャワーをび終えるといつものようにトーストとコーヒーを用意した。目玉焼きは面倒めんどうだから作らなかった。けいがいたら作ったのに。

 テレビで朝のニュースを見ながらコーヒーを飲んだ。いつものようにいい香りだった。それでも物足ものたりなさを感じた。その理由を私は知っていた。けいは私のテリトリーに入り込んで居場所を作ってしまっていたからだ。人寂ひとさみしさや一人飯ひとりめしわびしさなんてもう何年も感じていなかったのに。けいを取り除かないと、けいに捨てられた時に自分が壊れる。そんな予感がした。


 電車にられて出勤しゅっきんし、いつものように自分の席に座ってメールの確認から始めた。今日の取材相手である黒魔術くろまじゅつサイトの管理人の豊田とよだという男からメールが届いていた。今日もパンプキンズというカフェで会いたいという内容だった。豊田とよだは甘いもの好きで、新大久保しんおおくぼにあるパンプキンズというカフェがお気に入りだった。けれどその見た目はの強い黒縁くろぶち眼鏡めがねに、無精ぶしょうひげ。黒髪を長くばし、後ろで一本にたばねていて、とても女子高生が喜びそうな可愛らしいカフェが似合にあう男ではなかった。オカルト界隈かいわい清潔感せいけつかんのある男は少ない。豊田とよだがどんな格好かっこうをしていようと気にはめなかった。


 約束の時間に私はパンプキンズに行った。私が店に入ってから数分後に豊田とよだは現れた。

 「こんにちは。黒沼くろぬまさん。」

 豊田とよだはそう言いながら席についた。

 「こんにちは。」

 私はいつものように挨拶あいさつした。

 「今日もこの店にしてもらって、すみませんね。」

 「いえ。私もこの店好きです。」

 「本当ですか?いつもコーヒーしか頼まないじゃないですか。」

 「ここのコーヒーは美味しいですよ。」

 私は豊田とよだにそう言いながらメニューを差し出した。豊田とよだうれしそうにはなひろげて受け取った。


 「黒沼くろぬまさん、今日はとっておきの情報が二つもあるんです。なので、ケーキ二個頼んでもいいですか?」

 メニューに目を落としながら目をキラキラさせて豊田とよだが言った。私は思わずしそうになったが、こらえて『もちろん、どうぞ』と答えた。経費けいひは会社で落とすから何個食べようとかまわない。

 「黒沼くろぬまさんは今日もコーヒーだけですか?」

 豊田とよだが注文をする前に尋ねた。

 「はい。あ、やっぱりカフェラテにします。今日は私も甘いものが飲みたい気分です。」

 私はそう言って豊田とよだわせた。

 「そうこなくっちゃ。」

 豊田とよだはそう言うと自ら注文をした。


 「早速さっそくですが、とっておきの情報をお聞かせ頂いてもよろしいですか?」

 注文ちゅうもんが終わると、私は豊田とよだに切り出した。

 「はい。さっきも言った通り、今日はとっておきの情報は二つあるんです。まず一つはラーマーヤナの件です。」

 「ラーマーヤナ!?」

 私は思わずオウム返しに口にしていた。


 「黒沼くろぬまさんならいついてくれると思っていました。」

 私の反応はんのうを見て豊田とよだうれしそうに言った。

 「七冊あるラーマーヤナの内、二冊が見つかりました。二冊とも警察けいさつ押収おうしゅうされていました。一つは新宿警察署しんじゅくけいさつしょ、もう一つは長野県警ながのけんけい保管庫ほかんこにあったそうなんですが・・・」

 豊田とよだがそう言ったところで、カフェラテとケーキがやって来た。店員がテーブルの上に並べて立ち去るのを待って豊田とよだは続きを話した。

 「二冊とも破壊はかいされました。」

 「破壊はかい?」

 本を破壊はかいするとは仰々ぎょうぎょうしい言い方だと思った。

 「保管庫ほかんこにあった二冊とも何者かによって文字もじすみでつぶされたそうです。まさに破壊行為はかいこういですよ。」

 豊田とよだいきどおりをかくせずにそう言った。歴史的れきしてき価値かちのある本をよごされたことにおこっていたのだ。私もいわくつきの本だと知っていながらも、どこか残念ざんねんに思う気持ちがあった。


 「一体誰がそんなこと・・・」

 私はそう言いながらぼんやりとけいの言葉を思い出した。『小夜さよのために本を殺す』『ラーマーヤナを始末しまつして来る』。確かけいはそんなようなことを言っていた。

 「まさか本当にけいが・・・。」

 私はそうひとごとをつぶやいていた。

 「黒沼くろぬまさん?」

 考え事にふけっている私の顔をのぞき込みながら豊田とよだが呼んだ。

 「はい。」

 私は目の前の豊田とよだの話に頭を切り替えて返事をした。

 「ラーマーヤナの話はこれでおしまいです。もう一つの情報というのは、黒沼くろぬまさんに直接関係のあるものなんです。」

 豊田とよだはそう前置まえおきして目の前のケーキに手を付けた。生クリームがたっぷりえられたパンプキンタルトと濃厚のうこうそうなベイクドチーズケーキだった。見ているこちらがむねやけしそうな組み合わせだった。豊田とよだがパクパクとケーキを口に運んでいる間、私はカフェラテをすすって話し始めるのを待った。


 「黒沼くろぬまさん、現代げんだい魔女まじょレーナっておぼえています?」

 最後の一口ひとくちを食べ終わると、豊田とよだが言った。

 「え?」

 「黒沼くろぬまさんが取材して記事きじにした子です。」

 「おぼえています。」

 現代げんだい魔女まじょレーナは本名ほんみょう川本かわもとレナ。新宿しんじゅく雑居ざっきょビルでわかいながらも店をかまえて、悪魔召喚あくましょうかんとかあやしげな商売しょうばいをしていた。刑事けいじ三上みかみの話ではひどい怪我けいがって病院にはこばれたが、姿を消して行方不明ゆくえふめいになっているということだった。


 「彼女がどうかしたんですか?」

 私は興味きょうみあるりをしてそうたずねながらも、川本かわもとレナが行方不明ゆくえふめいになっていることなら知っているから、これから聞く話は不要な情報だと思った。


 「彼女が僕のところに会いに来たんです。」

 豊田とよだはそう言った。私は予想外よそうがいの言葉に驚いて豊田とよだの顔を真正面ましょうめんからまじまじと見つめた。うそをついている顔ではなかった。

 「レーナさんはあなたに会いたいそうです。でも普通に会いに行くとまずいからある場所に来て欲しいそうです。」

 豊田とよだはそう言ってミサの案内あんないを差し出した。

 「教会きょうかいですか?」

 現代げんだい魔女まじょうたって悪魔召喚あくましょうかん儀式ぎしきをしていた人間が教会きょうかいを待ち合わせ場所に選ぶとは何とも不似合ふにあいだと思った。

 「そこに来て欲しいそうです。」

 豊田とよだも同じことを思っている顔をしていた。

 「正直、僕も何がなんだか分からないんです。レーナさんが突然話しかけて来て、黒沼くろぬまさんとつないで欲しいって言って来たんです。レーナさんのうわさは聞いていましたけど。アイドルみに可愛かわいいって・・・。でもそれまで一度も会ったこともなければ話したこともなかったんです。何で僕なんかにつなぎを頼んだんでしょう?」

 豊田とよだが言った。そんなこと私に聞かれても分からない。私はミサの案内に目を落としながら、なぜ川本かわもとレナが私に会いたがっているのか考えた。思い返せば川本かわもとレナは行方不明ゆくえふめいになる前に、私と連絡を取ろうと留守電るすでんにメッセージを残していた。何か私に伝えたいことがあるに違いなかったが、それは一体何だろう。考えをめぐらせても分からなかった。


 「黒沼くろぬまさん、確かに伝えましたよ?僕、そろそろ仕事があるんで。」

 豊田とよだが黒いかわベルトの腕時計うでどけいを見ながらそう言った。豊田とよだのような男は腕時計うでどけいなどせず、スマホで時間を確認すると思っていたから意外いがいだった。

 「お仕事って黒魔術くろまじゅつサイト管理かんりの?それともまた別の取材しゅざいが入っているんですか?」

 私は世間話せけんばなしのつもりでそう尋ねた。すると豊田とよだは『しまった』という顔をして、口をすべられせてしまったことを後悔こうかいするように手で口をおおった。何かあるとピンと来たが、何をかくしているのかこの時は分からなかった。

 「僕、行きますね。ケーキご馳走様ごちそうでした。」

 豊田とよだは逃げるように席を立つと、店から出て行った。


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