63.社交で戦います
「非常識だわ……」
どこかの令嬢がぽつりと言う。
その声は水面に落とされた雫のように波紋を広げ、幾人かは同調するように頷いた。
しかし、セルディは気にしない。
新しいものを広げるために一番大切な事とは何か。
それは、目立つ事だ。
(目線を集めてしまえばこちらのものよ!)
セルディは全員の視線が集まったと思った段階で、カチリとケースの蓋を開けた。
「こちら、私の伯父が経営しているキャンベル商会が新しくダムド家と共同開発して作ったヘアパックになります」
「ヘアパック……?」
「はい、わたくしも勿論使っておりますが、公爵夫人のサーニア様にもご協力して頂いておりまして……。サーニア様が仰るには、まるでマデランの糸のような触り心地になったと……」
マデランというのはこの国の神話に出てくる女神の一人だ。
彼女が紡いだ糸で作られた衣服はとても軽く、艶やかで、触れば手に吸い付くような触り心地になるんだとか。
セルディはまだ神話の勉強までは出来ていないのだが、公爵夫人からの手紙には売り出す時にはそのように説明せよと書かれていた。
更に、追い打ちをかけるようにセルディは自身の髪をサラリと手で靡かせる。
一本一本が綺麗に滑り落ちるのが見えるように。これは伯父に指示された演出だった。
女性達がセルディの髪を見てゴクリと咽喉を鳴らす。
女にとって髪は命だ。
キャンベル商会が出した香り付きシャンプーはすでに貴族の間で有名になっており、毎日売り切れているほどだと伯父は言う。
それならば、更に髪質がよくなるヘアパックは女性には咽喉から手が出るほど欲しいものだろう。
「本当にセルディの髪は綺麗になったな」
ダメ押しとばかりに動いたのはレオネル。
レオネルは流れ落ちた一房を優しく摘むと、その髪に唇を寄せた。
「一度触れば離しがたくなってしまう程だ」
目を細め、唇で撫でるように触れる。
その姿はとてもエロティックで、セルディの頬はほんのりと赤く染まった。
(キャー!! レオネル様、そこまでしろとは言っていません!!)
髪を撫でて欲しい、という指示はしたが、そこまで大げさに演出しろとは言っていない。
セルディは興奮に喚きたくなる気持ちを抑え、じっと自分たちを見つめている人達へと流し目を送った。
「……申し訳ありませんが、こちらは数が限られておりますの。欲しい方に差し上げますわ。男性の方も、奥様やお子様への贈り物としていかがでしょうか」
沈黙が辺りを漂う。
人々の目はどうする、と言っていた。
彼らが伺い見るのはニーニアだ。
彼女は口元に扇を当てて、微笑んだままでいる。
何かを言うつもりも、するつもりもなさそうだった。
つまり、彼女はいらない、と言っている。
ニーニアが受け取らないものを、招待客が受け取る訳にはいかないのだろう。
どうも二の足を踏んでいるようだった。
「あら、どなたも不要でしたか。わたくしったら余計なお話をしてしまって、申し訳ありません」
残念そうな顔を作り、セルディはゆっくりとケースに蓋をする。
「それでは仕方ありませんわね……。こちらの品は消費期限もございますし、ここに見当たらない他の貴族の方へ挨拶代わりにお送りさせて頂きますね」
セルディがそう言った途端、何人かの女性の目がカッと見開いた。
「……ちょ、ちょっとそちらの品物、見せて頂いてもよろしくって?」
「あ、わ、わたくしも……」
一人が寄れば、二人三人と寄ってくる。
セルディはにんまりと笑いそうになるのを堪え、気にかけて貰えてよかったと安心したかのような笑みを浮かべた。
「まぁ、もちろんですわ。じっくり見て下さい。こちらに小分けにした瓶がありますから、臭いの確認もしてみて下さい」
そう言えば一人、また一人と蓋を開けて香りを楽しみ始める。
ここまで来ればセルディのものだった。
「レモンの香りもとても爽やかですわね……」
「まぁ、こちらからは林檎の香りが……」
「レオネル様はそのレモンの香りがとてもお好きで、ご自身でも愛用していらっしゃる程です」
にっこりと笑顔をレオネルに向ければ、レオネルも微笑みながら頷いた。
「ああ。キャンベル商会が勧めてくれたシャンプーとヘアパックのお陰か、最近抜け毛が減った気がするよ」
「ふふ、それはよかったです」
抜け毛、その単語に反応した男達がにじり寄るように近づいてくる。
「うむ……。たまには妻に贈るのもいいだろう……」
「わ、私は娘に贈ろうかな……」
「それは素晴らしいお考えですわ! どうぞ、ごゆっくりご覧になって」
そうして皆がケースの中身へと注目し始めると、セルディとレオネルは微笑みあった。
予定通りだと。
ニーニアは社交会を牽引する女性だと認知されているが、それはあくまでも仮初のものでしかない。
今回の茶会に行くことになった事をレオネルがグレニアン達に相談した時、そう言ったのは宰相のアレンダークだった。
王妃や王子妃、女性王族がいない場合、魅力的なセンスや話術を持った伯爵以上の爵位を持った夫人や令嬢が王妃達の代わりとなって社交界を導く事もあるにはある。
しかし、この国で一番の権力を持った女性は王妃だ。
社交界を牽引していく者はまず、王妃からそれを許されなければならないのだ。
それは例え王族でも同じ事。
つまり王妃のいない今、ニーニアは社交会を牽引出来る貴族女性の中で一番権力が高い女。というだけの存在にすぎないのだとアレンダークは言った。
セルディがレオネルの婚約者だと初めに言っておけば、爵位としては仮とはいえニーニアと同列扱いになるため、セルディが何か行動を起こしてもニーニアにそれを止める事は出来なくなると……。
ならば恐れる事はない。
混乱が収まったばかりの貴族社会は未だ派閥を確率しきれておらず、前王弟にすり寄っていた者達などはどこに行けば一番自分の利になるかと右往左往している状態だ。
そんな中、変わらない事もある。
「わたくし、今日この場に来られてよかったですわ。この間はまだ買えていないわたくしを伯爵夫人が馬鹿にして……」
「これはプロイセンに教えてやらないとな。あの禿頭ではもう手遅れだろうが、はっはっは」
「うふふ、これでまた沢山のご令嬢から嫉妬されてしまうかもしれませんわね」
それは貴族同士のマウンティング行為!!
こればかりは残念ながらどの時代、どの場所でも無くなる事はない。
セルディはその事をよく知っていた。
「正式に販売するのは二週間後になりますので、気に入りましたら今度はキャンベル商会でお買い求め頂けると嬉しいですわ」
セルディは空になったケースを閉めるとそう締めくくる。
ニーニアは最後まで目を細めたまま動かなかった。
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