伝わる言葉と言わない言葉


 ガンジェイナが再び動き出したのは、やはり夜だった。

 地揺れと共に、砂と化した地面からずぉぉと岩塊が顔を覗かせる。

 山の頂上辺りからそれを確認したオレは、ゆっくりと深呼吸をして、気持ちを落ち着けようとした。バクバクする心臓は、それでも全然静まらないんだけど。


(昼夜がいたら、心強かったんだけどな)


 空を見る。

 星のまばらな夜空には、雲の一つも浮かんではいない。

 だけどそこには、確かにいるハズだった。作戦のカギを握る宇宙船と、その中で眠る、大切な親友が。

「アイツの為にも、頑張んないとな!」

 声に出して、両手で頬を叩く。

 深呼吸よりもこっちの方がオレには効いた。

 緊張は少しマシになって、見るべきものにしっかりと目が行くようになる。


 ガンジェイナの進行方向には、海璃の予想通り、拡張工事中の交差点があった。

 真っ直ぐ進めば、民家を何件か巻き込んでしまう。だからまずは、その前に。

「こっちに……来いっ!」

 ファァァァァ、と鍵盤ハーモニカを吹き鳴らした。

 出来るだけデカく、高く、耳障りな音。それがガンジェイナの耳に届き、低いうなり声と共に、大きな顔をこちらへ向ける。

(よし、効いた!)

 昨日の車の件がヒントになった。大きな音に苛立ち、寄ってくる性質を持つのなら、こっちで大きな音を出してしまえば、ガンジェイナを誘導することが出来る。

 ファァァァァ。連続で音を出し続けながら、オレはガンジェイナから逃げて行く。

 工事現場の反対、山の頂上近くにガンジェイナをおびき寄せるのだ。


「――オォォォォォン……!」

「~~っ、だぁクソ、息が……~~っ!」


 走りながらハーモニカを吹くのはキツかったけど。

 小学生のオレに用意できる「クラクションに一番近い音を出せるもの」はこれだったし、他に誘導の方法はない。

 ベキベキと木々の折れる音を背中に聞きながら、登山道を横切って、ショートカットしながら事前に決めたポイントを目指す。

 チラっと目をやると、木々の間に、点々と光るライト。

 それが目印だ。必死に音を吹き鳴らしながらライトの地点を超えて、オレは振り返る。


「オォォォンッ!!」

「よーし来い……来い来い来い!」


 距離を離し過ぎては行けなかった。

 音が届か無くなれば、ガンジェイナはまた工事現場の方に向かってしまう。

 確実に、その場所に辿り着かせるために。振り返ったオレは足を止め、肺の底の空気を全部ハーモニカにぶち込んで。

「オォォォォォ……」

 ガンジェイナが、光るライトの点線を超えた、瞬間に。


「今だ、引き揚げろファム!」


 宇宙船にロープの回収を指示。

 すると地面から、ビュオッと風を切りながら、鋼鉄のロープが空中に伸びていく。

「オォォ……!?」

 光の点線は、ロープの位置だ。

 ガンジェイナは知らず知らずの内に二本のロープを踏んでいて、気づいた瞬間には、体の前後をそのロープで持ち上げられている。

『どうですか、上手く行きました!?』

「今ゆっくり上昇してる。周りの状況は?」

『近くには誰もいませんけど……昨日の今日ですので、山に注目してる人は多いハズです。例のモノを使ってください』

 宇宙船経由で通信してきた海璃に「了解」と告げて、オレは持ってきていた煙花火に火をつける。色付けされた煙がもくもくと吹き上がって、ガンジェイナの姿を覆い隠した。

『山火事とカン違いされてしまうかもしれませんので、急いでくださいね。あと、火の始末も。近くに乾いた落ち葉とか落ちてませんよね?』

「大丈夫だって、分かってるから。じゃあ今からトリカゴに入れてくから――」

 待ってろ、と言おうとした瞬間だ。


「グォォォォォォッ!」


 ガンジェイナが、激しく暴れ始めた。

 身をよじり、どうにかロープから逃れようと四苦八苦している。

 だけどロープはガンジェイナの岩肌にがっしりと食い込んでいるから、少し暴れたくらいで外れはしない。

「まぁ怒るよな、そりゃ。でも許してくれよ」

 ガンジェイナが少し地上に出ただけで、マヤカ山はとんでもない事になってしまったのだ。もしコイツが人里に出でもしたら、想像しただけでも恐ろしいことになる。

「トリカゴん中も結構快適らしいから、そっちに戻ってくれ!」

 オレは呼びかけながら、浮き上がったガンジェイナの体に飛び移り、その背中にトリカゴを押し付ける。トリカゴは光を放ちながら、ガンジェイナの全身を包もうとした……の、だけれど。


 バギャンッ!


 破壊音が鳴り響き、体が浮く感覚がした。

 落ちてる、と気が付くのはすぐだった。ガンジェイナの体ごと、オレは地上に落下している。なんで? ……ロープが切れたわけじゃない。見上げるとロープは空中でUの字を作っていて、ぶらぶらと揺れている。

(そんなん、急に体が小さくなったとか……じゃなきゃ……)

 まさか、と思って下を見るのと地面に激突するのは、同時だった。

 ズドォォンッ。腹に響く音と衝撃と共に、パラパラとガンジェイナの体が、割れていく。


「え、あっ……!?」


 脱皮。いや、剥離?

 どんな言葉で表すべきか分からないけど、とにかくガンジェイナは、小さくなった。

 20メートル級だった体高は半分程度まで縮まり、ヒレの形状も変わっている。

 っていうか、ヒレじゃなくなってる。ツメの生えたヒレだと思ってたそれは、ヒレのように岩の重なった前脚だったのだ。


『陸人さん、どうしたんです!? 荷重が無くなったってファムが!』

「悪い、ガンジェイナ落ちた! 体を小さくして逃げたんだ!」

『なんですかそれ!? ど、どうするんです!?』

「どうするもこうするも……もう一回引き揚げないとだけど……のわっ!?」

 オレが乗っていた背中の岩も、ずるりと崩れ落ちた。

 押しつぶされないように岩から飛びのくと、身軽になったガンジェイナは、今来た道をまっすぐに戻っていく。

「速くなってる……そりゃそうか……」

 ガンジェイナの速度は、先ほどまでの状態より一段階上だ。

 全力で走らないと追い付けない。でも、追い付いたところでどうする?

(ロープを持って走るか? いや一本ならともかく、二本持ってちゃ追い付けない……)

 一本のロープでガンジェイナを捕まえるのは、困難だ。

 アイツはきっと暴れるし、一本だけじゃまたすぐに逃げられるだろうから。

『誘導、出来ませんか!? もう一回罠をセットして……』

「多分ムリだ。ガンジェイナは混乱してる」

 走り方を見たら分かった。

 音のするものを攻撃しよう、という意志はそこに無い。

 恐れているんだ。自分を引き上げた何かを。……オレたちのいる山を。


「ヤバい、どうしよう。街の方に行っちゃうかも。オレ一人じゃもう――」

『落ち着いて、陸人。一人じゃないって言ったの、キミでしょ』


 頭が真っ白になりそうになった時だ。

 聞きなれた声と木琴の音が、頭にすっと響く。

 それから海璃の慌てた声と、「待ってください」という叫び。

 何が起こっているのか分からないうちに、オレは空を見上げた。

 ひゅるるとロープを伝って降りてくる者がいる。その姿を、オレは知っている。


「――お待たせ、陸人! 遅くなったけど手伝うよ!」

「……じゃ、ねぇだろ!? なにしてんだお前、まだ動いちゃ」

「大丈夫。動けるよ。全身痛いけど。アハハ」

『アハハじゃありませんよ空井さん!? 今すぐ戻ってください、悪化します!』

「そうだぞ昼夜。ここはオレに……」

「ダメだよ。これ、元はボクの仕事なんだから。力を貸してとは言ったけど、代わりにやってとは言ってない」

 宝石の瞳がオレを見据える。

 山ほど文句を言いたいところだけど、その眼の輝きには「言っても聞かないぞ」という強い意志を感じさせられた。

「……。走れるかよ。ロープ持って」

「それくらいなら。ほら急ごう、ガンジェイナが行っちゃう」

「わーかってるよ! 作戦はだな……」

 一本ずつロープをつかんで、ガンジェイナを追い、走る。

 真っ白になりかけていた頭は、もうスッキリしていた。

 出来る、という確信だけが、オレの胸に詰まっている。

『も~っ! なんで止めないですか陸人さんは!』

「止めたってムダなんだよこういう時って! とっとと終わらした方がむしろ良い!」

「そういうこと。……あれ、汐見さん、陸人のこと下の名前で呼んでたっけ?」

『今その話いいですから!!』

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ合いながら走っていると、自然に笑みがこぼれてしまう。

 状況は危機的だ。次にミスしたら街の人にも被害が出るかもしれない。

 そんな時だって言うのに、オレは楽しかったんだ。

 友だちと一緒に、未知の生物を追いかけて捕まえる。

 オレも昼夜も海璃も、きっと気持ちは同じだろう。

「っかし、脱皮とかズルいよな! 完全に捕らえたと思ったのに!」

「このタイプのはねー、タンパク質系とちがって融通が効くんだよ。ボクも」

『空井さんも脱皮をするということですか!?』

「じゃなくて、ちょっと割れたり崩れたりしても平気ってこと。ボクも」

「どう反応して良いか分かんねぇよ、今それ言われても……!」

 言いながら、斜面を跳んで、ガンジェイナの横につく。

 シロナガスクジラに似ていると思っていた顔は、こうしてみるとイノシシに似てる。

 結局、山クジラは山クジラってことだ。地球の生き物との妙なシンクロを感じながらも、オレと昼夜は、ロープをガンジェイナに投げる。

「もう、一回!」

「引き揚げて、ファム!」

 オレと昼夜の指示を受け、ロープが再び巻き取られた。

 今度こそ、ガンジェイナの体は宙に浮きあがり、じたばたと暴れたところで、剥がせるだけの岩はその体に残っていない。


「……スゴいヤツだったよ、お前も」


 そう告げて、ガンジェイナにトリカゴを押し付けた。

 三度目の正直だ。強い光に包まれて、ガンジェイナの巨体は、ようやくトリカゴの中に納まった。

「確保、完了。……はぁ~……」

 疲れた、と呟いてうなだれる。

 まさかこんなトラブル続きになるとは思ってなかった。


「お疲れ様、陸人。海璃さんもありがとう」

「良いって。手を貸すって言ったろ? ……それよりさ」

『早く、戻ってきてください。そろそろ私たち、本気で怒りますので」

「あ、うん。……ごめんね……?」


 ホント、どこまでも心配かけやがって。


「……まぁ、でも。オレは来てくれて助かった」

 昼夜がいなかったら、本当にダメになってたかもしれないから。

 海璃に聴こえないように小さく呟くと、それと同じくらい小さな音で、ポゥン、と木琴めいた響きが聴こえて来た。

「今なんて?」

「なんでもないよ」

 昼夜はそう誤魔化す。きっとわざと翻訳を通さなかったんだろう。

 だけど、何度も何度も昼夜の声を聴いている内に、なんとなく言いたいことは分かるようになっていた。


 きっと昼夜は、「お返しだよ」と言いたかったんだと思う。

 自分のことを助けてくれたお礼とか、そういう事を。言ったとして、オレがそれを素直に受け取らないだろうと思ったんだろう。

(想像の通りだけどさ)

 オレは昼夜を何度も助けた、かもしれない。

 でもそれ以上に、オレは昼夜に助けられっぱなしなんだ。

(オレだって、言ってやんないけど)

 言うべきことは、お互いにもう言ったから。


 昼夜に肩を貸して、オレたちは二人、海璃の待つ宇宙船へと戻る。

 長い長い夜が、終わった。

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