カルティック・ナイト

相模 兎吟

第一章 カルティック・ナイト

  第一章 カルティック・ナイト


 「録画ろくがしてもいいですか?」

 「ダメ。」

 「録音ろくおんは?」

 「それもダメ。メモならとってもいいですよ。あなた記者きしゃなんでしょ?」

 自称じしょう魔女まじょという少女は物書ものかきなら物書ものかきらしく、文明ぶんめい利器りきではなく、かみとペンに頼れと言いたげだった。アナログな取材しゅざい相手あいて面倒めんどうだ。


 「記者きしゃっていうか、ただのオカルト雑誌ざっしのライターです。あとで写真しゃしんってもいいですか?」

 「いいわよ。それで?私に三十万払って、悪魔あくまには何を差し出しますか?」

 ぼったくりもいいところだ。自腹じばらだったら絶対ぜったいに来ない。

 「ええと、そうだな。私の寿命じゅみょう半分はんぶんとか?」

 「信じてないの?」

 少女は私にするどい目を向けて言った。いっちょ前に怒ってるのか?可愛かわいくない。

 「信じてないわけじゃないですよ。両親はもう亡くなってるし、恋人も友人もいない。寿命じゅみょうが半分になっても何の問題もないんです。」

 やけっぱちに聞こえるかもしれないが本当のことだ。

 「そう。」

 少女は納得なっとくした。魔女まじょ少女はどう見ても二十歳はたちそこそこだった。その歳で三十過ぎの独身女どくしんおんなさみしい人生の何が分かるというのだ。納得なっとくされてもはらつ。


 「悪魔あくまを呼び出して何をさせたいの?」

 「特に何も。召喚しょうかん儀式ぎしきやってもらえるだけでいいです。」

 実は次の取材しゅざい某大学ぼうだいがくのオカルト研究会けんきゅうかい悪魔あくま召喚しょうかん儀式ぎしき見学けんがくさせてもらうことになっていた。その予備よび知識ちしきをつけるという意味でここへ来た。口コミで本物ほんもの魔女まじょがいると評判ひょうばんになっていたし、おまけにわかくて可愛かわいいときたら話題性わだいせい抜群ばつぐん。中身はどうあれ、魔女まじょ顔写真かおじゃしんだけで記事きじが書ける。


 「あなたやっぱりしんじてないでしょう?」

 魔女まじょとげのある声で言った。

 「いえいえ、そんなことないです。じゃあ、美味おいしいおさけ一杯いっぱいでも作ってもらおうかな。」

 「あそ半分はんぶんならやめておいた方がいいわよ。」

 魔女まじょ不機嫌ふきげんそうな顔で忠告ちゅうこくするように言った。おこらせて儀式ぎしきをやらないなんて言われたら取材しゅざいにならない。フォローしなくては。

 「これは仕事です。遊びでやってるつもりはありません。真剣しんけんです。本当はかえらせたい人がいます。かえらせることができなくても話したいことがあって・・・」

 そこまで言うと魔女まじょは私の言葉をさえぎるように立ち上がった。

 「こちらへどうぞ。」

 魔女まじょはそう言ってとなり部屋へやへ私を案内した。とびらけた瞬間しゅんかんはなをつんざくようなアンモニアしゅうがした。部屋の中に目を走らせると、ゆかにはアルファベットと記号きごうりばめられた円陣えんじん中央ちゅうおうには祭壇さいだんがあり、そこにいくつものけものくびかれていた。異臭いしゅう正体しょうたいはこれだった。

 「うっ。」

 思わずえづいた。

 「ここでかないで。」

 魔女まじょは私を一睨ひとにらみみしてそう言った。

 「それ、どうしたんですか?」

 私は祭壇さいだんの上にあるヤギのくびして言った。ヤギなんて動物園どうぶつえんでしか見たことがなかった。ヤギの生首なまくびは初めて見た。これって違法いほうじゃないのか、取材しゅざいしていいものかと頭の中で考えていた。

 「食肉店しょくにくてんからゆずってもらったの。」

 魔女まじょはそう答えた。真偽しんぎはどうあれ、その回答かいとうなら取材しゅざい続行ぞっこうできそうだ。


 「文字もじせんさないように一緒いっしょ中央ちゅうおうえんに入って。」

 魔女まじょはそう言って円陣えんじん中央ちゅうおうに向かって歩いた。私もその後ろをついて行って中央ちゅうおうえんに入った。目の前の祭壇さいだんの上にはヤギさんのくびだ。ハエがブンブンたかっている。

 「じゃあ、始めるわよ。私がいいって言うまで一言もしゃべらないでね。」

 魔女まじょはそうくぎした。

 「分かりました。」

 私はえがたいアンモニアしゅうのせいで涙目なみだめになりながら、返事へんじをした。


 魔女まじょはヤギのくびよこにおいてあった分厚ぶあついノートにとすと、丁寧ていねいげた。おそらくラテン語で、後ろからのぞたノートにはびっしりと仮名がなってあった。勉強熱心べんきょうねっしんのようだが原文げんぶん理解りかいできていなさそうだ。それでも日本語訳にほんごやくを教えてくれと言ってみるか。

 そこから六時間、魔女まじょはノートのはしからはしまでげるというのをひらすらかえした。六時間経過して、ようやくのど限界げんかいたっしてげるのをめた。一言ひとことしゃべるなと言われたから沈黙ちんもくまもっていたが、これは一言ひとこと言いたい。


 「もうしゃべっていいわよ。」

 魔女まじょがガラガラのこえせきみながら言った。

 「結構時間かかりましたね。こんなにかかるなら、最初に言ってほしかったです。」

 もうオフィスに戻って原稿げんこうを書く時間はない。家でやるか。六時間ただつっ立って、時間を無駄むだにしたがする。

 「いつもならもうとっくに呼び出せてるはずなんだけど。」

 魔女まじょわけがましくそう言った。

 「いいです。いいです。そういう時もありますよね。最後に写真しゃしんだけらせてもらって、おいとまさせていただきます。」

 私は笑顔でそう言ってカメラをかまえた。

 「後日あらためてやるわ。都合つごうのいい日を教えて。」

 「はい。スケジュールを確認してご連絡します。」

 二度と来るものか。心の中でそう言って、シャッターをった。


 魔女まじょの店は新宿しんじゅくにある。私の自宅も都内とないにあるが、ここからだと少し遠い。最寄もより駅に着くのは夜の十時を回る。こういう日は寄り道をしたくなる。今日は金曜日だし、ちょうどいい。私はいきつけのバーに行くことにした。

 バー・カルティック・ナイト。今のマスターも先代せんだいからそのままいで、店名の由来ゆらいは知らない。この店が好きなのは綺麗きれい美味おいしい酒が好きなのと、マスターを気に入っているから。もう六十歳を過ぎて七十歳近いらしいが、時代に取り残されている感はなく、流行はやりものには敏感びんかんだし、としはなれている客とも話す。私もとしをとったらこうありたいものだ。


 「こんばんは。」

 そう声をかけて店に入ると、マスターとった。

 「いらっしゃい。」

 マスターが私の顔を見てそう言った。店内を見回すと、カウンターに二人、テーブル席に二組の男女がいた。私はもちろんカウンター席についた。

 「今日は何にしますか?」

 「ソルティードッグ。」

 おきよめの効果こうかがあるとは思っていないが、取材しゅざいのあった日はグラスのふちしおがついたこれを最初に頼む。そして小皿こざらられたナッツをボリボリ食べながらグビグビ飲む。そんな飲み方をしているから、この店で男の客に話しかけられたことは一度もない。でも女にはかれた。おたがいここの常連じょうれんで、自然しぜん顔見知かおみしりになって、話すようになった同い年くらいの客がいた。仕事の愚痴ぐちを言い合うくらい仲良なかよくなったが、彼女はぱったりと店に来なくなった。結婚して引っ越したのだとマスターから聞いた。さみしいなんて思わない。うらやましいなんてもっと思わない。自由を手放てばなす人生なんて私には考えられないのだから。


 「どうぞ。お疲れ様。今日は取材しゅざい?」

 マスターが出来できがったソルティードッグをカウンターにきながら言った。長い付き合いだからさっしがいい。

 「そうなんです。今日は現代げんだい魔女まじょ取材しゅざいしてきました。」

 「うわあ。面白おもしろそうだね。」

 マスターが嬉々ききとして言った。オカルト雑誌ざっしのライターをしているなんて言うと人の興味きょうみく。どんな理詰りづめのエリートだって、くだらないと口では言いながら、神秘的しんぴてきなものにかれるのだ。


 「どんな感じだった?」

 マスターがいつものように聞いてくれた。

 「現代げんだい魔女まじょわかくて可愛かわいい女の子でしたよ。アイドルとかにいそうな感じ。」

 「こい魔法まほうとかかけてくれるの?」

 マスターが冗談じょうだんっぽく言った。

 「いえ。彼女のは本格的ほんかくてきなやつです。悪魔あくま召喚しょうかんして、願い事を聞いてもらう。今日は失敗したみたいですけど。」

 「悪魔あくまは来てくれなかったの?」

 「来てくれませんでした。」

 「それは残念ざんねんだったね。」

 「はい。」

 私はうなずいてソルティードッグをグイっと一口ひとくち飲んだ。グラスのふちについた粗目あらめしおが口の中でシャリシャリと音を立てて消えた。


 「もし悪魔あくまを呼び出せていたら、何をお願いするつもりだった?」

 話のながれで何気なにげなくマスターがたずねた。

 私はこの店に何年もかよっている常連じょうれんだし、マスターともなかかった。それでも、いや、これまでの私を知っているからこそ、話したくないことがあった。この質問しつもんもその一つ。

 「素敵すてきかれめぐり合わせて下さいって言うつもりでした。」

 私は冗談じょうだんを言って本心ほんしんかくした。


 「ねえねえ、話は変わるんだけど、今日ケーキ作ったんだよ。」

 マスターが嬉々ききとして今度は自分の話をし始めた。冗談じょうだん誤魔化ごまかしたことをさっして話題わだいを変えたと思うのはかんぐりぎというものだろうか。

 「ケーキ?何ケーキですか?」

 「ナポレオンパイ。」

 マスターはそう言うと、あかいちごがたっぷり乗っかったパイを見せてくれた。パイ生地きじあいだにはバニラビーンズを加えられたかおゆたかなカスタードがはさんであった。

 「甘くていい香り。赤のグラスとそのケーキをお願いします。」

 「そう言ってくれると思ってたよ。」

 マスターはお茶目なウインクをしてそう言った。マスターは料理好きで、ケーキだけではなく、ラザニアやら、ミートローフやら、ビーフシチューやら手の込んだものを作っては店で提供ていきょうしていた。かわきものとスナックしか出さない他所よそとは違う良さだと思っていた。


 赤ワインとナポレオンパイはどちらも最高に美味おいしかった。カフェではできない贅沢ぜいたくだ。

 「マスター、ケーキ最高に美味しかったです。この店、私が死ぬまで続けて下さいね。」

 「ハハハ。じゃあ、悪魔にでも頼まないとね。」

 マスターは快活かいかつな笑顔で言った。夜の仕事でも体をこわすことなく、いつも元気で、れてしまえば昼も夜も関係ないと言っていた。

 「じゃあ、そろそろ帰ります。ご馳走様ちそうさまでした。」

 手作りケーキをたいらげた私は席を立った。腕時計うでどけいを見ると時刻は十一時半を回っていた。長居ながいするつもりはなかったが、一時間以上いたのか。

 「小夜さよちゃん。お気を付けて。」

 私はおだやかでやさしい声に見送られて、どこかホッとしたような、安心したような気持ちで家路いえじへとついた。

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